舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

さよならは、いつまでかわからない

一体いつからなのか、なにがきっかけなのか、わからないけれど、多分きっと、このブログが途切れがちになった頃からでしょう
神楽への思いと裏腹に疲れてしまったのは
神楽を伝え守るのはひと、ひとなくして伝統はないのに、そのひとに疲れてしまった
疲れてしまった
なにも気力が出ない
誰も信じられない

本を読む気持ちにならない
神楽が見たくない
知っている人にあいたくない誰にも知られたくない
いなくなりたいしにたい
いつからか、いままでずっとそこから出られない
眠るのが怖い夢を見る
いつも怒鳴り声冷たい視線罵詈雑言陰口破壊事故
怖いもの全てを毎晩体験する
ひとがいなければ、わたしがいなければ、なくて済むものばかり
薬は苦いだけ
憂鬱も悪夢も癒しはしない肉体に鉛乗っけるだけ

神楽が好きで、本を読み漁り、出かけ、心踊らせていた日が恋しい
くるくると妄想広がらせていた時が恋しい

なんでもあるところにいったはずなのに、なにもなくなった
あったものも全てどっかいった

わたしは能力ないから
学もないやるセンスもない学のための金もない
なんにもなくなった

なにもたのしくない
しにたい
それも面倒
ただただ布団に転がる

わたしのなかの引き出しはぐずついたりどこかへこぼれ落ちたりした長らく人と話さないから本音を忘れた全て忘れた語彙も消失した

人として退化しているなにもいらないあっても仕方ない
ミミズの方がわたしなんかよりよほど働いてるし、世の中のためになってる



でも一人語りがしたかったんじゃない



しにたいしにたいと、でもしにいくために、布団から出ることがしんどくて、ただ布団の上でしにたいしにたいと悶えていたら
ふと、福岡先生の動的平衡の講義の話を思い出した
唐突に
大学とは、大きな人の話を学べる良い機会だったのだとことあるごとに思い、当時としてはベストな受講編成していたからこそもっと貪欲に前のめりに吸収すべきだったと痛切に思う
あのころ、無知を知ってるあのころ、スポンジのように吸収するエネルギーも若さも情熱のあったころ


先生は、穏やかに話すから、とても難しい話を優しく、論理的に、ときにユーモア交えて、わかりやすく説明してくれてたのだろうと思うのだけど、睡魔に負けがちだった
でもいまでも覚えてる話
たしか、砂の像の例えがあったと思う
なんとなくビジュアルイメージでの記憶だから言語化するのが、難しいけど

わたし、という人間は外部から食物などの細胞を組み込み、古いものを排出しながら、最期がわからないまま、交換し続けて、わたしという肉体を作り出している
細胞はかわってもわたしはかわらない
…でもかわらないけど、年を重ねるごとにその見た目はかわっていく
それも、きっと細胞がしてるんだと思う

難しいけど、腑に落ちることだった

すがりたいあのころのわたし、いまのただのゴミクズのわたし
全てかわってしまった。その短くて長い年月のなかで、すっかり細胞レベルでもかわってしまっているんだと思うと、少し気が楽になるような、かわった自分を諦められるような気持ちにもなる

もしよくなれば、そのときも、細胞レベルでかわる


伝統芸能も民俗芸能も、動的平衡なのだと、薬飲んで眠くならないくせに口のなかがひどく苦くなる疲れた頭で思う

人間は数年のスパンでのことだけど
あれらは、人の人生くらいのスパンで、動的平衡を保ち続けることで存在が保たれる
多分、アイデンティティーなんかもそう

ひとという細胞の交換を続けながらいままでいきてるんだ

良き細胞も悪い細胞も取り込んで肉も取り込んで咀嚼をしながらひとつのかおを作ってる

そういうことなんだと、ふと

鬼踊れ!読んだ

東京で、郷土芸能部つくって、頑張る青春物語……という、普通だったら1mmも触らない漫画だけど、岩手の鬼剣舞と、鹿踊だったから、とりあえず3巻までごそっと買って一気読み。

