舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。


あ、そういえばこの前、和歌をいろいろ眺めておりましたらば、神遊びの歌というものを見つけたのであります。


深山には 霰ふるらし 外山なる まさきの葛 色づきにけり


もーなんか、詠んでそのまんまの素朴な歌ですなあ。

まさきの葛が、テイカカズラのことで、それが採り物らしいのですけれども、葛も採り物になるんですね~

神事では常緑樹の榊が使われますが、あえて葛で、しかも色づいたよとうたっている。


あとまさきの葛…テイカカズラって、謡曲「定家」の、どっちかといえば思いの強さというか妄執というか…そういう印象。
しかも分泌液有毒だし。

あーでも定家のほうが時代かあとだ。

じゃあ「定家」がポピュラーになる前は、テイカカズラというよりまさきの葛だったんですね。
まさきは「真栄」って書くこともあったみたいだから、むしろことほぐようないい印象だったのか。


草木が色づき、季節がうつろいゆくことをむしろ喜んでいるのか。



能の「定家」を観たことがありまして。

私の解釈にすぎませんが…定家その人も、彼が愛した式子内親王も二人ともなんか結局救われない。

生きているうちは秘めざるを得ない恋で、死んだら死んだで定家の想いが強すぎて、執着しすぎて、二人とも蔦のようにそのまま絡めとられて縛られて、救われない。
僧侶に弔ってもらいたかったのに、やっと苦しみから抜け出せると思ったのに、式子内親王はまた墓の中へ、葛がそれを隠すように繁ってしまう。
…救われとらんじゃん。

定家自身は、亡霊になるどころかもう原形もなくして植物に身をやつすほど想いが強かった。
まさしく、なりふり構わず。
もしかしたら、式子内親王も、苦しいけれども、ほんのちょっぴり、全身全霊をかけすぎなくらい愛してくれる定家の想いが嬉しかったりするのかもしれない。

そこまで執拗に愛せる定家も愛される式子内親王も羨ましくもあり、自分は嫌だなと思うはた迷惑さもあり、その先に滅びしか見えなくて悲しい気持ちもある。観たあとはなんだか切なくなる。


あ、でもこの話の季節も神無月なのです。
ということは、まさきの葛はやっぱり秋にしっくり来る植物なのか、それとも謡曲が成立したときにあの歌があったからなのか…