舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

みみくさんのいろいろ

・問答舞「弓鎮守」

東・南・西・北・中央・黄龍の六方の神々に祭司が加護弓と破魔矢を以て、色と人の出生の星と五臓六腑の嗜好を添えて守護神を糺す、話…といっても、なんのこっちゃという感じですが、箇条書きにすると、なんとなくわかる気がします。

東方 木の祖 木句具知巳之命、春の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は青、十干は甲乙、干支は寅卯辰、苦き味わいにて胃の臓を守る

南方 火の祖 天乃御降結之命、夏の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は赤、十干は丙丁、干支は巳午未、酸き味わいにて心の臓を守る

西方 金の祖 金山彦之命、秋の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は黄、十干は庚辛、干支は申酉戌、甘き味わいにて肝の臓を守る 

北方 水の祖 水破乃女之命、冬の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は白、十干は壬癸、干支は亥子牛(丑)、辛き味わいにて肺の臓を守る

中央 土の祖 天乃土結思足之命、四季土用併せた七十二日、色は黒、十干は戌己、干支は丑未辰戌、渋き味わいにて腎の臓を守る


古老の説明の、概略
春の青は、若葉の青々と生気溢れる色、若者の青春とも言える。
夏の赤は、太陽の季節、燃える赤。
秋の黄は、黄金の稔り、木々の紅葉、西方浄土は黄金の蓮の都とも言う。
冬の白は、無色透明の白、野山里を覆う白雪。
土用の黒は、すべての色を混ぜ合わす時に生じる色、土の色。

中央誰やねんって感じはするものの。
色は、五行に則った色、というより、自分達の身肌で感じる季節と色にリンクしている。その方が覚えやすかったとかあるのかしら?なぜそうなったのかはわかりません。まあたしかに、なるほどね!とはなります。

五臓六腑の守護については、東洋医学的な考え方なんでしょうか。ただ、確か古代哲学でも似たようなこと唱えた人がいた気がします。古代ギリシア?○○テレスみたいな名前の人が多い時代。
??ヒポクラテスの四体液説かな?調べたら、記憶していたイメージとなんかちょっと違った。私の取り違い。
ただ、古代ギリシアとかの時代から、万物の根源についてはいろんなひとがウンウン悩んでいた、ということで。

天の鹿兒弓、天の羽々矢?のことも、加護弓と破魔矢だと、たしかにわかりやすいわね…とか思ったり。



そのほか、めも。

・「御神楽」おかぐら
奉納の最初と最後に行う奏楽のみの神楽。

・「塩清メ」
東・南・西・北・中央・黄龍の"六方"を塩で清める。

六方というのが、今までに無いパターン。
ここでは明確に中央と黄龍は違うものということなんでしょうか。
ただ、「黄龍」というものが重要視されているようだ、ということは察せられる。


・「神迎」
舞ではなくて、儀式としてのもの。どっちかというと花祭との共通項ありというふうに感じる。
お一柱ずつ呼んで勧請する系。

・「切り女」
古老曰く"小鼓の精"だそうだけど、口上をさらさらっと見た限りでは、あんまりそういう要素は感じられなかった。チャリではなさそう?



面白いな、と思ったのが、古老が言われるようにかつては文盲多く、口伝えであった、という経緯もあるからでしょうが、口上に出雲弁的な要素による変異がちょいちょい見られること。

たとえば
「切り女」の神歌
千早降る 神楽のげすき[景色] 面白や

「五行」の王一鳴命(東方)の口上
四方之神立 四方の悪魔切(り)すずめ[鎮め]たまわんや否や

とか。
出雲弁は大小浸っていましたから、あーなるよねえ、今もそんな感じで言ってるよねえ、というような箇所がちょこちょこ。

口伝えなら、たぶん文語体ではなく口語体で伝わっていったことでしょうし、ここを正しくというか、大和言葉や文語体にしたら、なんというか…浜田の神楽改正のようになってしまうんじゃないかな、と思いました。もうこれはこれで、伝統だから。
逆を返せば、浜田の神楽改正で詞章を調えた、というのは、こういう方言的な表現や口語体を大和言葉・文語体にすることも、含まれているのではないかと予想されるわけです。




みみくさんは十月下旬の午後に祭礼があって、儀式舞・能舞と獅子舞を行うそうですが、「五行」などはやらないよう。
中央・黄龍とか気になるから、もしいつか、機会があるなら「五行」「弓鎮守」は是非に見てみたいものです。