鬼剣舞とぷりちー鹿踊の描写が大変よかったです。
ぷりちー鹿のビタンビタンとか、萌ポイントが押さえられている素晴らしい漫画。

鬼剣舞なのに、タイトルが踊れなのはちいと不服ですが、言葉のリズム的なこともあるんでしょうか。まあそこはいいけど。


多分これは、石見の人なら、ある程度の共感をもって読めるところもあるのかなと思いました。
郷土芸能への愛と在り方、心の持ち方とかの揺らぎ。


私はゼミの合宿で見たきりなのだけれど、事前学習の発表で初めて見たなんだこりゃ!と、実際に現地で見たなんだこりゃ!!!の感覚を、鮮明に思い出しました。ブワッッときた。
そのときの自身、そして初めて石見神楽を見たときの自身もまた、登場してくる青春ボーイズたちと同じ顔、心持ちだったのだろうなあと思って、口のなかがしょっぱくなる。今はもうどこかに置いてきちゃったから。

今回の旅ではほぼ確実に見られないけど、また見に行きたいものです。



興味深かったのは。
一つは、東北、なかでも岩手は芸能どころにもかかわらず、あえて鬼剣舞をメインにしたところが、北上において感じた鬼剣舞の絶大な人気と、あとまあおまけで鹿踊、虎舞、そしてよくわからないなけどついでに神楽、という序列をある意味で忠実に描写してること。
北上とその近辺?には修験道の色が濃い大乗神楽があるんだけれど、本当に全然神楽熱が感じられなかった。観光協会ですら、えーーーと、花巻市に行かれたら詳しいことわかるんじゃないですか?という感じ。いやいや、和賀とかやっとんさるでしょ、と思ったくらい。
今は、どんな様子かわかりませんけど。

私は私で、ぷりちー権現様の印象が強すぎるので、偉そうなことは言えない。

二つは、題材が、あえての岩手、あえての鬼剣舞であったけれども、神楽はきっと題材にならない、ということ。
神楽舞のひとつとされる中野七頭舞だったかな?は、東京の学校でやっとられます。それも、土地にゆかりのある人が東京で始められたのが最初じゃあなかったかな。ゼミの仲間の発表のおぼろ気な記憶。

地方から出てきて、自分の土地の芸能を都会の教育の場にもたらす、ということは、漫画にもあったけど、継ぐことのひとつの面だと思う。反面、どうしても、当地で舞い継ぐ人たちとの齟齬は生じてしまう。それは、仕方ないことと思います。仕方ないことだけど、仕方ないからと居直る、居直り方には気を付けないととも思う。

そう、それで、なんで神楽はならないだろうなと感じたかといえば、うまく言えないけれど、やっぱり、その土地で生きている物だからかなって。同じ郷土芸能のなかでも、その土地だからしっくり来るもの、というか。
根拠はない。
ただ、うーん…よさこいは対極にいる気がする。
誰でも受け入れる、ということがなんとなくしにくいというか。
あと、子どもがパッと見でめっちゃかっこいい!となるものが少ないというのもあるかもしれません。
神楽といえば、「お神楽」浦安の舞?巫女舞のイメージが強すぎる。

あ、花祭は東京でもしてるけど。学校ではない。

基本的には、もぐもぐ咀嚼して、味わう系というか。
都会ではハイカルチャーに分類される感じ。

あえて、もとは宮の神事だから、ということはいいません。神事をルーツに持つのは神楽だけではないし、文化の生まれるひとつの要素として、宗教は大きく作用しているので。


あと、これは石見特有かもしれないし、他を知らないのでわからないけど、本当に神楽をやりたい人は、その土地に残る、あるいは帰る、というのも、あるかなって。

神楽を愛する人で、都会に出てきた、都会で生きていく、だから教育の場で故郷の芸能を伝えていこう!という人の率が少ないんじゃないかという仮説。

まあ、わかりません。本当のところは。
無責任に発言しているだけ。



あと、これは私の持論だけれども、神楽は、一番顕著にその土地が必要としていた祈りを表すから。他の土地に行ったら求める祈りは変わるから。
あと、それを表現するための方法、肉付けをした宗教者が微妙に順番とか土地での重要度とか違う。

