舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ねぎのあたま

いきてまーす
一生懸命いきてまーす

やらないといけないことが、そろそろいい加減ケツに火がついてきたので、携帯をいじる心の余裕がない。あと携帯を川に落とした。
仕事が、夏休み期間はアホみたいに忙しくてやれません。それ以外は暇なんだけど。

浜田に来てまだ二ヶ月半とかそんなもんなんですが、山に通ってるお陰で、社会人としては退化しているやもですが、田舎の人間としてはスキルアップ甚だしいのですよ。
この二ヶ月半でできるようになったこと
開墾、畑仕事、魚捕り、クワガタの世話、各種野菜収穫からの、高圧洗浄機、電動ドリル、電動ノコ各種、草刈り機。草刈り疲れるけど楽しい。というか、基本的に破壊行為ね。
あ、魚もさばくというか、もはやバラしてる感じだけど、なんか調理てきた。すべての魚がアゴと同じさばき方すりゃいいってもんじゃないことを学習した。


あとマダニに咬まれたり、アブに襲われたり、なんかよくわかんない毒虫に咬まれたり。
モリアオガエルと衝突事故起こしたり。

ふーわいるどー!


当初の見通しに反して、精神的な苦痛もわりとありますけど、肉体労働が多いのですぐ眠い。、

寝そうなのでとりあえず生存報告ほど、

ひそひそ

口内炎だらけですが、体調不良ほどではない。しかし虫刺されも治りが遅い。免疫力下がってるかな?
最近は精神的にはかなり落ち着いておりますけれども、なんたってまあー仕事とお弁当のおかず作りに時間と体力を持っていかれるので、携帯いじる暇がありませんことよ。調べものも佳境だし、暑いし。さすがに扇風機的なサムシング買ったわ。

結局牛市書く前に吉賀行ってもーた。それも後回しだけど、五郎さんについてだけ。

お上にも一応確認してokはもらってるけど、あんまりね、大きい声で言えんのんですが。。

「五神」は、ウキウキしていた分の反動ではあるのだけど、正直、前半戦はいるのが辛くて無になっていました。
前半というか…なんていうの?
出掛けが終わって展開し始めるあたり。

中学生かな?くらいの子達はワケわからんなりにケラケラしとったけど…
もうね、無。

「五神」という文化がない土地だからこそ、難解な演目だからこそ、ベタベタのベタな、というより、丁寧な、「五神」を見たかったのです。見てもらいたかった。浜田のセンスをあの場で感じたかったし、感じてもらいたかった。
よく考えたら練習では、ベタベタの手合わせが必要なシーンしか見てなかったから、楽しみでうほうほしてたんや…そういえばこれあるんだった…という心持ち。

近くに、基本しずかーに見ておられるおじちゃんがいて、しらーっとされとったから、やめてーこれからだから帰らないでーとか内心はらはらしていたけど、最後までおられて、しかも、おじいが出てきて止めるけど止まらないシーンで、初めて、ウンと頷きながら拍手しとられたのが、なんかすごく嬉しかった。

おじいの狩衣、とってもよかった。祝詞も。ふわー


言われてみて、ああたしかにそうだと思ったのは、私のように道行きとか舞法とか知らん素人が見て、心を動かされるのは、正しく舞うこと、ではないのよね。
舞殿にいる人たち、舞手も楽も、そして観客も、みんなの意識がひとところに集中したとき、沸き上がるような感動がある。

「五神」の、合戦から舞い上げなんかは特にそう。

ただ、正しく舞うことで、違和感なく美しく見えるような所作として、既に洗練されているわけだし、舞に集中できるのは事実。
でも正しく舞うことに意識しすぎて、舞に集中できていないなーみたいなのは、見ていて感ずるときがあって、そうするとこっちもなんか集中できないような気がします。
みんなが、神楽に心を、意識を傾けるために、練習とか手合わせがあるんかなーとか、思いましたですよ。


