舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

ちはやふる

納めの神事についてのめも
宮司さんの、いろいろみて勉強するのもいいが、もうある程度年数も重ねたのだから、自らの芸を研き精進するよう、というようなことおっしゃられたのが、またよかった。
ずうっと、見守っておられる宮司さんの言葉だからこそ、よりいっそう重みがある。


わからないながら祝詞を聞いていて、やっぱり神ごとだから、というのはあるけど、「ちはやふる」という言葉がめちゃめちゃ出る。

もちろん、「神楽」の歌にもある。


まだ調べ途中だけど
チ は荒々しい神であったり、自然界の生命力の強さを表す言葉。
ハヤ はタケハヤスサノオノミコトに象徴されるようにその勢いの激しさを表すみたいな。
ただ調べるなかでおもろいなと思ったのは、ハヤがつく神の中には祓えの象徴みたいな神もいるし、音を転換させてハエ、にしたとき、南風や岩礁、破壊を表す言葉にもなる。あと、関わり深げなサンスクリット語ではハヤは馬を表し、それも早・速を連想されるということ。
フル は、広範囲に及ぶこと、みたいな意味もあるそうですが、揺り動かす、神霊を移すというような意味を持つ。

神楽はタマフリの意味を持つ、というそれも、魂を奮い立たせる、揺り動かし力を沸き立たせる、みたいなニュアンス。

なんか自分でもよくわかんなくなってきたな

わかんないんですが。
ち・はや・ふる、という3つの単語で、
神々の荒々しい力が及ぶ
自然界の生命力は破壊的な強さでもって大地を揺り動かす
自然界の生命力の強さやそれに象徴される神々をここに移してきてその力で祓い清める
というような解釈ができるんじゃないでしょうか。

あと、動詞で、ちはやぶ・るというのがあるみたいですね。それが簡単に言うと荒々しく振る舞う猛々しく行う的な意味。

あとこれは、自分でも調べながらウーンこじつけ?とか思うけど、ちはや・ふるの2語もできなくはない。
巫女の装束の千早は、もともとは袖がなかったり襷的な用途のものだったりしますが、今は紙縒とかで袖を留めてあるようですね。
だから、巫女が千早の袖を振り、神楽を舞う、神を慰めるという情景も含んでるのかな、とか。あんまり石見では巫女舞は見ない気がするし、「神楽」は神職舞の流れから男が舞うけど。

また、巫女で言えば、神が依り移る、という役割もあるから、千早を着るものに神が依り移る、的な解釈もちと無理すれば通るかしら?

言葉の沼地にはまってきた


なによりも、夜のお宮って、周りよりぽっかりと暗くて、少し怖いような、さみしい気持ちになるけど、ぽうっと斎灯が灯ると、なんとなく優しいような、暖かいような、受け入れてもらえるような、そんな空気感に変わるのが不思議。
人の気配があるおうちに帰ってきたような、ほっとする明かり。
神楽のある夜は、だからいい。

あと、本殿のなかに式年の大元祭りに際して奉納された大提灯があった。