だから、同じ「神楽」という名の元に全然違う芸態で全国に分布しているのだと思います。

穏やかに、平和で豊かに暮らしたい、という根本は一緒かもしれないけれど、そこに至るまでに必要とされる祈りは違う。

太陽に恋い焦がれる気持ち、飢饉はもう嫌だという気持ち、祖先を思う気持ち。




わからないけど、だからこそ、現代において、その土地に伝わる神楽の根本を揺るがすような改革は、起こり得ないでしょう。


ただし、なにか、人知を超えたことが起きたとき、失われていたものが復活することはある。
その土地の祈りが戻ってくる。



ぼんやりと、そういうこと考えさせる漫画でありました。
でも、あまりに青春臭いので続きあったら買うかわからないなあ。

登場人物多いし。鬼剣舞やりはじめたら誰が誰かわからなくなるし。なんなら、本物見たいし。

みみくさんのいろいろ

・問答舞「弓鎮守」

東・南・西・北・中央・黄龍の六方の神々に祭司が加護弓と破魔矢を以て、色と人の出生の星と五臓六腑の嗜好を添えて守護神を糺す、話…といっても、なんのこっちゃという感じですが、箇条書きにすると、なんとなくわかる気がします。

東方 木の祖 木句具知巳之命、春の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は青、十干は甲乙、干支は寅卯辰、苦き味わいにて胃の臓を守る

南方 火の祖 天乃御降結之命、夏の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は赤、十干は丙丁、干支は巳午未、酸き味わいにて心の臓を守る

西方 金の祖 金山彦之命、秋の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は黄、十干は庚辛、干支は申酉戌、甘き味わいにて肝の臓を守る 

北方 水の祖 水破乃女之命、冬の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は白、十干は壬癸、干支は亥子牛(丑)、辛き味わいにて肺の臓を守る

中央 土の祖 天乃土結思足之命、四季土用併せた七十二日、色は黒、十干は戌己、干支は丑未辰戌、渋き味わいにて腎の臓を守る


古老の説明の、概略
春の青は、若葉の青々と生気溢れる色、若者の青春とも言える。
夏の赤は、太陽の季節、燃える赤。
秋の黄は、黄金の稔り、木々の紅葉、西方浄土は黄金の蓮の都とも言う。
冬の白は、無色透明の白、野山里を覆う白雪。
土用の黒は、すべての色を混ぜ合わす時に生じる色、土の色。

中央誰やねんって感じはするものの。
色は、五行に則った色、というより、自分達の身肌で感じる季節と色にリンクしている。その方が覚えやすかったとかあるのかしら?なぜそうなったのかはわかりません。まあたしかに、なるほどね!とはなります。

五臓六腑の守護については、東洋医学的な考え方なんでしょうか。ただ、確か古代哲学でも似たようなこと唱えた人がいた気がします。古代ギリシア?○○テレスみたいな名前の人が多い時代。
??ヒポクラテスの四体液説かな?調べたら、記憶していたイメージとなんかちょっと違った。私の取り違い。
ただ、古代ギリシアとかの時代から、万物の根源についてはいろんなひとがウンウン悩んでいた、ということで。

天の鹿兒弓、天の羽々矢?のことも、加護弓と破魔矢だと、たしかにわかりやすいわね…とか思ったり。



そのほか、めも。

・「御神楽」おかぐら
奉納の最初と最後に行う奏楽のみの神楽。

・「塩清メ」
東・南・西・北・中央・黄龍の"六方"を塩で清める。

六方というのが、今までに無いパターン。
ここでは明確に中央と黄龍は違うものということなんでしょうか。
ただ、「黄龍」というものが重要視されているようだ、ということは察せられる。


・「神迎」
舞ではなくて、儀式としてのもの。どっちかというと花祭との共通項ありというふうに感じる。
お一柱ずつ呼んで勧請する系。

・「切り女」
古老曰く"小鼓の精"だそうだけど、口上をさらさらっと見た限りでは、あんまりそういう要素は感じられなかった。チャリではなさそう?