とかいって、私は練習でも集中できることが多いので、うきうきうほうほですけど。眼以外の意識が飛んでることがある。

だから逆にこの度は本番で集中できんかったなあ。雑念が入って。後半は巻き返したけど。



あと、ぽややーんとしていたけど、指摘されてああなるほど!と思ったこと二つ。

五郎さんは、何も持たない存在で孤独。まさに孤軍奮闘。
だから重鎮どころ、つまり伝統では、使いはやるものの、合戦は孤独に闘う舞で、「天神」の随身とおなじ感じらしい。
4対1とか、ぜっったいしんどいけど、しんどくないはずがないけど、ド迫力なんだろうな…じゅるる


それと、前から師匠にいわれていたから、昔おじいちゃんおばあちゃんらあは、「埴安が一番ええことしたんだ」といっておられた、というのは知っていたけど、その理由ははじめて聞いた。

埴安は、なにも最初からずっと対等に所領をよこせとはいっていない。ほんのちょっとも、という意味で「元ちょ閏月とても賜らず」なのね。
あとこの文言は春日の台本でもあった。

それで、五郎さんは、下手にしたてに、理を説いて、ほんのちょっとでいいから、といったけど、四神の兄神は聞き入れなかった。
それで段々に怒りを募らせて、合戦になる。ふつふつと怒りを燃やすここは静の舞。

で、合戦になっておじいが出てきて所領を対等に分けた。
つまり一番もうけた。
しかも四季の変わり目というか、良いところをもらった。
残り物には福がある的な。
だから、それをわかっているから、昔の人は、埴安が一番ええことした、といっていた。

それ聞いてやっとしっかり腑に落ちましたわ。

元ちょ閏月のことは特にあんまり意識していなかったから、そういう意味なんだーって感じ

眠くなったからとりあえずそほど。

うみとやま

今日は、しょうが焼きがうまくできたのでご機嫌麗しい。ほっほっほ
生活力ある感が無いことで定評ありますが、そうはいっても生活しています。

浜田にきていいなーとおもうのは、やっぱり海が見えることかな。宍道湖とぷりちー水鳥も好きだけど、やっぱり海がいい。と、いいながら山に通っていますけど。
あのマリン大橋見える景色がなんともよきよき。


今日は、今井美術館へ。
江の川沿いは通行止めみたいなの見たから、跡市から長谷入るコースで。そっちは雨の前に何回か通っていたけど、川周辺とか、アジサイの小道に流木?とか枝が絡まっていて、苦しかった。
江の川沿いや、山陽側はもっと大変。

渡部陽一さんの写真展行って、なんかなんとも言えない気持ちになったけど、行ってよかった。
私の人生くらい戦場でカメラマンをされているみたい。触っていい防弾ベストは、とても重かった。あと、ゆっくり話されるイメージあったけど、早口だった。
本物の、眼を見た。眼。

もよもよもよ

所務分けのおじいがいたら、いいのにな。
万民の嘆きを憂いて、平等に分けて和解させ、万民の平和を祈る。五郎さんたちは異を唱えることもなく共に祈りおさまる。

おじいがいれば、いいのにな。


ちなみに、備中だったかな?のおじいは、足代としてなんぼか端数を自分がもらっていきます。
それを本当にやったらきっと争いのもとだから、私は浜田のおじいが好き。


あー今度の五郎さんたのしみだなー。最後に幕はとじゆく歌うみたい。うれしい。

ほかの演目もいろいろレアだったりするのでうきうきであります。カメラの充電器探さなきゃ。

かめやまの練習にお邪魔するようになって良かったのは、仕事の休みとか関係なく、人としゃべる機会があることですね。
あと、夜は、隣のお子さまが毎日賑やかでヒステリー起こしそうになるので、お子さまが寝入る時間まで外にいるのは精神衛生上よい。
姉の子どもが小さいときも帰りたくなくてよく飲み歩いてたなあ。


昨日今日で師匠から教えてもらったことで書いておきたいことあったけどなんだったかしら。

「神迎」は、長浜日脚が元祖?ザ・神迎で、そこから習った以外のそれは、ちとあやしい。かつ、そこにない所作を付け加えることはならない。
「五神」のおじいは、春日神社の台本にある、謎の祝詞みたいなやつといってた一ヶ所が実は長浜がいまも伝えていた。これは、多分師匠だから気がついたことだと思うし、ちょっと感動。


