舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

神楽歌

宮廷御神楽の神楽歌と催馬楽梁塵秘抄の書き下しと解説の載っている本をゲット
高いけど、こういうのは手に入るときでないと、後悔するから。

パラパラ神楽歌を流し見た限り、思った以上に、全然、少なくとも石見神楽とは共通性がない
なんかもっと、うーん…何て言えば良いんだろう
万葉集的というか、牧歌的というか
もとが万葉かなで書かれてる故の言葉の制約なのか?

でも基本的にやっぱり予祝とか言霊を意識した歌の作りになってるんだろうなと思う。
あと、「豊岡姫」が歌のなかにすごく出てくる。
トヨウケビメ(豊受大神)が一般的ななまえで伊勢神宮に祭られてる。稲作の神だからなのかな

ただ、最後の一節(主に7文字)を複数回繰り返す歌がある

宮廷の御神楽だから、誰もが見られるものではなく、一地方の国学者神職がそこから真似るという可能性は低いように思えるから、繰り返す、ということに、昔の人はなにか意味を持って使っていたのかもしれない。

あとやむにやまれず山城と旧跡、地名に関する本を買って読んでたけど、どこだったかな、石見のどこかの地域で、1500年代に死者の弔いのための神楽「御注連神楽」の記録が残ってるらしい。
この神楽は、ただの採り物舞(儀式舞)の可能性はあるけど、佐陀神能成立より100年くらい前のはなし。
御注連神楽という文化は、だんだんと廃れていって、近年までやってたのは隠岐しかなかったんだったはず。
ある意味、「大元神楽」という文化が浜田とかで行われなくなった、というのと似ている。
そういう主旨だけに特化した神楽は、残っていないかもしれないけど、なかったということにはならないし、何かしらの形で今に残ってる。根底にある祈りとか、もしかしたら演目、神楽歌とかという形で。

でもつまり、その時点で死者供養のための神楽があったということは、単なる「神が楽しむ」から神楽である、という説明は通りにくくなる。死者は状況とかによっては、その時点でまだ神になっていないかもしれない可能性がある。
し、なにより、そのくらいの時代には既に神楽というもの自体はあったと、今度からは自信をもって言えるってことね。

あと、一方で、雨乞いのために「能」を奉納した謂れのあるお宮もあるらしい。
神楽とかではなく、そこは能なんだなあと思って。


あと寺は思ったよりもなんか宗派がバラバラだなーって感じ。
もうそこまでまとめるのはしんどいから、やるとしても地域を絞ってやるしかないかな


すこしずつ、やらないと

本が読めるうちに
昼が子守りでなにも進まないのがしんどいなあ

おざさのさと

面白いこと見つけたからめも


姓氏語源辞典というサイト見ていて

島根における「小笹」さんは、創賜で、「千葉県匝瑳市付近を根拠地とした匝瑳党の中で『小匝瑳』と称して島根県浜田市金城町久佐に来住したと伝える。来住の時代は不詳。」
だそう。
匝瑳(ソウサ)は千葉県の九十九里平野内?にある市で、地名は平安時代から記録に見えるらしい。
匝瑳はオザサ。

「久佐」とあるけれど、明治初年度時点では「那賀郡小笹村」がある。浜田藩領。
いまは金城町七条の小字?
でもそっちの「小笹」は戦国時代に「小篠」の表記で表記が見えるそうだから、久佐の「小匝瑳」が独立して「小笹村」になって、江戸時代になって所轄藩が別れたって感じなのか。久佐村は津和野藩領。
これは金城町史とか見たらわかるのかな。


創賜とは「地名・地形・職業・事物・個人名・合略以外の抽象概念による創姓・賜姓」とのことだそうから、この場合は地名由来と考えて良いのかな。

あとこの土地の「ササ」という特性も無視はできないと思う。

面白いのはここからで、千葉県の匝瑳市の古社に「老尾神社」というお宮があって、物部小事という古墳時代の豪族との関係があるとも言われているそうなのだけれど、その物部さんというのは、大田の物部神社物部氏祖神の子孫にあたる。
ご祭神の宇摩志麻遅命の12世の孫が祭神とも言われてるらしい。
表向きは香取神宮の祭神である経津主命の御子、阿佐比古命だそう。

