舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

いろいろ妄想中

いま妄想中なのは…

いち、四方と中央。神楽の根底はここにある。
四方から中央へ、回転動作を伴いながら繰り返すのだけれど、地固めとトランスへの誘導が主な目的。
でもなんでこれが全国共通なのかな。どこの信仰とか思想が大本なんだろ。
地固めは禹歩だから、メイドイン大陸。
回転動作っていうのは世界共通。
なんか不思議よね。世界中のどこかで誰かがすごーく昔に、地面踏んだらいいよね、とか、あれ?回ったら神が憑依するぞ?って思ったってことよね。そんなみんなグルグル回ってたんかいな。

うーん…やっぱり文化の通り道から考えると熊野辺りかな…………難しいところだなあ

に、頼政・頼長考。なんか「頼政」は好き。でも普通の猿がいいな。
私はたまたま、能の「鵺」とか「頼政」が先に好きだった。あのやりきれない感じね。フランス映画もびっくりよね。ふたつとも滅多に演じられないので見たことはないのですが、映像で見たやつは本当に鵺の顔が悲しそうで、なんかこっちも悲しくなっちゃったです。
石見神楽における「頼政」の興味深いところは、「鵺」の前日談として「頼政」が存在していること。本来の謡曲頼政」は、そんな頼政の成れの果て。あの頼政が、こうなった、みたいな感じ。それを考えながら神楽みてるとちょっと切なくなる。
台本を作ったひとたちは、謡曲の「鵺」「頼政」を理解した上で、石見神楽の演目に源頼政という人間はよい題材だと思ったのでしょう。でも謡曲のままでは人にはウケない、うーんと困ったな…で、未完成なままなのかなって。

頼政の行き着く先を考えたら、神楽の頼政は、出世欲のムンムンな若者―壮年くらいがいいかな。おじいさんではないし、高貴な風でもちょっと違う。

えーと。
頼長さんは、かなり妄想しがいがあるんですねー。
悪左府とまで言わしめた藤原頼長はどんな人だったのか。
世間知らずの頭でっかちで、頑固でまっすぐ。純粋ですらある。
でも歌を詠むのは苦手だったらしい。なにそのギャップ萌。
同級生でいたら、ちょいちょい面倒くさくてウザいかもしれないけど、信頼を勝ち得たら多分普通にいいやつ。

さん、塩。母親に聞かれて思ったことだけど…
なぜ塩をまくのか?塩の祭祀における役割ってなんだ?と思ったときに、禊というか…邪を祓う役割があるのかなと思ったの。塩を盛るとかそういう風習が自分のなかにないのでよくわからないのですけれど。
とにかく、もし、塩が邪を祓う力があると考えられていたのだとしたら、「塩祓」が四方祓いでありながら「塩」の字を当てられたのもわざとなんじゃないかなって。
言霊じゃないけどさ。
どこか、海水がそういう祓うためのものだととらえられてるところもありますよね。海水も塩。