かみさまをさがしてます。
好きな…というよりふっと出てくるワーシップに「God will make a way」がありますけど、そう思える日まで、まだ時間がかかる。
神頼みしたくないから、自分の神のところへは行かない。というか、システムとコミュニティがやっぱり好きになれん。行きたいときに行けないっておかしいやろ。神楽の神様のところへはご挨拶に行くけど、今なんかよくわかんない。祈っても祈らなくても神楽のない日は深く眠っているようだ。
神様難民だわ。
神楽のショー化、神楽のショー化といいますけど
じゃあ、ショー化させたのは誰だ。
神への祈りを必要としない世の中にしたのは誰だ。
周りの人間じゃないか。時代じゃないか。
ショー化したなんて、言うのは簡単。
でも、ショー化させても生き残りたかったんだ。
祭りだけじゃ生きていかれなかったんだ。
見世物にさせたのは、誰だ。
万博で、大蛇をたくさん出せって言ったのは誰だ。
周りの人間じゃないか。
それに応えられるものはたしかにあった。
人も神楽も柔軟性をもっていた。
そうしなきゃ、生きていかれなかった。
閉鎖的でもとりあえず生きていかれる土地もあるけど、変えなければ生きていかれない土地もある。どっちが正しいとかじゃない。
もちろん、勘違い君もいる。
おーい道が違うよーっていいたくなるとこもある。
でも、地域や神楽の大きなくくりじゃなくて、もっと小さい団体という単位でいわないといけない。
舞子の心根を見つめないといけない。
でも、
勘違いさせたのは誰だ。
助長させたのは誰だ。
周りの人間じゃないか。時代じゃないか。
あっちはショー化したという人たちは、じゃあ常に神と共に生きているのか。真摯に向き合っているのか。本当にその神楽は神楽なのか。本当に変えていないと、舞を化石のように大事に抱えて守っているというのか。人も神も本当にその神楽と祭りを楽しんでいるのか。楽しいのは酒宴の方じゃないのか。
私にはわからない。よそものですから。
でもそっちの地域のほうがお宮が荒れていたりする。
なんか、腑に落ちないんだよな。
誰か私を納得させてよ。
それだけ通説なら、きちんと論理的に教えてよ。
記念すべき100記事目ですけど…
なんか急にいらっとバロメーターが上がったので叫ぶ。