この物部小事さんは坂東平定の功で下総国匝瑳郡を建てた。
ちなみに、配祀されているのは、磐筒男命・磐筒女命(経津主命の親神)と、国常立命
物部神社は布都霊神(神武天皇から賜った霊剣・出雲国譲りの布都怒志命?)を祀っている(いまは石上神宮のご神体)から、その関係があるような気はするけど、そうなると親神、御子神の説明がつかなくなる。
鍛冶屋かな?
物部神社もまー、神様いっぱい

物部神社の由来に、宇摩志麻遅命は天香具山命と共に物部の兵を率いて尾張・美濃・越国を平定した後、(天香久山命とわかれて)播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し」建国して鎮まったというような内容がある。
つまり、神武東征→都建国→国土平定(近畿辺りから西へ)、時代が下って国土平定(都から東へ)という流れのなかで、物部氏が大きな力を持ってたということかな、まだ勉強不足。

そいで、剣といえば、製鉄は当然くっついてくるわけで。
調べたら九十九里浜のあたりは砂鉄が取れるということで、大戦期とかはかなり乱伐されて、砂や波の被害があって、松原が整備されたそう。

同じ関東は関東でも、千葉のことは全然わからないから勉強になるわ。
というか、地元のほうも、知らないことしかない。

砂鉄マジ採れる、以上!のレベル



あと関係は薄いかもしれないけど、オザサで調べるなかで、浜松出身で浜田藩藩医であり儒学者国学者の小篠 敏オザサ ミヌ(1727~1801)というひとがいるというところに行き着いた。
参勤交代についていったり、本居宣長とも親交を深めたり人らしい。

いろいろ調べてみないとなんとも言えないけど、ようするに浜田辺りの土壌は、もともと記紀神話とか儒学とか国学が「遠国」のわりには造詣が深かったのかな。
他を比べたことないからなんとも言えんけど。
他もそんなもんと言えばそんなもんなのかもしれないけど。

まあなにかのネタの一つになるかもしれないからめも。

土地の歴史について

正式な資料として使うには、Google先生はダメで、国土地理院の地図を使うわけだけど、マッピングするのに、精度としては大字くらいが限界で、最後の一押しは自力で調整する必要があるのが最大のネック。

地理の整理をしようと思ったら、明治初年の村名(今の小字くらい)はWikipediaに載っているので各郡史とかペラペラしなくてもわかる。明治22年の市町村制施行からはパラパラ地図にまとめられているので、それも平行して使えて便利。

神社については住所を拾えるところは大方マッピングもしたのだけれど、一つの小字・大字内にいくつもあった場合、正確な位置は結局Google先生見ながら調整しないといけなくて、マウスで手が吊る。
しかも残すは匹見と吉賀町!というところでネットが落ちて全部おじゃん。あーあ

そのうえ島根は長すぎて画像保存するにしても画面に収まらない。

デスクトップ欲しい。


大森代官所所轄領(幕府領)は、美味しいところ(要所)にいる。わかりやすい
安濃郡、邇摩郡は全域
邑智郡は銀山に接する辺りと久喜(銀山)のあたりが中心
那賀郡はたしかあんまりなかった。
で、なぜか美濃郡の、ごくごく一部、益田のほんの少しの地域だけが幕府領。津和野も鉱山あるけど、直轄領だったか、違うか忘れてしまった
あと、思ったより仁徳天皇祀っているところがあったから、その謂れは調べる予定


何がしたいのかといえば「なぜ石見神楽にスサノオが重要なのか」の立証してみようかと思ったのだけれど、今まで絶対面倒なことになるからと避けていたタタラにどうしても行き着く。
あああ…沼ズブズブ


江津は江の川、益田は高津川、浜田は浜田川か周布川が重要なパーツなのだけれど、自分の仮説だと、浜田が浜田川なのか周布川なのかでちょっと結論が変わってくる。
地質学まではちょっと無理…

そしてとりあえず大田はやっぱり特殊。


あと、ご祭神整理していて、国常立命の大元神社と、天御中主命で大元神社としてるお宮があって、何かな?と思ったら、吉田神道に関連があるっぽい。たぶん
ヤハウェとか出てきてなんかよくわからん
ともかく明治期の整理に伴う結果が大きいようだから、もしかしたら神職のポジションというか、スタンスというか、そういうのも多少垣間見れるかもしれない。

あとは熊野三山に関連すると思われるお宮がすごい多いのだけれど、そもそも熊野三山にめちゃくちゃたくさん祀られてるから、本当にその系統でくくって良いのか謎。
ただ、タタラ関係含めて「国津神」系統が多いのは確かだと言って良いと思う。
謂れや名前から察するに、まつろわなかった神もまあまあいる