みみくさんの五行について

出てくるのは、

東・木 王一鳴命 
南・火 豊国主命
西・金 金山彦命
北・水 国狭槌命
中央・土 埴安姫命
日ノ神 思兼ノ神

県の調査報告書の中にある、古老?の話では、「弓鎮守」という問答舞とセットらしい。それはまた後日。

あらすじとしては、兄弟の長姉神、破妥安姫(ハニヤスヒメ?)命は他家へ嫁いで音信不通と考えて、残る四神の兄妹が万物を四つに所領し、国鎮めの舞をしていた。
東方は、木句具地巳の命 春の三ヶ月九十日、色は青
南方は、天乃御降結之命 夏の三ヶ月九十日、色は赤
西方は、金山彦之命 秋の三ヶ月九十日、色は黄
北方は、水破乃女之命 冬の三ヶ月九十日、色は白


そしたら、埴安姫命が自分にも所領を分けるよう言ってきたので、骨肉の争いになったところ、親である日ノ神が出てきて、平等に四季の土用十八日ずつ姉神に譲り、五神が七十二日ずつ所領した。
という、互譲・円満、独りよがりで我儘、貪欲であってはならないと教える舞…だそう。


ここではこれが伝統なのだから、良い悪いとかは言うつもりないけど、うおおおおそうきたかーという感じ。今までに無いパターン。

しかもわりと万葉かな的。
南方は、アメノミオヤかな?

色については、本来と全然違うんだけれど「弓鎮守」を見ると、納得はする。


なんというか、多分なんですけど、ストーリーの出典への正誤よりも、自分達の生活というか世界観にに、近づけることを重視したのかな?とか感じました。
姉神の扱いや、色とか。

でも最後の最後はしっかりきっちり。


ここは、面とか衣装は、林木屋だっけ?貸衣装のところから揃えているそうなので、ビジュアルはそっち。
しかも、四人の兄妹とかいいながら面は十二神将みたいな命面なのでイケメン風味。
埴安は、あの辺りの特徴っぽい男性的な女面。太い眉毛をギッとつり上げて、口も歯を食い縛っているような面相。
日本武の熊襲を退治するときの変装時の面や、ウズメにも用いるらしい?
ウズメ?と思ったけど、そう書いてあった。ちょっと意外。
強い女的な感じなのでしょうか。


あと何かと出てくる思兼さん。


チャリ要素は無さそう。

リフォームしました

500近くあった記事を、150ちょっとくらいまで削って再スタート。

理由は、私の環境が変わったから。
神楽が見にくくなったし、素直に書けなくなったから。

年度が開けてから、体調を崩していることもひとつ。薬を飲み始めてから心身が思うようになりません。


本当は、ここをやめて、新しく作ろうかとも思いましたが、師匠が名前をつけてくれた場所だから、捨てられませんでした。

これからは、今までより調べもののめもみたいなものを入れていくことになる予定。
今まで書いていた他愛ない独り言は、ほとんど書かないつもり。


ずうっと、徒然と気の向くまま素直に書き溜めてきたものを一つ一つ見ながら、記事ごと消すもの、記事は残すけど削るもの、とりあえずそのまま残すもの、に分けていきましたが。

見ていけば、そりゃあ様々、認識とか考え方とか変わったこともあります。調べたり、実際を見たりしているのだから、それは当然のこと。
でも、私自身の、神楽をただただ見たい、空間にいたい、神楽を知りたい、という願いにも似た思いは、今でもずうっと変わらないのに、周りのことや私自身の選択の結果として、それができなくなりました。

今が今までで一番楽しくない。
こんなことになるために、浜田に来たんじゃない。

でも、仕方ない。そういう選択をしてしまったので。せざるを得なかったので。

だから、けじめとして、かなり削りました。


でも見えなくしただけで、記事の削除はできなかったので、暇があったら、パーツパーツで取り出してまとめたいとは思っています。当たり障りのないものについては。


師匠に教えてもらったことは今後も書くつもり。

あと、来月は念願の早池峰さんに行く予定なので、下調べしたこととか。勉強しないと。


ただ、体調によるので更新頻度は上がりません。
すっかり家族になったにゃんこが、本当に健気でいい子なのが救い。にゃんこかわいい。


二年前の私には、こういう展開は予想できていませんでした。
でも、仕方ない。

神楽をきくみる

師匠とお話ししたことメモ。
神楽というのは、主に聴覚と視覚によって捉えるもの、という話。

言われてみればたしかに「楽」という主に耳から入るものと「舞」という主に目から入るものから成り立っていて、どちらかだけでは神楽は成立し得ない。

「神楽の声を聞くぞ嬉しき」の一節
「神楽の声」というのは奏楽や神楽歌だけじゃなくて、祭りの場に人が集まって、わいわいした声とか音とかも含めて、神さまが、ああ祭りだなあって気持ち、嬉しいなあ、ってなるのでは?と思ったのですけど。
師匠にそれをいって、言われて気がついたのは、
それに加えて、やっぱり「見る」でしょう、と。
集まってきた人たちの楽しそうな顔、舞、今年の新物、そういうのを見て、聞いて、嬉しいなあ、なのでは?と。

