舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

草木国土悉皆成仏

確証はないけどなぜこれが「大陸で生まれた思想なのに日本でのみ広く受け入れられたのか」

ただのアニミズムではない

「鹿島・香取の二神が、服はぬ国津神・草木石類にいたるまで平定」した。この言葉にヒントがある


世阿弥は「そっち側」の人だったからこそ、「そっち側」の鎮魂のための能を確立したのかもしれない。
勝者でなくても救われるために。
だから、「能舞」もまた、広く受け入れられた。

一方で、権力者はそれを利用したのがまた皮肉。
いや、そうされることを目的としていたのかもしれない。

結果的に長い時間をかけてひとつの文化として根付かせたのだから


単なる「草木国土全て帰依すれば仏の加護により成仏できる」優しさではない
そもそも救われる前段には必ず、悲しみや恨み辛みがある


実は、疑問というか、真に腑に落ちてないことなんだけど、繰り返すということでなぜ鎮魂になるのか
懇ろに弔う祀りの意味はわかるけど、謡曲、神楽として舞い続ける意味は?
本当に、あなたを忘れてませんよ、だけなのか?
本当に、神仏の威徳をわかりやすく説くためだけなのか?
あるいは、見せしめか
いずれにせよ元々の存在意義がプロパガンダではある。
いまは違っても

でも、「悉皆成仏」のなかに鬼は含まれるのかな
神は、含まれているけど。
ずいぶんと長いこと能を観てないから、わからないな


「庶民」に「勧善懲悪が愛される」ことについて考えたときに薄ら寒い気持ちにもなる。

本を読めるようになったせいで、うっかりと、知らなくても良いこと知らない方が良いことにまで足を突っ込んできている気もするし、一方で、「いままで」を打破するためには触れざるを得ない気もしている。
でも人は、触れてほしくない、あるいは受け入れられない、不都合な真実もある。

難しい


あと、本で得て考えること以上に、実際はもっと複雑でもある。
そこに住むヨソモノだからこそ、無神経になるべきところもあるし、無神経ではいけないところもある。



祭る・祀る→まつる→ぐるぐる巻きで動けなくする(例:まつり縫い)
担ぐ→ヨイショしておだてる

という意味を含むというのも、いろいろ考えさせられる点なのでめも。

わたしの実家の周りは神楽よりも御輿文化
激しいものも多い
砂鉄がとれる土地でもあるし、うちも含めて(血は知らんけど)「家」は武家が多い土地でもある
まあ、ヨイショの文化は強いよね。どこでもそうか
ヨイショしなきゃ生きていけない社会的動物なんだとも思う。

そういえば、島根では砂浜が白いから、実家の方は砂鉄多いけ、砂浜は黒いし、熱伝導良すぎて夏は裸足でなんか歩けないし、理科の授業では棒磁石もってみんなで適当なとこで地面にくっつけて砂鉄をとるんだと、言ってたけど
自分は何気なく言ってたことだけど
「砂鉄が当然のようにとれる」ということでできた歴史があるということは、覚えておかないといけない。


…でもなぜこんなに祭りの様式が違うんだろう