舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

面とか点とか

そういえば、ゆくとしくるとしで虎舞出ましたな。
同じ町内の団体を芸能祭りで見ているので、同じ町内でも、生き残った虎、流されてしまった虎、地区によっては、虎は残っても支える人がいなくなってしまったところ、様々なのだろうと改めて思ったのです。
復活してくれてありがとう。ありがとう。

奉納舞でしたので、人ではなく神に向かって舞っていましたね。

あの、獅子舞の変化形でもなく、権現でもなく、善も悪もなくあくまでも虎であるところがいい。ただただ、虎。
なんか、お腹見せてゴロゴロしたり、小虎と戯れたりするのもあったと思うけどな。



今まで漠然と、ごく一部の地域が「石見神楽のルーツ」であるような認識がそこここにあるのが疑問であったわけです。

おおもとがルーツ、という論点に平行して、暗黙の了解的にその"一部地域の"おおもとがルーツ、みたいな空気感。

書籍とか資料を見とって、明らかにそこまで濃厚に漂わすのは、ごく一部地域関係以外では多くないし、そもそもその"一部地域のおおもと"がルーツであることの学術的根拠といいますか、そのきっかけとなるような資料が見当たらないのに、どうもその空気感があるのが不思議でしたのです。
とりあえず正統なものを見たくばあそこに行っておけ、的な?

しかも、ごく一部地域以外では、中央側からそういう空気が漂ってくる、気がする。


ほいで、マッピングをしていて気がついたのですよ。

なんかしらの指定を受けた文化財マッピングしていったときに、9割9分は単体の団体が、その舞や演目や面やら衣装やらやらの指定を受けた格好になるので、単体の団体の代表者やお宮が、地図上の「点」として表されるわけです。
それ以外の文化財も大体、所持者や所蔵地、所在地が「点」になる。

おおもとは、邑智郡のおおもとの保存会事務局所在地が「点」になるのです。

何が言いたいかといえば、保存会加入団体は邑智郡部と江津の一部地域にバラッとおられるので、文化財自体は、わりと広範囲に渡って展開される「面」なんですよね。
でもその「面」を、文化財指定名で「点」にして表すとき、それは、ある一点"だけ"を指すわけです。事務局がそこにあるから。

極端な言い方かもですが、例えていうなら、「石見神楽」という「面」を、地図上では、浜田の協議会会長の住所に「点」を打って表すようなものでしょう。


個々の加入団体を見渡したときに、あらっこんなにあちこちにあるのねえーとわかるけど、パッと地図を見たときに手に入る情報は、そこが、所在地であるということだけ。
つまり、メッカになるわけです。

しかも文化財のおおもと、としたときは、ほぼ邑智郡のそれを指しているし、地図上ではある一点しか表されない。
那賀郡のおおもとは、極端にいえば蚊帳の外。

ちなみに、師匠に教えてもらったけど、最後の神がかりは那賀郡だったようですね。


おおもとといえばその「点」が表されるから、おおもとがルーツです、という論とかぶさったとき、イコール、その一部地域のおおもとがルーツです、と。

偶然か故意か知らんけど、実は、資料的事実云々とかではなく。ご本人ら含め、みんなが勝手に誤解をする仕組みになっているんだなあーと、馬鹿正直に感想いえば、思ったのですよ。


その土地の実際を分かってる人からすれば、「面」なのに打つ場所おかしいで!って思うけど、知らん人にお知らせするための地図で、そこに「点」を打たれたら、知らん人は、ほーんそうなのねーここにあるのねー、って思うでしょう。だって、わかんないんだもん。知らんのんだもん。
得られる情報から推察するしかないんだもん。

だから、中央側は、資料研究がしやすい反面その仕掛けに引っ掛かりやすいと思うのです。
それは、私自身、卒論の時に感じたこと。
それでいて、中央の学者の方が、やっぱり発言力、影響力がある。
だからその空気感があっちから来てるだろうし、通説が根強い。


しかもね、文化財マッピングをしたときに「石見神楽」というのは、ひとっっっつも出てこない。だって、無いから。

ようするに、メッカの一人勝ちなのですよ。うまいね、こりゃ



マッピング自体は、大学の時も授業でやったし、松江の仕事でもたまにしていたし、わりと好きな作業の部類ではあるんですが。
地理院先生が優秀すぎてぶっとんだ。私的には、初心者でも扱える程度の応用機能が、ぐーぐる先生よりイケてると思う。これ前の仕事の時知りたかったな…
今度から地理院先生一択だな。


でも今までのマッピングも元々が「点」だったから気づかなかったことなのですけど。

全部を「点」として表すときりがない。
地図上が「点」だらけで、もうわやくちゃなるでしょう。
でも「面」を妥当なところで「点」に置き換えれば、スッキリまとまるけど、必ず、取りこぼしがあり、また誤解を生む可能性をはらんでいる。


だからこそ、今度は、「点」を打ったときに表される名前が重要になってくるのではないでしょうか。
慎重に考え、名付ける必要がある。