たしかに、音だけでは、なんぼ楽しそうでも、自分はちょっと疎外感あるというか、嬉しいなあ、とまではならんかも。逆しかり。
あと「玉の御簾巻き上げて」るってことは、視界をオープンにしてるのかな、と思ったり。

オチは別にないんですけど。

奏楽が聞こえてきて、舞を見に行く。なのよね。
神楽を見に行く、というのは、あんまり正確ではないのかな。


なーんて思ったりしたのでした。

空間とか

夜神楽でながはまさんを見に。
ながはまさんは、胴の椅子が木箱なのが味わい深くて好き。あと昨日は締め太鼓と手拍子は座布団なくて正座されてた。
そういえばお祭りのときも正座だった?
笛は今回も幕内。

重鎮の楽が昨日も聞けて良かった。
ながはまさんは、うまく説明できないんですが素で賑やかな感じが好き。マイクを越えた賑やかさ。

師匠たちがいっておられたのは、手拍子は鉦が大型らしいですね。なんかトンカチで叩いて調えたような跡があった。
音響効果とかないのに、横にいただけで耳がウワワーンとなる賑やかさ。だがそれがイイッ
音響効果のやかましさとは格段に空間の雰囲気が違う。細胞で聞く感じ。だから、ながはまさんとか、六調子の地域とか、練習のときが好き。
私個人としては、トランス状態に近づくのはこっちの「素」の音なんじゃないかな?と思います。

あの締め太鼓の軽やかに叩く感じもいいなあー

いまだあの素の賑やかさが、何から来るのかかわからないので要研究。

代表のお話は、なんかいつも、なんといいますか、押し出す感じでお話しされるのですけど、いい人だから好き。単純。


演目は「天神」「塵輪」この二つが多いですね。好きなのでよし。


ながはまさんの「天神」は、菅公は途中で下がって、随身が時平と立ち合いますが、肩切りの衣裳が、剥ぐ前は時平に梅がついてて、剥いだ後は随身に梅がつくのが面白いです。
あとなんか、反対色なことが多いっぽいのと、緑と青が好きと見た。海のいろ?

あと、菅公と随身が舞うとき、採り物をぴったり体に付けていて、そんなもんかな?と思って聞いたら、それがそこの「手」で、刃物を菅公に向けないようにしているのだそう。


あとよく見たらあの神楽幕ものっそい豪華。
師匠曰く、あの意匠、装飾、サイズは、当時のながはまの隆盛や力がうかがえるのだとのこと。

塵輪」は母ちゃんだいすき。あ、でも母ちゃんと父ちゃんで鬼着?が違うことにはじめて気がつきました。父ちゃんはチョッキみたいなの着てる。裃ふう?母ちゃんは打掛ふう?
しかしなんか、母ちゃんはサービス精神多めらしい。悪そうな顔してるのに。

手の所作がいいなあーと思っていたけど、先代の母ちゃんはさらに絶妙だったらしい。映像とかあったら是非に見てみたいな。



「天神」と「塵輪」の幕間で、前代表がお話しされて、はじめて聞くことができてムホホッだったのですが、昭和40年頃のお話、ということなので、およそ半世紀前のことでしょうか。
大体どこもお宮が小さかったから、天蓋のした、いまでいう4畳半くらいのスペースで舞っていて、すぐ近くにお客さんが座って、一体感あったのだと。
やっぱり大阪万博というのは、いろんな点において大きな変革だったのでしょう。

ほかにも、足さばきは摺り足でと教わったもので、とか、うちの社中はこういう所作とか伝統だが、よそはまた違う所作があるからそれを見るのも楽しみ方だろう、とか。
その言葉に嫌みったらしい含みは、私は感じなかった。


そのあとの「塵輪」の母ちゃんのサービス精神だったので、おおおお…ってなったけど、仲哀天皇が、背が高くて、欄間に頭つきそうになったりしていて、ふと、4畳半、という空間は、平均身長低めの昔だからこそ、合理的な距離感、空間だったんじゃないかな、と思ったのです。
ながはまさんの代表や、師匠は、160センチ無いくらいの私がぶつかると、顔面が肩にとど……かないな多分。

師匠の横歩いてても、コンパスのサイズの違いで、師匠の1歩が私は1.5歩くらいだったりするわけなので、おなじ「2歩下がる」でも自然とその幅は違ってくるのではないでしょうか。

ただそうはいっても、なんぼ小柄でも4畳半サイズは、決して広いわけではない。私が休日の7,8割の時間を過ごす寝室も4畳半ちょい小さめなのでよくよくわかりますが。

そのなかで剣、なおかつ昔は真剣や、鬼棒みたいな長い棒やら、幣みたいにふっさふっさしたものやら持って振り回して舞うのですから、しかも周りにはお客さんがいるのですから、安全で、かつ美しく、確かに扱える所作が、いまの「型」なんじゃないかなあと思ったのです。