あと妙見社?系統もそこそこあるんだけど、まだ不勉強。

逆に、そうじゃないお宮は何故そこにあるのか?という新しい疑問は出てくる。

草木国土悉皆成仏

確証はないけどなぜこれが「大陸で生まれた思想なのに日本でのみ広く受け入れられたのか」

ただのアニミズムではない

「鹿島・香取の二神が、服はぬ国津神・草木石類にいたるまで平定」した。この言葉にヒントがある


世阿弥は「そっち側」の人だったからこそ、「そっち側」の鎮魂のための能を確立したのかもしれない。
勝者でなくても救われるために。
だから、「能舞」もまた、広く受け入れられた。

一方で、権力者はそれを利用したのがまた皮肉。
いや、そうされることを目的としていたのかもしれない。

結果的に長い時間をかけてひとつの文化として根付かせたのだから


単なる「草木国土全て帰依すれば仏の加護により成仏できる」優しさではない
そもそも救われる前段には必ず、悲しみや恨み辛みがある


実は、疑問というか、真に腑に落ちてないことなんだけど、繰り返すということでなぜ鎮魂になるのか
懇ろに弔う祀りの意味はわかるけど、謡曲、神楽として舞い続ける意味は?
本当に、あなたを忘れてませんよ、だけなのか?
本当に、神仏の威徳をわかりやすく説くためだけなのか?
あるいは、見せしめか
いずれにせよ元々の存在意義がプロパガンダではある。
いまは違っても

でも、「悉皆成仏」のなかに鬼は含まれるのかな
神は、含まれているけど。
ずいぶんと長いこと能を観てないから、わからないな


「庶民」に「勧善懲悪が愛される」ことについて考えたときに薄ら寒い気持ちにもなる。

本を読めるようになったせいで、うっかりと、知らなくても良いこと知らない方が良いことにまで足を突っ込んできている気もするし、一方で、「いままで」を打破するためには触れざるを得ない気もしている。
でも人は、触れてほしくない、あるいは受け入れられない、不都合な真実もある。

難しい


あと、本で得て考えること以上に、実際はもっと複雑でもある。
そこに住むヨソモノだからこそ、無神経になるべきところもあるし、無神経ではいけないところもある。



祭る・祀る→まつる→ぐるぐる巻きで動けなくする(例:まつり縫い)
担ぐ→ヨイショしておだてる

という意味を含むというのも、いろいろ考えさせられる点なのでめも。

わたしの実家の周りは神楽よりも御輿文化
激しいものも多い
砂鉄がとれる土地でもあるし、うちも含めて(血は知らんけど)「家」は武家が多い土地でもある
まあ、ヨイショの文化は強いよね。どこでもそうか
ヨイショしなきゃ生きていけない社会的動物なんだとも思う。

そういえば、島根では砂浜が白いから、実家の方は砂鉄多いけ、砂浜は黒いし、熱伝導良すぎて夏は裸足でなんか歩けないし、理科の授業では棒磁石もってみんなで適当なとこで地面にくっつけて砂鉄をとるんだと、言ってたけど
自分は何気なく言ってたことだけど
「砂鉄が当然のようにとれる」ということでできた歴史があるということは、覚えておかないといけない。


…でもなぜこんなに祭りの様式が違うんだろう

うまれきよまりについての若干の考察

せっかく今ごろになって始めたポケモンGOで楽しく歩いてたのに、昨今はそれもなかなか難しく、その代わりやっと短時間なら読書できるようになったので、母に大昔勧められていた高田崇史先生の本をいくつか読みました。

かなり、深く研究されていて、いうなれば研究論文として書かれても良いような内容を、あえてフィクション小説という別のハコに入れて書いとられるみたいな。
気になったテーマのものから読んでるので、登場人物のストーリーはなんのこっちゃ状態ですけど、いろいろ示唆に富んでいて非常に面白いです。

ポケモンは友達曰く「初等教育以下レベル」で、幼稚園の時覚えさせられた名前を羅列した呪文みたいな歌の一部しかわからないし、高田先生の本は大学の頃から勧められてたから、どちらも「今さら」といわれるけど、私にとっては、「今」がその時だっただけ。
タイミングが違ったというだけ。


