舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

空間とか

夜神楽でながはまさんを見に。
ながはまさんは、胴の椅子が木箱なのが味わい深くて好き。あと昨日は締め太鼓と手拍子は座布団なくて正座されてた。
そういえばお祭りのときも正座だった?
笛は今回も幕内。

重鎮の楽が昨日も聞けて良かった。
ながはまさんは、うまく説明できないんですが素で賑やかな感じが好き。マイクを越えた賑やかさ。

師匠たちがいっておられたのは、手拍子は鉦が大型らしいですね。なんかトンカチで叩いて調えたような跡があった。
音響効果とかないのに、横にいただけで耳がウワワーンとなる賑やかさ。だがそれがイイッ
音響効果のやかましさとは格段に空間の雰囲気が違う。細胞で聞く感じ。だから、ながはまさんとか、六調子の地域とか、練習のときが好き。
私個人としては、トランス状態に近づくのはこっちの「素」の音なんじゃないかな?と思います。

あの締め太鼓の軽やかに叩く感じもいいなあー

いまだあの素の賑やかさが、何から来るのかかわからないので要研究。

代表のお話は、なんかいつも、なんといいますか、押し出す感じでお話しされるのですけど、いい人だから好き。単純。


演目は「天神」「塵輪」この二つが多いですね。好きなのでよし。


ながはまさんの「天神」は、菅公は途中で下がって、随身が時平と立ち合いますが、肩切りの衣裳が、剥ぐ前は時平に梅がついてて、剥いだ後は随身に梅がつくのが面白いです。
あとなんか、反対色なことが多いっぽいのと、緑と青が好きと見た。海のいろ?

あと、菅公と随身が舞うとき、採り物をぴったり体に付けていて、そんなもんかな?と思って聞いたら、それがそこの「手」で、刃物を菅公に向けないようにしているのだそう。


あとよく見たらあの神楽幕ものっそい豪華。
師匠曰く、あの意匠、装飾、サイズは、当時のながはまの隆盛や力がうかがえるのだとのこと。

塵輪」は母ちゃんだいすき。あ、でも母ちゃんと父ちゃんで鬼着?が違うことにはじめて気がつきました。父ちゃんはチョッキみたいなの着てる。裃ふう?母ちゃんは打掛ふう?
しかしなんか、母ちゃんはサービス精神多めらしい。悪そうな顔してるのに。

手の所作がいいなあーと思っていたけど、先代の母ちゃんはさらに絶妙だったらしい。映像とかあったら是非に見てみたいな。



「天神」と「塵輪」の幕間で、前代表がお話しされて、はじめて聞くことができてムホホッだったのですが、昭和40年頃のお話、ということなので、およそ半世紀前のことでしょうか。
大体どこもお宮が小さかったから、天蓋のした、いまでいう4畳半くらいのスペースで舞っていて、すぐ近くにお客さんが座って、一体感あったのだと。
やっぱり大阪万博というのは、いろんな点において大きな変革だったのでしょう。

ほかにも、足さばきは摺り足でと教わったもので、とか、うちの社中はこういう所作とか伝統だが、よそはまた違う所作があるからそれを見るのも楽しみ方だろう、とか。
その言葉に嫌みったらしい含みは、私は感じなかった。


そのあとの「塵輪」の母ちゃんのサービス精神だったので、おおおお…ってなったけど、仲哀天皇が、背が高くて、欄間に頭つきそうになったりしていて、ふと、4畳半、という空間は、平均身長低めの昔だからこそ、合理的な距離感、空間だったんじゃないかな、と思ったのです。
ながはまさんの代表や、師匠は、160センチ無いくらいの私がぶつかると、顔面が肩にとど……かないな多分。

師匠の横歩いてても、コンパスのサイズの違いで、師匠の1歩が私は1.5歩くらいだったりするわけなので、おなじ「2歩下がる」でも自然とその幅は違ってくるのではないでしょうか。

ただそうはいっても、なんぼ小柄でも4畳半サイズは、決して広いわけではない。私が休日の7,8割の時間を過ごす寝室も4畳半ちょい小さめなのでよくよくわかりますが。

そのなかで剣、なおかつ昔は真剣や、鬼棒みたいな長い棒やら、幣みたいにふっさふっさしたものやら持って振り回して舞うのですから、しかも周りにはお客さんがいるのですから、安全で、かつ美しく、確かに扱える所作が、いまの「型」なんじゃないかなあと思ったのです。


でも、その4畳半サイズのところだけが、神楽の空間ではなくて、やっぱり宮全体というか、お客さんや楽人含めた全体の空間が、石見神楽なんですよねえ。うまくいえないけど。