でも、その4畳半サイズのところだけが、神楽の空間ではなくて、やっぱり宮全体というか、お客さんや楽人含めた全体の空間が、石見神楽なんですよねえ。うまくいえないけど。

このあたりのもの

子ども神楽の「恵比須」。
私は、あの恵比須が好き。

恵比須で教えてもらうことはあまりなかったので、色々教えてもらう機会になって良かったであります。


フツーの(たまに服装奇抜だけど)、その辺りにいる人たちが、慣れた手つきで着付けて別の某になっていくのを見るのが、私は好き。
神になったり鬼になったり、はたまた、白衣に袴姿になったり。
その個人と某への行き来を見るのがなんか好き。
って、結局凝視してる。

そういえば一度だけ、友達のお父さんが、能装束の着付けるところを見せてくれたけど、ずれないようにとぶっとい針でしつけ糸かけていたのです。
ブッツと音を立てながら縫い付けるのに衝撃を受けたけど、そういえば神楽衣装では無さそうですね。

それとも女の装束だったからかな?

でも、それによってあの独特な色っぽさというか、蕾のような?形になるんだなあ、と納得した覚えがある。


浜田に来て、8ヶ月くらいでしょうか。
松江にいたときから変わらず、土地のもの、土の人になりたくて、でも実際の立場での私や、求められるのは風の人としての私であったりして、そも私とはなんじゃいな、という気持ちは、常にあるわけです。

そのなかで、特にこの数ヶ月で小さい事柄ではあるけど、師匠の代弁をする機会があきらかに増えて。
うーんうーんと考えて、言葉を捻り出して、師匠にホイッと投げてみたら、そのとおりだ、と言ってもらえることも、かなり増えた。

それって、なんでかな?と考えてみたとき。
このあたりのもの、として長く生きてきた師匠と同じ土地に暮らし、多少なり同じものを見聞きし、同じことに問題意識を持ち立ち向かえるようになったからなのでしょう。物理的にも。
やっと、私も、このあたりのもの、になりつつあるのかな。

良いことばかりではなく、むしろ汚ねぇぇって思うことやクソがぁぁぁと思うことの方が多い。問題が多い。
なんとなく生きていれば、あるいは長いものに巻かれて生きていれば、もう少し生きやすいんだろうとも思いますけれども。

まあ師匠が長いものに巻かれないので、一緒に短いので一生懸命巻き巻き、時にビリビリ破きながらいくんでしょう。

私も、このあたりのもの、になりたいのです。

のう

ゆっパ定期公演で市職。
「八幡」「恵比須」「天神」「大蛇」で師匠が大体囃子におられたのでムッホムッホしてましたけど、「恵比須」がなんかとっても良くて、大満足だったのであります。
上品で、丁寧で、人柄(神だけど)の良さが感じられるというか。お子さまファーストだし
あと、日本記録の大鯛が出てきて大ウケ。面白かった。

あと個人的に「八幡」も好きかなー
鬼ちゃんが、ちょっとヒステリックさあるのが、般若面にしっくり来る。

ふと、「神能」って、もしかして、神楽能じゃあなくて、「神能(かみのう)」から来ているのかしら?と思ったのであります。

「神能(かみのう)」というのは、能の演目のうち、神がシテとして出てくる脇能?で、「翁」の次におかれるものとのこと。

高砂」や「老松」という、なんか縁起いい系が多いんですかね。まあ初めだし。

神楽の演目との共通項はないけど、里神楽といいますか、石見神楽や出雲神楽とかの能舞の演目は神がシテになるようなのだよなあーって。

あと「御神能(ごしんのう)」と呼ぶときは、神社の能舞台能楽を奉納するときみたい。
宇佐や厳島など。

うーーんそっち説も考えられる…

どっちにしたって、たまーに使われる気がする「神楽能」はちとおかしいわね。改めて思うと。
「神楽」と「能」と二つがくっついているわけですからね。あくまでも神楽は神楽だし能は能。
神楽歌舞伎とは言わんし。
神楽劇、はなんか言ってる人いたりしそうだけど、ありません。そんなん言いません。言わないでください。

となると、神能であったり、うーーーん個人的には好みではないけど神楽舞もありなのか?
でも祭りとしての「神楽」のなかの「舞」なんだろうけど、神楽そのものが舞を伴わないと成り立たないような気もするのでやっぱり変な気もする?

神楽歌に対応して神楽舞なのか?

じゃあ能舞という言い方はどうなのか?と考えたときに、「能」様(よう)の「舞」なのかなと思ったり。このときの「舞」というのは、所作もそうだけど演目の構成とか神楽の演目を指すイメージ。祭りとしての「神楽」というより、単体の神楽。

はあー難しい


実際どういう言い方が正解なのやら、よくわかりませんけども。