今手元に確かめられる文献が何もないので、細切れの記憶が頼りで、内容は正確ではないでしょうから、あくまでも思考の断片のメモですが。


神楽執行の目的として重要な要素である「生まれ清まり」

これは、奥三河が一番よく例として出されます。
というのも、折口信夫とか力ある人たちがフィールドにしていたのが花祭だし、その文脈でその単語を使ったからなのでしょう。

ただ、とある一連の儀式はひとつの定型として存在していて、いろいろな芸能、神楽のなかに見えかくれしている。
誰が見てもそうだね!といえる状態で行われるのか、何重ものベールに包まれて複雑な状態で行われているのか、という多様性のなかで、たぶんまだきちんと全国的な視野で整理はされていないのかもしれません。
あるいは、今現在においてされてるのかもしれないけど、まだ私がそこまで追い付いてないのでしょう。

いずれにせよ、大元神楽牛尾三千夫みたいな感じですね、とか思ったり。


話が逸れた。


三河の花祭については、今ではもう行われないけど、かつて祭りのなかで、すごく簡単にいえば、病を患う人や厄年といった、普通より死に近い人たちが、死装束で、集落を流れる川を渡り、「白山しらやま」という方形の建物に籠る「白山入り」をする。どちらかというと修験~仏教的な儀式があったといわれています。

この擬死再生の儀礼こそが「生まれ清まり」
そしてその源流にあるのは、白山信仰である、とも。

ところで、花祭りの鬼「山見鬼」がマサカリで山を割り「榊鬼」は村人を救い出したから、ここでは「鬼」こそ神だし、「榊鬼」には角がない、だったような記憶があるのだけど…この「山」というのは「白山」のこと。
今ではあの土地の山?たしかにしんどい山だけど何故?とか何となく調べないまま引っ掛かっていたことが、本に書いてあって、ようやく自分のなかで納得できたのでした。
やっといろいろ繋がった感じ。



実は石見での儀式とか共通項とかもいろいろ考えて師匠には捲し立てたんだけど、今たしかなソースを出すことができないから、まだ温めておくことにします。



いずれにせよこの「生まれ清まり」というのは、なにも花祭に限ったわけではないのだけど、では逆に何故「生まれ清まり」が神楽において重要なのか、そこの疑問に対してしっくりくる答えが、今まで見当たらなかった。

魂を振るわせ次の一年への予祝であるといえども、どうして、尋常ではない行為をもってその儀式を行うんだろうと。
何故よりいっそうしんどいことをするのか?と。


私が、高田先生の本を読みながらはたと思ったのは、一番原始的で、根元的な理由は、「死者の復活(再生)」という世界共通の思考、願いからくるのかなということ。

死という不可避の恐怖を乗り越えるための方法。

キリスト教も同様の思考がみられます。
仏教も勿論当然ある。それだけではないでしょう。


仏教のニーズの変遷とかから考えると、もしかしたら最初の最初は、純粋に「死者の復活(再生)」が目的だったけど、段々時代が下ってきて、「いま生きている人」に対しても目的が広がってきたのかな、とも思ったりします。
いま生きている人たちの活力の復活、次のステージに向けた再生、みたいな。極楽浄土から現世利益までみたいな。



大元神楽では、いまは託宣云々かんぬんが注目されがちだけど、私が昔調べたときはどちらかというと大元神(祖先)の神上げの方が目的のウェイトが高かったような印象があります。思い違いかもしれませんが。

その神上げについても、そういう言葉としてしか考えてなかったし、なんか難しいわあ思ってたけど、もっとシンプルな話で、祖先という死者を「神」として復活(再生)させる、ということなのかなと。

いままで難しく考えすぎてたのかもしれない。
何層にも渡って積み重なってきた地層の表面に立っているから。

先駆者の言葉や研究は重要だし、ありがたいけど、その単語単語に縛られやすくもなってしまうから、論文だけ読んでればいいってもんでもないなあと改めて思わされたりもするわけです。

まあでも人付き合いは人付き合いで疲れきってなにも考えられなくなってしまったわけだし、どうしたらいいんだろうかな

さよならは、いつまでかわからない

一体いつからなのか、なにがきっかけなのか、わからないけれど、多分きっと、このブログが途切れがちになった頃からでしょう
神楽への思いと裏腹に疲れてしまったのは
神楽を伝え守るのはひと、ひとなくして伝統はないのに、そのひとに疲れてしまった
疲れてしまった
なにも気力が出ない
誰も信じられない

