舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

のう 

松江のどこの神社だったか、忘れてしまったけれども、遷宮かなにかの記念として能を奉納したという絵馬?を見たことがあって、何となく気にしていたのですが、この前たまたま本を見つけて読んでみたら、松平家松江藩主になって以降、時代の流れに漏れず能楽文化の記録があるらしい。
かつては城内にも能楽堂とかあったのかなあ。

仕舞系は家老?の家でも執り行ってたっぽい。


自分のなかで、佐陀神能の成立とか、その後の伝播についていろいろ考えていて。

神能についての言及はさらっと読んだ感じないんですが、その本を読む限りでは、松江に能楽が定着するより神能の成立のほうが早そう。
神能は慶長年間という記録が残っているから、故意に盛っていない限り事実。
一方、松平の初代藩主直政は、慶長生まれで松江に来たのはもっともっと後。ということは、神能のほうが早い。
昔の神社と藩の関係とかよくわからんけど。

ふむ。
ここは多分動かせないだろうなあ。

ただ気を付けてみるべきは伝播のほうですね。

松江に能楽があったということは、それよりも前に各地域でも能楽が一種ステータスとして各藩に持ち込まれていたということでもあり、石見、浜田藩・津和野藩にもなかったとはいえないということ。
「ない」という記録があればあれだけど、そもそもの記録がない気がする。
ただ、乏しい山城の印象からして、浜田あたりは毛利の流れ?なのかな??なんとなくイメージ的にあそこらへん好みそうだから、あったんじゃないかなーとか思うんですよねえ。戦国から江戸までの歴史とかと勉強せんといけんかしら…


とにかく、ということは、いわゆる採物神楽、かつて出雲流神楽と呼ばれたひとつの大きな特徴ある神楽は、一番古い記録が現段階で見られるのは佐陀神能かもしれないけど、圧倒的な力で他の地域の神楽に影響を与えた、と断言はできないんじゃないかな。
その伝わり方の道筋もよくわからないし、それぞれの地域ですでに能楽という存在が、身体とか所作とかがあった
ポテンシャル?というか。

で、特に石見は、隣っちゃあ隣だし、それこそ影響受けてないはずがないんですけれど、あんまり想像つかない。
ほかに、出雲-石見で関係性を見られるものとかあればいいんですけど、それも思い当たらなくて。
なにかあるかしら。
ふむむ


眠いのでこのくらいで。

難しいなあ。