舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

かぐらということば

「神楽」という言葉について。

 

まあまずは、お決まりの本田大先生のお言葉よりまとめますれば、民俗学における民俗芸能の部類に振り分けられ、「神楽」だけではなく「田楽」「風流ふりゅう」「祝福芸」と呼ばれるものも含まれている。

 

うーんと、地域地域によってなんかいろいろ違いがありすぎるので民俗芸能という言い方をしているのよね。

対義語は伝統芸能でいいのかな…民俗芸能の対極にいるのは能、狂言、歌舞伎、文楽あたりかなあ。

都市部で整えられているのが特徴なのかな?

流派はあるけど、それぞれ明確に統一されている。

能楽流派の大御所、観世流は、観世さんじゃない観世流もあるし、地方に観世会みたいな…えーと支店的な…団体があるけど、観世流におけるルールがあるわけで。台本とか解釈とか謡とか。

流派別に謡曲を見てみるとか、オタク心をくすぐられるのだけれどそんなことしたら破産してしまう。

あ、華道、茶道も当てはまるのかな?

 

民俗芸能は、なんか形とか表現の仕方がどこ向いても違うんだけど、どうやら信仰とか宗教者とかが関わって、地元民エッセンスも加わって継承されている芸能…まあ、お祭り、みたいな感じ。まだあんまりきちんと調べてないけど見た感じそんな気がする。

石見で見られる笠鉾だっけ…あのかわいくてでっかい派手なやつ、あれは風流だと思われる。

祇園祭とかもあれ風流で気合い入れすぎちゃった感じ。背景には、切実な祈りがあるのだけれど。

でも両者はなんかちょっと表現の仕方が違う。

という具合。

 

んで、神楽の何がややこしいって、どこからどこまでが神楽って範囲やねん!ってとこなのだと思う。

というのも、その「神楽」という分類そのものが、民俗学者が研究のために便宜的にそういう引きだしを作って、その中にいろいろな要素をぶっ込んでいったものだから。

 

どこまで正確に言えるか自信ないけど…

神様の前に氏子や血縁集団やら、その神様に関係する人々が集まって、舞庭を定め、祓いきよめてから神様をお迎えして、神と人とが饗宴する…それが一年の区切りとなる一連の行事なのだけれども、頭からお尻までどこをとりだしてもそれは「神楽」のくくりに入るのだと思っています。

 

資料によれば神職による「なにか全貌はよくわかんないけど奏楽のみの一連の動作」も神楽として祭式の一つにあるみたい。

神様の前に神職が氏子や参拝者の代表として神様に捧げ物をしておられるので、という理由でいいのだろうか…もう少しここは勉強してみないといけないかも。むずかしー

 

ということなので「大元神楽」というのも、邑智郡と桜江の六調子神楽の舞だけを指すわけではなくて、大元神信仰に基づく神事を含む式年祭全体のことを本当は指してる。

ちょっといまフォーカスが舞よりにしぼられている気もしなくもないのだけれども。

まだあまりみてないから何とも言えない。

 

花祭なんかどこにも神楽とも舞ともくっついてないけど、神楽の引き出しの中に入っているし、湯立神楽の代表格として研究者は大好き。

 

あ、あと宮中の御神楽とかなにしているんかわからんからわからん。けどそれも神楽。

 

そんなこんなで、なんか、お片付けをするにはこまごまと小物類が多すぎたから全部引き出しに入れましたってかんじ。

 

昔の記憶なので、誰の何の資料かも覚えていないけど、いまだいたいの人がイメージする「神楽」はイコール「舞」としてかつては区別して認識されていたと。

道行や所作など舞法が存在するものは「舞」。

舞は舞でも儀式的な舞があるので、謡曲の影響を受けただなんだでおもしろげなのは能舞といって、またちょっと区別してるんですよね。


 

まあ、そういうことになると「神楽」ってなんやねん!といわれると、なんだか正答ってないんだなあ~と思いますね~

模範解答もなんかいっぱいありそうな感じで。

 

だもんで、私は「神楽って何?何が楽しいの?」と聞かれると、「なんかよくわかんないものだけどその場にいるとなんか楽しい」と答えるのであります。

まあ、9割以上こいつ馬鹿にしてんのかって顔されるんですけどね。

だってよくわかんないんだもん。