本を読む気持ちにならない
神楽が見たくない
知っている人にあいたくない誰にも知られたくない
いなくなりたいしにたい
いつからか、いままでずっとそこから出られない
眠るのが怖い夢を見る
いつも怒鳴り声冷たい視線罵詈雑言陰口破壊事故
怖いもの全てを毎晩体験する
ひとがいなければ、わたしがいなければ、なくて済むものばかり
薬は苦いだけ
憂鬱も悪夢も癒しはしない肉体に鉛乗っけるだけ

神楽が好きで、本を読み漁り、出かけ、心踊らせていた日が恋しい
くるくると妄想広がらせていた時が恋しい

なんでもあるところにいったはずなのに、なにもなくなった
あったものも全てどっかいった

わたしは能力ないから
学もないやるセンスもない学のための金もない
なんにもなくなった

なにもたのしくない
しにたい
それも面倒
ただただ布団に転がる

わたしのなかの引き出しはぐずついたりどこかへこぼれ落ちたりした長らく人と話さないから本音を忘れた全て忘れた語彙も消失した

人として退化しているなにもいらないあっても仕方ない
ミミズの方がわたしなんかよりよほど働いてるし、世の中のためになってる



でも一人語りがしたかったんじゃない



しにたいしにたいと、でもしにいくために、布団から出ることがしんどくて、ただ布団の上でしにたいしにたいと悶えていたら
ふと、福岡先生の動的平衡の講義の話を思い出した
唐突に
大学とは、大きな人の話を学べる良い機会だったのだとことあるごとに思い、当時としてはベストな受講編成していたからこそもっと貪欲に前のめりに吸収すべきだったと痛切に思う
あのころ、無知を知ってるあのころ、スポンジのように吸収するエネルギーも若さも情熱のあったころ


先生は、穏やかに話すから、とても難しい話を優しく、論理的に、ときにユーモア交えて、わかりやすく説明してくれてたのだろうと思うのだけど、睡魔に負けがちだった
でもいまでも覚えてる話
たしか、砂の像の例えがあったと思う
なんとなくビジュアルイメージでの記憶だから言語化するのが、難しいけど

わたし、という人間は外部から食物などの細胞を組み込み、古いものを排出しながら、最期がわからないまま、交換し続けて、わたしという肉体を作り出している
細胞はかわってもわたしはかわらない
…でもかわらないけど、年を重ねるごとにその見た目はかわっていく
それも、きっと細胞がしてるんだと思う

難しいけど、腑に落ちることだった

すがりたいあのころのわたし、いまのただのゴミクズのわたし
全てかわってしまった。その短くて長い年月のなかで、すっかり細胞レベルでもかわってしまっているんだと思うと、少し気が楽になるような、かわった自分を諦められるような気持ちにもなる

もしよくなれば、そのときも、細胞レベルでかわる


伝統芸能も民俗芸能も、動的平衡なのだと、薬飲んで眠くならないくせに口のなかがひどく苦くなる疲れた頭で思う

人間は数年のスパンでのことだけど
あれらは、人の人生くらいのスパンで、動的平衡を保ち続けることで存在が保たれる
多分、アイデンティティーなんかもそう

ひとという細胞の交換を続けながらいままでいきてるんだ

良き細胞も悪い細胞も取り込んで肉も取り込んで咀嚼をしながらひとつのかおを作ってる

そういうことなんだと、ふと

鬼踊れ!読んだ

東京で、郷土芸能部つくって、頑張る青春物語……という、普通だったら1mmも触らない漫画だけど、岩手の鬼剣舞と、鹿踊だったから、とりあえず3巻までごそっと買って一気読み。

鬼剣舞とぷりちー鹿踊の描写が大変よかったです。
ぷりちー鹿のビタンビタンとか、萌ポイントが押さえられている素晴らしい漫画。

鬼剣舞なのに、タイトルが踊れなのはちいと不服ですが、言葉のリズム的なこともあるんでしょうか。まあそこはいいけど。


多分これは、石見の人なら、ある程度の共感をもって読めるところもあるのかなと思いました。
郷土芸能への愛と在り方、心の持ち方とかの揺らぎ。


私はゼミの合宿で見たきりなのだけれど、事前学習の発表で初めて見たなんだこりゃ!と、実際に現地で見たなんだこりゃ!!!の感覚を、鮮明に思い出しました。ブワッッときた。
そのときの自身、そして初めて石見神楽を見たときの自身もまた、登場してくる青春ボーイズたちと同じ顔、心持ちだったのだろうなあと思って、口のなかがしょっぱくなる。今はもうどこかに置いてきちゃったから。

