舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

マウンティングおじさんを噛んだ話。

マウンティングおじさんという響きが気に入りました。存在は嫌い。

今日はたまたま寄ったAコープで白菜とカブとカボチャが激安で買えてホクホクですよ。久しぶりの野菜たくさん鍋。カブうんまー!


しかし、ほんと、現在進行形で急にアクセスが増えているんですが、なんでしょうね。
なんのムーブメントかしら。
検索キーワードがある程度推定できるようになっていて、いつもは、東京公演か神楽と歌舞伎と能みたいなのが断続的に検索ブームあるんですが、それでもないのよね。
何が楽しいのかな?
私は、私の世界で思うままに好きなこと書いているから楽しいですけどね。スーパー自己満足。


能の話は、またしたいと思っているのですが。

今回は、ちょっと悪口っぽくなるからウーンとも思ったけど、マウンティングおじさんのおかげで、自分の蓄積物にたいして、改めて誇りというか、間違ってないんだ、武器になるんだ、と思えたので、残しちょくことにしました。


世の中には、自己防衛のためにマウンティングせずにおれない人がおられるんですね。
大変だなあと思います。

今現在わたしの観測によると、
①同級生・同郷・血族にすごい人がいるマウンティング
②とにかく相手をあらゆる戦法で貶すマウンティング
の2パターンのマウンティングマンが少なくとも棲息しているようです。

もうね、君の功績が僕の功績、ってなんでなん?って思っていたけど、今回観察の結果、その人自身というより、その人がチクることが想定される相手がこわいので皆その人の非常識というか程度の低さを見て見ぬふりするのね。だから、他人の価値が自分の価値なのね。

しかし、永遠にご自身はコモノなのである。

コモノドラゴン

コモドドラゴン

コドモドラゴン

コモドドラゴンは口内細菌と毒が恐いらしい。


どちらにせよ非常にめんどくさい。嫌われても面倒だけど、好かれても面倒。私はあなたに触らないのであなたも私に近づかないでくださいって感じ。

ただ、①だけのマウンティングマンなら心を無にして相槌・ヨイショマンに徹すれば難を逃れられますが②はターゲットにされると、こっちは黙ってても火の粉が飛んできますからね。


この度は両方を併せ持つハイブリッドマウンティングおじさんで、私は相槌・ヨイショマンする器用さもなく、なんで初対面かつ今後も親しくなる予定がない人に、私のプライバシーとか心のなかへ泥ついた土足でズカズカ上がり込まれにゃいけんのんですか、とモヤモヤ。

もっと心を太平洋にしないといけないんですが、やっぱり無理。


知り合いも周りにいたので、私が神楽が好きというのをネタにするなか、浜田のシティボーイのボクからちょいちょい攻撃食らう。どげかねほんとに。


お酒の勢いもあって、暑苦しく神楽の話に興じておりまして、私の石見に至るまでの話で、奥三河の花祭の流れから気仙沼の時の話をしたのです。
いちいち面倒だから、神楽とか虎舞とかいわず、地域芸能と震災、という枠で。

気仙沼で見た光景。
ガレキ自体は撤去されていたけれど、ほんのちょっとの高低差で流された家と残った家。土台しか残らず、鉄筋や鉄骨が捻れ千切れている家の"痕跡"。鉄骨しか残っていない建物。何にもないところに置き去りになったタンカーとヒマワリ。
仮説食堂では、笑顔が集まっていたけど、おじさんが、もう生きているうちの復興は無理だと言い捨てた。
行政区画の完全な崩壊。
物理的にコミュニティが崩壊して、祭りも失われてしまった。

そのなかで、たまたま舞の道具が残った。たまたま、一組のおじいちゃまとお孫さんを除いて構成員が生き残った。自分は生き残った。残ったから、舞を残すことが、後世に伝えることが、自分の残りの人生の使命だと強くいっていた。
地域芸能が、人の生きる支え、力になった。

そういう力がある。

ボランティアでは行けなかったけど、聞き取りする場所場所で、わしらんとこの文化に興味をもって来てくれてありがとうなあ、といってくださった。


もー涙なしに語れんわ…と我ながら暑苦しいまでに話をしていたら、それどこでの話なんですか?自分で行ったんですか?いつの話なんですか?みたいに水をさされて、思わず最強にムッ。

気仙沼で、教授同伴なしのゼミのフィールドワークで、震災から2,3年後ですけど、なにか?

にーっこり。うまく笑えたかしら。
テレビなわけないでしょう。

向こうは、だーんまり。

以降、私の領地にはズカズカ来なくなった。
外野の皆さんは耳を傾けてくださっていたけど、そのあとどうだったかしら。本気でイラついてお酒をガバガバ飲んだからわすれたなあ。


地域の文化がその身になくとも。
知人の肩書きを借りなくとも。
たとえ若造でも。
いいじゃないか。

ほんの一瞬でも、他人の人生と寄り添う文化に、触ることができる。それが、これからの私を作り上げる。

もともと、ぼんやり受容するのではなくて知ることを目的として出かけているから、自分で見聞きして感じて考えたことは、武器になる。

今思えば、知り合いもツテもないマジな聞き込み旅や、その他フィールドワークについては、学校のネームバリューが手助けしてくれたのでしょう。
おかげで、有意義に学び、思考できたというプライドはあります。

ただ、マウンティングおじさんには、私の大学やそれまでの経験、感性すべてをお伝えする義務も必要もつもりも欠片もない。

書き留めてみたら、結局、本当に噛んだのか自信なーなったけど、。

蓄積物は引き出しの中身。私の武器。
肝心なときに取り出せるよう整理は必要。

あ、そういう意味ではマウンティングおじさんのおかげで、ちょっと奥にやってた引き出しをひとつ開けられたんですね。
ありがとうおじさん。さようなら。もう上がり込まないでください。


ほんに、疲れる。
遭遇するのは心に余裕があるときだけでいいや。