舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

中世神話に手を出したら案の定沼にはまる。

いままで吉田神道に気を取られていたけど、多分、伊勢神道のほうなのかもしれない。…と、考えると、石見神楽とかの源流を中世に求めることは、たしかに不可能ではない。

ただ、これをあと一年で取り組むには複雑すぎる…

出雲ではなく、なぜ伊勢か、という新たな問題も出てくる。

とりあえず、伊勢神道では天之御中主を重要視していて、天村雲命を外宮の社家の祖神とした。まあまあ無理やり。
まあ、でも、あるよね…うん
とはいえ古代神話で天村雲命は、尾張族の祖神、、ということで、ここで尾張族とはつながるわけ。

と、ここからの繋がりが不明だけど、中世における国生み神話での地主神は国常立で、本地は薬師如来
全体的に密教色強め
……なので、この前の「神仏習合した神の名前の一例」という話は、ここにつながる。

から、気がついたら地主神として牛頭天王まで出てきた。津島。これは行かないとよくわからんな

天神としての天之御中主=豊受大神

天村雲命

度会家とか尾張族とか

地祇というか地主、先住者である
国常立=薬師如来牛頭天王???

???????

一応全部浜田の大元信仰ともつながるんだけど、ここまで広けりゃ何でもどこでも繋がりそうな気もするんだが…

ただ、これらの要素が含まれている、という前提で見れば
祖先神、開拓神、地主神としての大元神
穀物神(大歳、ウカ・ミケとかつく系)としての大元神
行疫神、荒神(祟る系)としての大元神
水神としての大元神
の多面的な性格があるのは理解できるし、明治期の整理に伴って天之御中主、国常立、須佐之男が充てられたのも理解できるようになる。

反面、それぞれ別の神として区別して祀られていた神々が、中世になって「大元神」としてひとくくりにされて、さらに近代になって別の神々を充てられた、とも考えられる。


で、結局なんでこの地域だけ「大元」なのか問題は解決せず。

あと、なぜ伊勢熊野か問題ね。
出雲や大山の影響より強いのか?

それと、石見では九州の影響も無視できない。


第六天の悪魔王を八幡神が退治するのは、八幡神が仏教の守護神的なアレだからなんだろうけど
でも、どうして神楽改正で残したのか、という点も無視し難い。
まあたしかに神強いんだぞ!という意味では関山よりは当たり障りは無いわな…

しかも、関山を、国府があった東部でやってるというのも、ちょっと皮肉よね。
仏教あってこその、国府だから…

そういう意味でも浜田は東西で基層文化が、少し違うんだということは考えておかないといけない。
大麻山があったとはいえ、仏教の勢力的には東のほうが強かったように感じる。とくに近代。


もう少し理解が進んだら、考えが変わったり、違うことがあったりするかもだけど、とりあえず沼にくるぶしくらいまではまった現段階での理解はこんな感じ。