舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

回帰

最近、なぜかめのふレポがあまりないのか、ということなんですけれども。

毎日ひどく疲れて、書く気力がなかったり、にゃんこが愛飢え夫のかまってちゃんなこともあったりするんですが。

ここのところ、ホールとかで、大人数舞が多くて、でも、人が少なくて、というような事情で、ねこの手も借りたい、と師匠にいわれて、私はかめですけど、まあ連れていってもらえるしチケット買えてないしで裏方のお手伝いが多いのであります。

それはそれで、楽しい。

で、昨日は、はじめて貴重品係プラスアルファ以外の裏方として、競演に赴いたのですけれど。

開会式のあと「塩祓」見てるときはフムフム楽しく見てたのに、だんだん、ご機嫌が乱高下していくので、自分でもなんかなーなんでかなーまあ体調も良くないしなーって思いながら、下がる下がる。
終わった頃には上昇不可能なくらいテンション下がっていたので、珍しく単独行動なのをいいことにそそくさ退散。

しかも、教わったとおり右いって左いって順調に高速入ったと思いきや、うっかり山口方面に出てしまって、松江へ行くつもりだったけど、気分萎えまくったので諦めて六日市から吉賀抜けて大回りで浜田に帰ることに。

テンション下がりすぎてベソかきながら、なんでやろ、思ってたけど、そういえばここのところ、一緒にいるけど「見た」感覚が、全然ないやって、気がついたのです。

ゆっぱは、見たけど。


昨日なんかは、はじめての「五神」だったし、衣裳のお披露目だったし、練習もずっといたから、大変なの知っていたから、だからこそ、私は、見たかったんだって。

たぶん、あの会場で、一番、かめやまの「五神」を見たくて、楽しみにしていたのに、一番見られなかった。
ここのシーン見てた?と聞かれても、どうひっくり返って無理しても、見てない、としか答えられなかったのが、すごく残念で、悲しかった。

もちろん、映像は見ていたし、裏に張り付いてたし、音も聞いてたけど、分刻みの状況判断としてしか見聞きしてないから、「見た」にならない。

むしろものすごく集中してるんだけど、私のなかで「見た」カウントになってない。


つまるとこ、好きは好きでも、どんだけ金魚のふんみたいにくっついてても、やりたいほうには、気持ちがどうやっても向かないのであります。

いつか表舞台に出るための下積み、というモチベーションにならないので、わし見られないやんけ、というモヤモヤになってしまう。


そうはいっても、人が足りないのは仕方ないから、いつも連れていってもらってるし、私で手伝えることは喜んで手伝う所存ですが。
なんだかんだ、楽しいは楽しいし。
あと、思ってたより貴重品係の需要あるっぽい。

でも、気合い入ってるやつであればあるほど、できれば、本番のその間だけは、一番のファンでありたい。今までどおりただのかめのふでいたい。
ワガママだけど。

だって、かめのふだし。
だから、かめのふだし。
社中員じゃないのはそういうことだし。

と、なんか気持ちが回帰したかんじ。

つきましては、皆様におかれましては、万障繰りあわせのうえ、当日お越しいただきたく。
かめの手は本当にやれないときに借りてください。たいして役に立てないので。


ま、とりあえず貴重品係は遠征の恒例になりつつあるし、地味に重いから小ぶりなリュックでも買おうかしら。ナップサックはちょっと恥ずかしいしな。
 


そんなこんなで、神楽みたいんですけどって気持ちで、ちょうど町内が祭りでしたので、かるくお昼寝してから、ワンカップ調達して花もっててこてこお宮まで歩いていくことに。

夜空に囃子が鳴り渡って、寄進旗が上がって、屋台も出ていて、どこか浮わついた空気感があって、花握りしめながら、ああ、地元の祭りに行くってこんな感じなのかな、と。

思った以上に人がたくさんで、もう疲れてたし、じゃあワンカップ飲み終わったら帰りましょうかね、ということにして開けたら、「岩戸」が始まって終わる頃には飲み終わったので、次が子ども神楽だったし、おとなしく退散。
とことこ歩きながら、夜空に響く音にあわせて神楽歌鼻歌して、出掛けの歌が終わる頃には家について、寝る支度して、にゃんこと布団に潜り込んで、小さく聞こえる囃子は子守唄に。

浜田に住むって、こういうことだなって、一年たって改めて思ったのでありました。

本当に価値があるのって、こういうくらしそのものだと思うんだけどな。よそ者から見て、石見の、浜田の宝って、これだと思うんだけどな。神楽のエンターテイメント性は二の次三の次なんだけどな。