舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ずーっと頭痛

気持ち的にもう一日休みほしいけど、休んだところで神楽ないと何もすることないからただただ駄目人間。外出るとお金かかるしなあー花見とか宛のないドライブにはまだちとはやい。
ドライブはお金かからないから好き。でも結局遠乗りするとお金かかるのね。

先週は浜田で前泊からの、益田からの出雲、次の日は日帰り隠岐というアホみたいな移動距離。ほんと、ほぼ移動ね。
しかも頭痛。体のリズムからくる頭痛かと思ってたけど、そうでもなさそうな感じでずーっと頭痛。
胃腸もなんや調子悪い。

そんなこんななので、神楽について到底考えられる状況になかったわけです。オフシーズンなのに。キーッ!

でも、隠岐のフェリーで『鬼の研究』という本は読み終えられた。時化で揺れすぎて人生初の乗り物酔いしましたですけどね。初よ、初。ほんと二日酔いみたいになるのね。

内容が難しかったけど、能の鬼と説話の鬼ベースだったのでなかなか興味深い本でありました。

かめやまの「貴船」はあっち側にいてほしい。
ので、気向いたらまた書こうかな。

謡曲「鉄輪」の、生成所以、というか、目前の怒り、悲しみ、恨みで鬼となってしまったがゆえの哀しさ。相対した時にあるのは、深い愛情で、でも人に戻ることはできなくて、男の心ももうそこにはなくて、消え行くことしかできない寂しさ。
神楽では、そこに、晴明をおくことで、救いを見いだしてるというか。なんというか。

だから、チャリになるのも、わからんではないのよね。
あと、地域的なものや時代的なものにおける「女」の姿の差違も関係あるんじゃないかな、と思ったりして。だいたいにおいて男から見た「女」ではあるのだけれども。でもそれは、そういう社会なのだから、そこにたいして神経質になっても仕方ない。それに、いまだって、男から見た「女」を押し付けられることはままある。男からも、女からも。自分からも。

でもやっぱり私はチャリは好みじゃないなー。


あと読んでいて、神楽におけるガッソの意味というか。いまは立ガッソ?筆みたいなのもあるけど、もともとは垂れガッソとか、鬢?とか、長髪とか禿(かむろ)姿である意味みたいなのも書いてあったので、それもメモ書きしておきたいところね。
禿はハゲじゃないのね。カムロね。