舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。


なんだか、短期集中講義みたいにいろんな地域の神楽を一気に見たのでちょっとごちゃごちゃ中。
ブレイクタイムで、能が見たい。
能の鍾馗とか大蛇とか見てみたいな。あと鉄輪。それと鵺。頼政
どれも見る機会が少ないのです。
あーあ。


たまーに、あっ!てなるのは、面が顔に見える人の能とか舞に出会ったとき。
あれってなんでそう感じるのかよくわからないのですけれど、面がまるで本当の顔に見えるのです。吸い付いてしまったような。

自分の目じゃなくて面の目でものを見ているように見えるからなのかな。

そういうひとが、能でいうテリとかシオリとかといった所作をしたら、本当に笑ったり泣いたり見えるの。神楽だったら、より生々しさが伝わってくるような。
たぶん面の大きさは関係ない。


あ、そうそうおもったのですけれど、
島根って面そのものが神であるという権現的なとらえかたはあまりしていないのでしょうか。
高千穂も花祭も権現舞も、あと能楽も、面そのものに神が宿るという考えで、顔にはなるたけ触れないように取り扱ったり、普段は神社にご神体としておかれていたり…花祭は面のおかれている部屋は女人禁制だったし…でも島根ってあんまりそういうこと聞かないなーって思ったです。

島根の神楽における面ってどんなんなんでしょう。
どういうものとしてとらえていたのでしょう。


面のことでつけくわえ。

そういえば。益田は神はほとんど全員面をかけて出てくるのかな、と思ったのでした。
たしかに統一性はある。

逆に浜田で面をかける神と直面の神の区別ってどんな理由があるんだろう。
昔の木彫り面があった神は面をかけるとか?
わからないなあ。

広島は逆に面をかけないものが多い気がする。
というか、いわゆる新舞の演目は武士の演目がやっぱり多いですね!神を主人公にできなかったんだ
神が出てくるのはどうなんでしょう
あまり見たことない気がするからわからないや。
でも、化粧と面はそもそもの考え方は同じ。
とすると、化粧をしないものって広島はあるのかな?

なんか地域性があるんでしょうねえ。