神楽をきくみる
師匠とお話ししたことメモ。
神楽というのは、主に聴覚と視覚によって捉えるもの、という話。
言われてみればたしかに「楽」という主に耳から入るものと「舞」という主に目から入るものから成り立っていて、どちらかだけでは神楽は成立し得ない。
「神楽の声を聞くぞ嬉しき」の一節
「神楽の声」というのは奏楽や神楽歌だけじゃなくて、祭りの場に人が集まって、わいわいした声とか音とかも含めて、神さまが、ああ祭りだなあって気持ち、嬉しいなあ、ってなるのでは?と思ったのですけど。
師匠にそれをいって、言われて気がついたのは、
それに加えて、やっぱり「見る」でしょう、と。
集まってきた人たちの楽しそうな顔、舞、今年の新物、そういうのを見て、聞いて、嬉しいなあ、なのでは?と。
たしかに、音だけでは、なんぼ楽しそうでも、自分はちょっと疎外感あるというか、嬉しいなあ、とまではならんかも。逆しかり。
あと「玉の御簾巻き上げて」るってことは、視界をオープンにしてるのかな、と思ったり。
オチは別にないんですけど。
奏楽が聞こえてきて、舞を見に行く。なのよね。
神楽を見に行く、というのは、あんまり正確ではないのかな。
なーんて思ったりしたのでした。