面白いな、と思ったのが、古老が言われるようにかつては文盲多く、口伝えであった、という経緯もあるからでしょうが、口上に出雲弁的な要素による変異がちょいちょい見られること。

たとえば
「切り女」の神歌
千早降る 神楽のげすき[景色] 面白や

「五行」の王一鳴命(東方)の口上
四方之神立 四方の悪魔切(り)すずめ[鎮め]たまわんや否や

とか。
出雲弁は大小浸っていましたから、あーなるよねえ、今もそんな感じで言ってるよねえ、というような箇所がちょこちょこ。

口伝えなら、たぶん文語体ではなく口語体で伝わっていったことでしょうし、ここを正しくというか、大和言葉や文語体にしたら、なんというか…浜田の神楽改正のようになってしまうんじゃないかな、と思いました。もうこれはこれで、伝統だから。
逆を返せば、浜田の神楽改正で詞章を調えた、というのは、こういう方言的な表現や口語体を大和言葉・文語体にすることも、含まれているのではないかと予想されるわけです。




みみくさんは十月下旬の午後に祭礼があって、儀式舞・能舞と獅子舞を行うそうですが、「五行」などはやらないよう。
中央・黄龍とか気になるから、もしいつか、機会があるなら「五行」「弓鎮守」は是非に見てみたいものです。

みみくさんの五行について

出てくるのは、

東・木 王一鳴命 
南・火 豊国主命
西・金 金山彦命
北・水 国狭槌命
中央・土 埴安姫命
日ノ神 思兼ノ神

県の調査報告書の中にある、古老?の話では、「弓鎮守」という問答舞とセットらしい。それはまた後日。

あらすじとしては、兄弟の長姉神、破妥安姫(ハニヤスヒメ?)命は他家へ嫁いで音信不通と考えて、残る四神の兄妹が万物を四つに所領し、国鎮めの舞をしていた。
東方は、木句具地巳の命 春の三ヶ月九十日、色は青
南方は、天乃御降結之命 夏の三ヶ月九十日、色は赤
西方は、金山彦之命 秋の三ヶ月九十日、色は黄
北方は、水破乃女之命 冬の三ヶ月九十日、色は白


そしたら、埴安姫命が自分にも所領を分けるよう言ってきたので、骨肉の争いになったところ、親である日ノ神が出てきて、平等に四季の土用十八日ずつ姉神に譲り、五神が七十二日ずつ所領した。
という、互譲・円満、独りよがりで我儘、貪欲であってはならないと教える舞…だそう。


ここではこれが伝統なのだから、良い悪いとかは言うつもりないけど、うおおおおそうきたかーという感じ。今までに無いパターン。

しかもわりと万葉かな的。
南方は、アメノミオヤかな?

色については、本来と全然違うんだけれど「弓鎮守」を見ると、納得はする。


なんというか、多分なんですけど、ストーリーの出典への正誤よりも、自分達の生活というか世界観にに、近づけることを重視したのかな?とか感じました。
姉神の扱いや、色とか。

でも最後の最後はしっかりきっちり。


ここは、面とか衣装は、林木屋だっけ?貸衣装のところから揃えているそうなので、ビジュアルはそっち。
しかも、四人の兄妹とかいいながら面は十二神将みたいな命面なのでイケメン風味。
埴安は、あの辺りの特徴っぽい男性的な女面。太い眉毛をギッとつり上げて、口も歯を食い縛っているような面相。
日本武の熊襲を退治するときの変装時の面や、ウズメにも用いるらしい?
ウズメ?と思ったけど、そう書いてあった。ちょっと意外。
強い女的な感じなのでしょうか。


