むかしのこと
眠いんで、ちょっとだけですが。
某桜江の大先生が、邑智郡の一部の地域において残した音楽教育的功績とかは、すごいんだろうなあと思います。
反論してくる人なんていなかったから、嬉しかったと思うよ、生きていたらよかったねえ、とおっしゃっていただけて、ありがたい反面、なぜ反論せず古老は去っていったのか、にも目を向けるべきでもあり。うーん、複雑。
私が何よりも主張というか…師匠に教わったこと、自分の目で見たものを足掛かりに伝えたいのは、
そもそもの問題が、書く人いない問題が故に、某という人間とその親分が、長い神楽の歴史のなかのほんの数十年、関わりを持ち得た偏見や、思い、神楽という多角形のほんの一面でしかないものを、「石見神楽論」として島根県内外に、特に中央部の人間に刷り込ませ、通説としたことの罪についてなのであります。
彼らの生きる神楽の世界では、たとえそれが真実だとて、石見全域で当てはまるわけではなく、「石見神楽論」としては、偽りでしょう。
私も、師匠に出会うまで、あのものらの言葉が真実だと思っていました。
それしか、情報が得られないから。
でも、知れば知るほど、見れば見るほど、感じれば感じるほど、その言葉の嘘や、脆さ、矛盾が見られるわけで。
とくに、なんで八調子はけちょんけちょんにいって、新舞旧舞というご都合主義なものはむしろ好意的に思えるほどに認めているのかとかね。
身内に甘すぎやろっていう。
はあ。難しい。