舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

done

やーーーーーーーーーーーーっと寝ても覚めても論文生活が終わりますわああああああ

あとは無事に運ぶのみ………そこが問題である

 

2014年から、12年

これですべて消化するかと思ったけど、まだまだネタはあるんよねえ

 

役指帳ももう少しやりたいし

集めた資料も出し切ってないし

はあー手首痛………

続けばそれも伝統

草稿の締め切りまであと2日を切ったところで行き詰まっていますよぐええええええ

そして行き詰まったときにだいたい見るのがかめやまの鐘馗なのだけど、結局なぜ鐘馗茅の輪問題は解決しなかったね〜

もう最近はスーパー眼精疲労なので、カメラワークとか照明効果とかそういうのなしで、宮の舞殿の白色灯と定点カメラの良さを実感中

飛蚊症やばすぎる…

というか何気なく見た動画が十年前とかで震える………あの頃は私もみんなも若かったね………ショボボ

でもあのときええなー思うたのはやっぱりええなー

 

 

なんで芝居ではなく神楽であることにこだわるのか?なんで伝統にこだわるのか?と訊かれてもこれまではわからなかったけど

たとえば十年前の動画を見たときに、そのときの空気のふるえ、音、におい、暑さ、色、たくさんのものがあふれてくる、変わってないと感じて、記憶を掘り起こさせるし、変わったと感じて、時の移ろいを知る

続いてきたものって、伝統って、記憶装置でもあるのかなと

だから、変わったことに過剰に反応する

でも変わるんだよね

そもそも年取るんだから

偉そうに動画の普及が〜〜とか、いうけど、私自身はその動画の普及に助けられてきたのも事実なのよねえ

 

 

 

開設10年ですって

ご機嫌よう

10年ですって。人間辞めたりしてましたけど、今はドーピングしながらだいぶ人間に戻っていますよ

なんやかんやと鐘馗の論文書いたし、五神も論文書いたし…まあでも書けば書くほど書き足りないところは出てくるわけで、沼からは出られないですね

いまは、なぜ浜田なのか、というところを言語化したいというか、ケツに火がついてちょっとやばいですよ

ここまできて、あーやっぱりダメでしたとかなったら、また人間辞めるところまで落ちそうで怖い

頑張れるか?頑張れるのか?いや頑張らねばならぬ…

 

ジェンダー?性差?のこと

というと大仰だけども

私はジェンダー論はやらないので、誰か気になればやってほしい、という放り投げ感で思ったこと

 

よく、神楽は女性も大丈夫なのかと聞かれる

正直、わからん

というのも、それぞれ伝統やしきたりもあるし、変わらざるを得ないところもあるし、当事者たちがどう考えるか、によると思う。

それについて、前時代的だとか、今どきは、だとかいろいろ言いようはあると思うけど、私は何も言うつもりが無い。

 

ただ、私は、石見神楽の石見神楽衣裳はマジで重い、蛇胴も重いのよね、という事実だけ言う

裏でお手伝いしても、重くて肩より上に持ち上がらないんだもん

着せられない、脱がせられない、たたむときも目玉のところがね…………蛇胴も回収したのはいいけど、畳むときにうわあああってなるからね………

 

巫女神楽だとか、梓巫女とか、弓神楽?だとか、イタコだとか、沖縄の祭祀だとか、女性が祭祀を執り行って、神遊びすること、天岩戸のウズメノミコト以来、それが「本来の姿」だと、いわれることがままある。

神職さんでも、言う人がいる

いわれてみれば、なるほどたしかにねーと思うのだけど、浅学な私の管見の限りでは、大元神楽や荒神神楽で女性にかかったって読んだことないな、と、ふと思った。

観客が懸かったときも男性だったはず

森脇太一か誰かは、普段より信仰心篤く、真面目で勤勉なもの、といっていたけど、そこに男女の別はいってなかったような?

これが、このような祭りの場に、女性がいなかったからなのか、女性がいてもいなくてもなのか、何なんだろうなーーーーと、思ったわけです。

 

禁欲とか穢れの問題というのもあるけども

まあ血の穢れはね、特に昔の衛生状態じゃ、そりゃそうだわなって思うよね

今でも正直、本体ですらウンザリするからね

禁欲…………禁欲禁欲禁欲ゥウウってなるほど困ったことないからわからんな

個人的には睡眠欲と食欲はまあちょっと禁欲したほうがいいね、デブまっしぐらだからね

まあでも眠れない、食べられない、ってときのこと考えれば、それは贅沢な懊悩だわね

 

 

 

 

四半世紀

おめでとうございます

いやー今日は最高でした

全体を通してストーリーがあるのがまた良い

 