あと何かと出てくる思兼さん。


チャリ要素は無さそう。

リフォームしました

500近くあった記事を、150ちょっとくらいまで削って再スタート。

理由は、私の環境が変わったから。
神楽が見にくくなったし、素直に書けなくなったから。

年度が開けてから、体調を崩していることもひとつ。薬を飲み始めてから心身が思うようになりません。


本当は、ここをやめて、新しく作ろうかとも思いましたが、師匠が名前をつけてくれた場所だから、捨てられませんでした。

これからは、今までより調べもののめもみたいなものを入れていくことになる予定。
今まで書いていた他愛ない独り言は、ほとんど書かないつもり。


ずうっと、徒然と気の向くまま素直に書き溜めてきたものを一つ一つ見ながら、記事ごと消すもの、記事は残すけど削るもの、とりあえずそのまま残すもの、に分けていきましたが。

見ていけば、そりゃあ様々、認識とか考え方とか変わったこともあります。調べたり、実際を見たりしているのだから、それは当然のこと。
でも、私自身の、神楽をただただ見たい、空間にいたい、神楽を知りたい、という願いにも似た思いは、今でもずうっと変わらないのに、周りのことや私自身の選択の結果として、それができなくなりました。

今が今までで一番楽しくない。
こんなことになるために、浜田に来たんじゃない。

でも、仕方ない。そういう選択をしてしまったので。せざるを得なかったので。

だから、けじめとして、かなり削りました。


でも見えなくしただけで、記事の削除はできなかったので、暇があったら、パーツパーツで取り出してまとめたいとは思っています。当たり障りのないものについては。


師匠に教えてもらったことは今後も書くつもり。

あと、来月は念願の早池峰さんに行く予定なので、下調べしたこととか。勉強しないと。


ただ、体調によるので更新頻度は上がりません。
すっかり家族になったにゃんこが、本当に健気でいい子なのが救い。にゃんこかわいい。


二年前の私には、こういう展開は予想できていませんでした。
でも、仕方ない。

神楽をきくみる

師匠とお話ししたことメモ。
神楽というのは、主に聴覚と視覚によって捉えるもの、という話。

言われてみればたしかに「楽」という主に耳から入るものと「舞」という主に目から入るものから成り立っていて、どちらかだけでは神楽は成立し得ない。

「神楽の声を聞くぞ嬉しき」の一節
「神楽の声」というのは奏楽や神楽歌だけじゃなくて、祭りの場に人が集まって、わいわいした声とか音とかも含めて、神さまが、ああ祭りだなあって気持ち、嬉しいなあ、ってなるのでは?と思ったのですけど。
師匠にそれをいって、言われて気がついたのは、
それに加えて、やっぱり「見る」でしょう、と。
集まってきた人たちの楽しそうな顔、舞、今年の新物、そういうのを見て、聞いて、嬉しいなあ、なのでは?と。

たしかに、音だけでは、なんぼ楽しそうでも、自分はちょっと疎外感あるというか、嬉しいなあ、とまではならんかも。逆しかり。
あと「玉の御簾巻き上げて」るってことは、視界をオープンにしてるのかな、と思ったり。

オチは別にないんですけど。

奏楽が聞こえてきて、舞を見に行く。なのよね。
神楽を見に行く、というのは、あんまり正確ではないのかな。


なーんて思ったりしたのでした。

空間とか

夜神楽でながはまさんを見に。
ながはまさんは、胴の椅子が木箱なのが味わい深くて好き。あと昨日は締め太鼓と手拍子は座布団なくて正座されてた。
そういえばお祭りのときも正座だった?
笛は今回も幕内。

重鎮の楽が昨日も聞けて良かった。
ながはまさんは、うまく説明できないんですが素で賑やかな感じが好き。マイクを越えた賑やかさ。

師匠たちがいっておられたのは、手拍子は鉦が大型らしいですね。なんかトンカチで叩いて調えたような跡があった。
音響効果とかないのに、横にいただけで耳がウワワーンとなる賑やかさ。だがそれがイイッ
音響効果のやかましさとは格段に空間の雰囲気が違う。細胞で聞く感じ。だから、ながはまさんとか、六調子の地域とか、練習のときが好き。
私個人としては、トランス状態に近づくのはこっちの「素」の音なんじゃないかな?と思います。

