舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

龍と大蛇

今日も今日とてゴーゴーウェストで、江津へ髪を切りに。
そして、川を北上して甘南備寺へいったら、わざわざ本堂を開けてくださったりして、すごいなんかラッキー。
どうにかして記録する必要ってあるよなあ。
残念ながら衰退していく土地なのだと思う。どうにかして残さないといけないんだけど、どうしたらいいのやら。力不足。


ででで、甘南備寺さんは、桜とか鎧とかが有名ですが、実は絵天井が見事。
多分100年は前だろう、とのことでしたが、非常に鮮やかな青。美しい。激しく、でも静謐で、写真を撮るのが憚られた。
岩からできた顔料かな?なんかそんな感じの、すごく水っぽい青。

左右に二匹の龍がでかでかと踊っていて、んーと…まあよくある鳴き龍系統のお顔なんだとおもいますが…
ひとりじめやーん!とか思いながら、ずうっと眺めていましたら、木彫りの蛇頭って、これを立体化したものなんじゃないかな?と思いましたのです。

眉毛?目蓋?のディテールとか、口の反り上がりとか。
恐ろしいんだけど、どこか愛嬌のある。


そこで思ったんですが、
龍は、霊獣よね。
水や雨を司り、時には災いをなす存在でもあり、丁重に祭られる存在でもある。
お宮とかお寺にも積極的に取り入れられる。
守り神的な意味もあるのかな?


白蛇は神の使いと言われたりしますが。
大蛇って、ひたすら大蛇ですね。
仏に帰依して龍に変化するとかそういうわけでもなく、神というわけでもなさそう。
奥出雲のあたりでは、頭を埋めたところにお宮をたてたり、大蛇が傷を癒した湯とかもあるんですけれども、その後改心していい蛇になりました、とかも聞きませんね。
まあ頭もがれてるからどうしようもないのか。

古来のひとが持ち続けた「蛇」というイメージから脱却することなく、ただひたすら恐ろしい怪物とスサノオの英雄譚で終わってて、しかもそれをひたすら現代において繰り返され続けている。


大蛇はなぜ龍になれなかったのか、というか…
龍もそうですが、鬼とか、恐れられるものって二面性を持っていて、善い面と恐ろしい面両方の伝説が伝わっていることが多い気がしますが、大蛇は聞かんなあと思って。

あ、温泉教えてくれたくらい。
それも、教えてあげるね、って大蛇が村人に言ったわけではなくて、わあ大蛇が傷癒しちょーよ、って発見しただかだったような。
ていうか、傷癒して大蛇が元気になって困るの村人やん。
そこ温泉を喜んでる場合じゃないんでないの。

まあ出雲のオロチたんは確かにかわいいけどさ…


なんとなく不思議だよなあ。



まあともかく、そんな大蛇を神楽にしようやと。いったいいつ頃なのでしょう。

県東部のおろちさんは眼が8つの赤ら顔で酔っぱらいのおっさん顔で、国境の地域は特に多少影響を受けていたはずですが慶応年間には大田でもしっかり「蛇頭」になっていますから、形状が成立したのはもっと前でしょうね。

それで、多分だけど…参考にしたのは、お寺の天井絵なんじゃないかなあって。一番身近っぽい。

どうなのかなあ。


たまにおもうけど、全国津々浦々想像上の動物だとか見たことのないものにたいして共通認識を持っているのってなんか不思議。



とにもかくにも、大変よい機会でした。

でもお寺のお作法がわかりません。困ったな。