重鎮がかつて、新しいことをする、それでも続けばそれも伝統となる、とおっしゃっていましたが、それを体現するような、あるいは体感させるような

そして、一つの時代が移りゆくのを目撃した、というような

そんな1日であり、1年でありました。

 

のふ歴は、その半分もいきませんけれども、ずっとずっと見守ってきた父、母たちとともに過ごせたことも、とても感動的というか、その眼差しがとても印象深かった

そして、体調を崩して長らく叶わなかった、耳栓無しで1日神楽の空間に浸れたことが、とても嬉しかった。

 

スピードや勢いというより、じっくりみせる感じだったことと、撮影禁止だから、逆に没入できてよかった

あの四剣の緊張感

重鎮たちの眼差しは、かつて重鎮たちもそうやって先輩から舞い継いできたのだなと感じさせる眼差しで。これが、伝統を継承することなのかと

あと、かわらけ鈴だから、神楽鈴ではなく輪鈴なのかなとか、天蓋の下で舞うことの美しさとか、所作とか、改めていろいろ考えさせられました

ああ、あと、神楽歌を聞かせるための神楽歌なんだなとも。まあこれについては追々考える

岩戸は安定の良さ。これも伝統であり、歴史だとよくわかる

忌み籠りと再生がすごく見えた

なんかいろいろ考えてたんだけど、ピカーでほぼ吹き飛びましたわ

 

入唐伝からの貴船をみて、ようやく自分の中でストーリーが納得いったというか、なるほどね!っていう感じ

晴明好きだけど、入唐伝は圧倒的道満派…世界の真田を超えたね…(個人の感想です)

ていうかみんなの身体能力の高さよ…私も浜田男児に生まれていたらああなったのか?いや…多分無理だな…どうやったらあんなに跳ぶん?

 

長浜さんの五神が、なんかね…もういろんな感情が入り乱れすぎて泣くか思うた

やっぱり五神はいつかきちんと論文にしたいテーマだな

 

大江山は、本当に集大成というか

あの化粧舞は精悍な顔つきが映えてとても良き

今まで見た大江山で一番解釈一致した

昔見た、ハートのフリースに腰掛けたプリティ童子様も好きだったけどね

石見地域において、校定石見神楽台本には収録されていないものの、伝統的に舞われていた演目の一つ。石見神楽の大江山は、石見神楽の大江山であって、地芝居ではない。あくまでも石見神楽であることの誇り高さを考えないといけない

 

この歳になって、体調も回復傾向になってきて、思い返せば、だいぶん好き放題暴れて暴れて結局居なくなったにも関わらず、おかえりって言ってもらえて、また帰ってきなさいよと言ってもらえることが、どれだけ得難い幸せかと、今になって思うのですよ

それでも想ってもらえる有難さよ

それを、どんどん会えなくなってしまってから、伝えられなくなってしまってから、気がつくこの愚かさよ

まあ、暴れたことは後悔しようがないし、多分半分くらいは今後も同じように暴れるだろうなって程度の反省なんだけど

 

なんかもう1日情緒が忙しかった…

 

とにもかくにも、おめでとうございます

タイムカプセル

今月は学会発表からの論文の再々提出からのおん祭りからのかめのふ………怒涛すぎる………

鍾馗で相変わらず苦しみ中……

でも、改めてブログ見てたら、時々書いていて、何年か前の私ありがとう……うう、苦しい……あの時の興奮をもう一度……

昔は一日おきとかに神楽見ていたのね…わたし……羨ましすぎる……

裏を返せばそれだけ、舞があったわけで、やはりコロナとか諸々による影響はあるんでしょうな

カレンダーに載る予定も減ったし、土日祝日に集中している。

回想

今思えば、そう、昔は根底を揺るがすような挫折といった挫折もなく、他人からの評価も気にならず、それなりにそれなりのことができる感を持っていた

だから、思うように口にすればいいと思っていた

自分が正義だと思っていたのね

もっと評価されるべき人間だと思っていたのね

若気の至り

その点で言えば、クリスマスと女は25まで、と揶揄されたのも(社会的にはアウトだが)わたしにとっては真実であったのだろう

だんだんと、だんだんと、それではうまくいかなくなっていく

壊れた時もまた、あいつが悪いあいつが悪い、悪い悪い悪いと呪い続けていた

なんで私が、と思っていた

でもやっぱり、私も悪かったんだよね、と思うようになったのは30を過ぎてから。まあだからといって、やり直したいとも、邂逅したいとも思わないし、辛かった事実は消えない

10年前には、やっぱり戻れない

10年後は、思い描けない

老害と言われる前にいなくなりたい