舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

宮城


震災と宮城の無形民俗についての論文集みたいなのを少しずつ読んでいます。
嵩高紙なのかな…論文みたいなカタイのでも、物理的に軽くて読みやすい。宮城の製紙工場かなあ。


浪板虎舞を、誰か書き残してください。


根こそぎ、地表のものはほとんど流されて、行政区画も崩壊した地区で、たまたま、虎舞の道具はほとんど無事だったのだそう。
偶然、しまう蔵を移していたんだったかな。

建物の土台に使われていた鉄筋が、細い針金みたいにねじり切れていたのを、いまも覚えています。
数メートル離れて、ちょっと高台にあるおうちは建っているのに、ちょっとの差で跡形もなくなってしまうんだなって。陸にうち上がった船もみました。

コミュニティが崩壊してしまった。みんな被災してる。元通りになんて、ならない。でも、虎が、残った。
これを受け継ぐことが私の残りの人生の使命なんだと、突撃訪問をさせてもらった先導役の方が仰っていたのでした。
公民館の館長さんだったかな。
この本と同じなら、館長さんも、おうちが流されてしまったのかな。

先導は、ひょうきんなんだけど、手練れしかできない、重要な役割なんだって。
チャリみたいなものかな。
そしてその本当の姿はサルタヒコ。

獅子がなぜかあの三陸沿岸は虎なのよね。
豊漁祈願ですが。

大船渡辺りとまた違って、なんか…あれ、中華街の麒麟獅子みたいなやつにもちょっと似たアジアなにおいがしたような覚えがあります。すっごくキュート。
そのあと国立劇場で公演があって、一緒にフィールドワークした友達といったけど、泣きそうになっちゃったのでした。

なんていうか、それでもその土地で生きていくための、命を、虎は支えているんだなって。
虎、民俗芸能。神楽。


いまどうしているんだろうな。
館長さんお元気かな。
どうか、誰か、書き残していますように。

あと、どうもお正月かなにかに鍾馗の掛軸をかけるらしいです。ふむむ。



論文のなかで、内容をざっくりまとめると、彼らは、高度経済成長などの人口流出の時代においてもそこの土地で生きる選択をしてきた、そこには地縁血縁、目に見えないものの繋がりがあるから、都市部の人間には理解できないがなによりも最重要事項として「祈り」がある、的なことを書いていて、んー…それは私も感じるなと思ったのでした。

そして、キツい土地に神楽が現代においても息づくのは、やっぱり「祈り」があるんだろうなあと思うのです。

そしてそういう土地から見てみれば、島根は比較的平穏というか…川の水害とかはありますが…
でも島根は、かくりごとへの意識が強いというか…そっち見る機会がすごく多い。あれかな。中国山地で都市部との隔たりがあるから、醸成されたのかな。

だから、時代やその土地その時ある技術に沿うよう「斬新でカッコいい」方へ神楽を進化させる余力があったのかもしれませんし、それゆえに「祈り」より娯楽性にフォーカスを当てられるのかもしれません。
わたし個人の見解では、ある一定の時代まで出雲もそうであったと思っています。
でも箱庭のような出雲、自家生産がもっぱらであったことでしょう。
隠岐はまたちょっと特殊。


なんとなく、それでも共通するのは、伝統を守ろう、継ごうという心と、その時手に入る最良のものを神に捧げたいという気持ちなのかなともおもったりするのです。
それが、どうしてもやれなくて、できあいの簡素なものでも、それでも神へ、という気持ちがあるのなら、神様はやっぱりどんなものでもお喜びになるのではないか…というのは、人間のエゴでも、そう思いたくなります。


昨日の浜田で、関東圏のひとは民俗学というと東北へいく、と仰っていたのでした。
それはごもっとも。ま、新幹線あるしね。
先行資料も多い。

でも、あそこはほんとうに、記憶の記録が急務だと思うのです。
いろんな意味において。

そのぶん弊害もあるし、むずかしい。

向こうは向こうでいとおしいです。
生きたい、生きたいって声が聞こえてくるようで、私一人で何かなるわけでもないけど…うーなんかなんて言ったらいいのかなあ

それでも私は、島根なのです。

便宜上「石見神楽が好きできちゃった」ということになってますが、"石見"神楽がカッコいいから好きとかそういうんじゃあないんですよねえ。
ぐむむむむねむくてうまくまとまらん