舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

かみ

そういえば、出雲の「茅の輪」の禍つ日の神も、石見の「鍾馗」の疫神も、神なんですね。
本当に恐ろしいものは、鬼よりも神?
たしかに鬼ってヒーロー性も含んでる。
花祭の榊鬼とか、山見鬼は、人を助け守護する感じで、石見でいうスサノオポジション。めっちゃ愛されキャラの鬼ちゃん。
そうそう、スサノオは最も荒ぶる力をもつ神ですが、スサノオは神であって鬼ではない。
あ!
あと、禍つ日の神も疫神も、まー雑に言えば病ですよね…人間にとって最も恐れ、神の力を求めるものは、飛んでくる鬼でもまつろわぬヤンキーでもなく、病だったということですね。
それも、流行り病。
で。
スサノオは流行り病の酷かった土地で信仰された。
祇園信仰…京都とか江戸とか人の密集したとこ。
かつ荒ぶる神だから、なんか激しい祭りになった。
うーん………そう考えるとやっぱり鍾馗スサノオが習合するのは、仕方のないことなのでしょう。
なんか連想ゲームみたい。

「茅の輪」は、最初見たとき、あー過越の祭だって思った。えっと、旧約聖書に出てくる話。出エジプト記かな。
神がモーセに家の鴨居に羊の血を塗ったらその家は助かるけど、他は死ぬからね。っていってエジプト人大打撃、って話。雑すぎて怒られそう。
むっかしは、神様怖えええ!くらいだったけど、本質は一緒なのかもですね。
なんかこう…実は昔の方が思考がグローバルなんじゃあないかと思いますね。どうしてそこで共通点が生まれるのか!ふしぎー。

禍つ日の神と疫神は、ちょっと変態臭がするのがいいかなー。
禍つ日の神が、鬼棒をチョロチョロ振りながら、腰を曲げてチョロチョロおっかけまわす感じ。キモ怖、だがそれがいいっ!
疫神も、見えつ隠れつジリジリとやらしー感じ。鍾馗と背中を合わせてジリジリしてるときはちょっとこっちもそわそわしちゃう。

浜田の「鍾馗」はどっしり舞なので、ちょっと長いなあ~囃子が気持ちよくて眠いな~と思ったりもしますが…じわじわ人体を痛め付けてる感がありますね。
あれって、昔はその血筋でしか舞えない花形だったり、出征する人が舞ったりということで、それぞれの舞が長いとかもあるのでしょうか?どうなのでしょう。それぞれにじっくり見せている感じがします。

この前見た久城の「鍾馗」みたいな舞が、インフルエンザとか扁桃腺炎とか、カーッと熱が上がるタイプだとしたら、浜田の「鍾馗」は逆流性胃腸炎とかガンとか…じわじわ侵食するイメージ。

邑智郡の市木面のなすび目さんは、一度しかお目にかかったことはないですが…日貫の辺りはやっぱりネットリやらしい感じでしたですね。誉め言葉です。
あの地域はもう少し見てから話したい。


あと「天神」のこととか、師匠の言ってた大元神楽についてのこととか、話したいんですが、また眠くなってきましたので、今日はおしまい。