あの締め太鼓の軽やかに叩く感じもいいなあー

いまだあの素の賑やかさが、何から来るのかかわからないので要研究。

代表のお話は、なんかいつも、なんといいますか、押し出す感じでお話しされるのですけど、いい人だから好き。単純。


演目は「天神」「塵輪」この二つが多いですね。好きなのでよし。


ながはまさんの「天神」は、菅公は途中で下がって、随身が時平と立ち合いますが、肩切りの衣裳が、剥ぐ前は時平に梅がついてて、剥いだ後は随身に梅がつくのが面白いです。
あとなんか、反対色なことが多いっぽいのと、緑と青が好きと見た。海のいろ?

あと、菅公と随身が舞うとき、採り物をぴったり体に付けていて、そんなもんかな?と思って聞いたら、それがそこの「手」で、刃物を菅公に向けないようにしているのだそう。


あとよく見たらあの神楽幕ものっそい豪華。
師匠曰く、あの意匠、装飾、サイズは、当時のながはまの隆盛や力がうかがえるのだとのこと。

塵輪」は母ちゃんだいすき。あ、でも母ちゃんと父ちゃんで鬼着?が違うことにはじめて気がつきました。父ちゃんはチョッキみたいなの着てる。裃ふう?母ちゃんは打掛ふう?
しかしなんか、母ちゃんはサービス精神多めらしい。悪そうな顔してるのに。

手の所作がいいなあーと思っていたけど、先代の母ちゃんはさらに絶妙だったらしい。映像とかあったら是非に見てみたいな。



「天神」と「塵輪」の幕間で、前代表がお話しされて、はじめて聞くことができてムホホッだったのですが、昭和40年頃のお話、ということなので、およそ半世紀前のことでしょうか。
大体どこもお宮が小さかったから、天蓋のした、いまでいう4畳半くらいのスペースで舞っていて、すぐ近くにお客さんが座って、一体感あったのだと。
やっぱり大阪万博というのは、いろんな点において大きな変革だったのでしょう。

ほかにも、足さばきは摺り足でと教わったもので、とか、うちの社中はこういう所作とか伝統だが、よそはまた違う所作があるからそれを見るのも楽しみ方だろう、とか。
その言葉に嫌みったらしい含みは、私は感じなかった。


そのあとの「塵輪」の母ちゃんのサービス精神だったので、おおおお…ってなったけど、仲哀天皇が、背が高くて、欄間に頭つきそうになったりしていて、ふと、4畳半、という空間は、平均身長低めの昔だからこそ、合理的な距離感、空間だったんじゃないかな、と思ったのです。
ながはまさんの代表や、師匠は、160センチ無いくらいの私がぶつかると、顔面が肩にとど……かないな多分。

師匠の横歩いてても、コンパスのサイズの違いで、師匠の1歩が私は1.5歩くらいだったりするわけなので、おなじ「2歩下がる」でも自然とその幅は違ってくるのではないでしょうか。

ただそうはいっても、なんぼ小柄でも4畳半サイズは、決して広いわけではない。私が休日の7,8割の時間を過ごす寝室も4畳半ちょい小さめなのでよくよくわかりますが。

そのなかで剣、なおかつ昔は真剣や、鬼棒みたいな長い棒やら、幣みたいにふっさふっさしたものやら持って振り回して舞うのですから、しかも周りにはお客さんがいるのですから、安全で、かつ美しく、確かに扱える所作が、いまの「型」なんじゃないかなあと思ったのです。


でも、その4畳半サイズのところだけが、神楽の空間ではなくて、やっぱり宮全体というか、お客さんや楽人含めた全体の空間が、石見神楽なんですよねえ。うまくいえないけど。