今回の旅ではほぼ確実に見られないけど、また見に行きたいものです。



興味深かったのは。
一つは、東北、なかでも岩手は芸能どころにもかかわらず、あえて鬼剣舞をメインにしたところが、北上において感じた鬼剣舞の絶大な人気と、あとまあおまけで鹿踊、虎舞、そしてよくわからないなけどついでに神楽、という序列をある意味で忠実に描写してること。
北上とその近辺?には修験道の色が濃い大乗神楽があるんだけれど、本当に全然神楽熱が感じられなかった。観光協会ですら、えーーーと、花巻市に行かれたら詳しいことわかるんじゃないですか?という感じ。いやいや、和賀とかやっとんさるでしょ、と思ったくらい。
今は、どんな様子かわかりませんけど。

私は私で、ぷりちー権現様の印象が強すぎるので、偉そうなことは言えない。

二つは、題材が、あえての岩手、あえての鬼剣舞であったけれども、神楽はきっと題材にならない、ということ。
神楽舞のひとつとされる中野七頭舞だったかな?は、東京の学校でやっとられます。それも、土地にゆかりのある人が東京で始められたのが最初じゃあなかったかな。ゼミの仲間の発表のおぼろ気な記憶。

地方から出てきて、自分の土地の芸能を都会の教育の場にもたらす、ということは、漫画にもあったけど、継ぐことのひとつの面だと思う。反面、どうしても、当地で舞い継ぐ人たちとの齟齬は生じてしまう。それは、仕方ないことと思います。仕方ないことだけど、仕方ないからと居直る、居直り方には気を付けないととも思う。

そう、それで、なんで神楽はならないだろうなと感じたかといえば、うまく言えないけれど、やっぱり、その土地で生きている物だからかなって。同じ郷土芸能のなかでも、その土地だからしっくり来るもの、というか。
根拠はない。
ただ、うーん…よさこいは対極にいる気がする。
誰でも受け入れる、ということがなんとなくしにくいというか。
あと、子どもがパッと見でめっちゃかっこいい!となるものが少ないというのもあるかもしれません。
神楽といえば、「お神楽」浦安の舞?巫女舞のイメージが強すぎる。

あ、花祭は東京でもしてるけど。学校ではない。

基本的には、もぐもぐ咀嚼して、味わう系というか。
都会ではハイカルチャーに分類される感じ。

あえて、もとは宮の神事だから、ということはいいません。神事をルーツに持つのは神楽だけではないし、文化の生まれるひとつの要素として、宗教は大きく作用しているので。


あと、これは石見特有かもしれないし、他を知らないのでわからないけど、本当に神楽をやりたい人は、その土地に残る、あるいは帰る、というのも、あるかなって。

神楽を愛する人で、都会に出てきた、都会で生きていく、だから教育の場で故郷の芸能を伝えていこう!という人の率が少ないんじゃないかという仮説。

まあ、わかりません。本当のところは。
無責任に発言しているだけ。



あと、これは私の持論だけれども、神楽は、一番顕著にその土地が必要としていた祈りを表すから。他の土地に行ったら求める祈りは変わるから。
あと、それを表現するための方法、肉付けをした宗教者が微妙に順番とか土地での重要度とか違う。

だから、同じ「神楽」という名の元に全然違う芸態で全国に分布しているのだと思います。

穏やかに、平和で豊かに暮らしたい、という根本は一緒かもしれないけれど、そこに至るまでに必要とされる祈りは違う。

太陽に恋い焦がれる気持ち、飢饉はもう嫌だという気持ち、祖先を思う気持ち。




わからないけど、だからこそ、現代において、その土地に伝わる神楽の根本を揺るがすような改革は、起こり得ないでしょう。


ただし、なにか、人知を超えたことが起きたとき、失われていたものが復活することはある。
その土地の祈りが戻ってくる。



ぼんやりと、そういうこと考えさせる漫画でありました。
でも、あまりに青春臭いので続きあったら買うかわからないなあ。

登場人物多いし。鬼剣舞やりはじめたら誰が誰かわからなくなるし。なんなら、本物見たいし。