舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

がおおおお

取引先へお使いごとへ。
いつも話し込んでしまうけど、たまたま探し物についていって書架を覗き込んだら、伊勢大神楽の本を見つけちゃった。
いいなあいいなあ言っていたら貸してもらえました。わあい。ラッキー。

たしか麒麟獅子の研究をしている人だよなあとおもったら、やっぱりそうでした。
もう亡くなられてしまっているらしい。そうか。残念。


まず面白いのが、獅子舞の英訳が
Sacred Lion Dance という。

名詞の修飾だから意味合い的にも…神聖な、神の使いの…あたり?
単純に読めば、聖なるライオンの踊り。……オオゥ…
唐獅子はどっちかといえば狛犬と同系統なんだろうけど、がおおおの方になるのか。

堅実に判断すると15,16世紀成立と見るのがいいようですが、桑名ね。桑名。なんだろう、なんか聞き覚えがある場所だなあ。
そこに残っている獅子頭とか見ると、やっぱり岩手のプリチー権現様の獅子頭も、大神楽のそれを模しているのがわかります。チリチリ頭みたいな。九字なのかな?白い紙で作ったモジャアとしたタテガミ?がくっついてる。

社風神楽だったかな。頭からかぶる権現様がいくらかありましたが、あれは完全大神楽の色がありますね。
多いのは腕と手で扱う、小ぶりな権現様。
それでもって、鹿踊りに顔が近い。
たしか、あのふたつは兄弟みたいなもんという本を読んだぞ。

ということは、素直に大神楽を参考にした頭と、なんかなぜだかトランスフォームして獅子と鹿に分かれた頭があるんだな。ふむふむ。なんでだ?

あ、社風神楽は神職がほかよりもうワンステップ担い手として関わっていたところだから、そうなると神職が伊勢系だったという仮定も立てられるかもですね。
頭、あるいはそれに必要な材料や技術が伊勢で整えられた可能性も考えられる。対して、現地で生まれたのがもう一方の獅子、そこから分かれて鹿、とか?

ふーむ。

すんごく雑にメモすると、大神楽の発生地点では、伊勢のお札を持ってる系の集団と、回り神楽を持ってる系の集団が、じゃあお互いに持ってるものを分けあいましょうねって、お札を持ってる系の集団が回り神楽を習って東日本へ、回り神楽を持ってる系の集団がお札をもらって西日本へと行脚したらしい。
なんという。スゴいな。
どっちかが、こりゃうちのだからって占有していたら、今のような獅子舞の超広範囲な伝播はなし得なかったわけですね。スゴいな。

そしてこの人たちの特筆すべきは、その芸態に影響受けた獅子神楽は生まれたにせよ、大神楽そのものは自分達が担い続けて、現代におけるまで回り続けているということでしょう。
その土地のもとある文化を駆逐するのではなく、お役目を果たして去っていく。そしてまた来年やってくる、みたいな在り方。
まあこれについてはもう少し読み進めないと本当にそういう見解でいいのかわからんですが。今のところの印象として。


ただ、ご多分に漏れず明治4,5年は政府から禁止の通達があったよう。
村を渡り歩いて神楽奏して見返りもらうなんてけしからんとか、お札を配って歩いてけしからんとか?そんな感じかな?

なるほどねえ。

そう思うと政府は政府で結構それぞれの地域の神楽の特色について把握した上でテキメンの禁止令を通達してる感もありますな。

マジで新政府のおかげであらゆる文化が大打撃だ。


そうそう、あとこの人の文を読んでいて、普通神楽とはカムクラから派生したもので、その字は「神を楽しませる」ための供物として、という論調がポピュラーだと思いますが、「神がたち現れるときの楽」というニュアンスでは、みたいなことを書いておられてホホゥと。結構その論好きかも。
誰が楽しむか、というより、その楽によって神が現れる様子を表したりとか、が確かにしっくりくるような。
楽しむ楽しまないはまたそのあとみたいな。

なるほどねー。


急に眠くなってきた。
また明日読んでみましょうかね。