あ、思い出した。まあるく舞うだ。
本当に身の内に舞がある人の舞は、まあるい。
あんまり力が入ってるように見えないけどどっしりとしているというか。私はうまい表現が見当たらなくてふわふわどっしり、といっていたけど、まあるく舞う、っていわれてなんか腑に落ちた。

もう完全に「●●さんの▲▲」って舞なんだろうな。

でも、そこに至るまでは、たしかに積み重ねた年月は必要だと思うけど、歳上のほうがまあるい、というわけでもないんかな。私のなんとなくの印象ですが。
あ、でも、なんでもやるわけではなくて、ある程度決まったものしかやらない、というのはありそう。

ぎこちなさを払拭するためには、練習とかやり込むことが必要なんだろうけど、その先、淡々とそつなく所作をこなしている舞と、まあるい舞との岐路ってどこにあるんだろう。どこで、なんでかわっていくんだろう。

わかんないなあ。


練習のときは、目をつぶれば、なんか村祭りにいるような気分になれるから楽しい。あのくらいの空間なら本当にマイクなんかなくてもいいなあ。

むにゃむにゃ

ぶつぶつ

昨日は半分寝ながら書いたので、誤字多すぎてたまげました。さすがに直した。しかも寝坊した。片道40分かかる職場に、始業10分前には普通についてましたけどね。焦った~

いろいろやらんといけんことが、いよいよケツに火がついてきて、かつ、仕事もようやっと忙しくなってきて、わやわや。ほんと、ご飯作る時間が一番ロスだわ~
一人暮らしの学生って偉いなあ、としみじみ。
もうね、今日のご飯何しよう、明日のお弁当どうしようって考えて作るのがほんと時間食う。
卒論の時は実家でしたので、夜食は出てこないものの夜ご飯は出てきてましたので。いま思えばありがたやー。


でも今日は、職場で梅のコンポートしこたま食べたし、家で頂き物の桃のコンポート的なのもなんかうまくいったし、というか桃んまいし、ご機嫌麗しい。

いまは、八調子のことについて、様々調べたり思いを巡らせたりしとりますが。
一番、やっぱりもったいないのは、原井組とか、藤井宗雄とか、あのへんの情報がイヤに少ないこと。意図的なんかな?牛尾さんの資料は多少ありますけども。

それさえあればなあ。

だから、師匠の言葉を、私は何らかの形で残したいなあ。って、そういう仕事を辞めた人ですけど。

だけど竹を切りヤマメを掬う今に後悔はない。

頑張らないとなあ。

いろいろ

はあーねむたー

この前、鵺やら狐やらの話で、どういう動きをするかわからない、ってなったときに、師匠が道行きは決まり事だから守ってるみたいなこといって「獣なんだけえ」で終わらしたのがなんとも面白かったですね。もうすべては「獣なんだけえ」に集約されてる感じ。

私みたいにポヤポヤ見てるもんには、よほどでなけりゃあ獣らしく予測不可能な獣なのか、ある程度定型に則った獣なのか、それはいまいちわかりゃしませんけど。

狐で思い出したけど、わたし、狐が化けた女が尻尾見られないよう背後とられないようにするバージョンも見たいな。
見て見て茶髪のロン毛バージョンばっかりじゃあなくて。



来週からひと月半無くなるけど、火曜は定休なので、月曜の練習があるから遅めに寝て、ごみ捨てしたりせんたくものまわして、昼前にのそっと出てご飯食べて図書館いってスーパーいってお魚コーナーで亀山眺めて帰る、というすばらしいルーティーンいいかも


とりあえずねむい

だれかかわりにごはんつくってほしいなあ

明日天気になれ

雨やれません。大丈夫でしょうか。

松江の家だったらまた車が水没したんじゃあないのって感じですが、いまは丘の上なので無事です。職場のヤマメさんはちと心配。

今日からミヤマクワガタ?のカップルがパーティに加わりました。お目目くりりーん
あとモリアオガエルのおたまさんもおる。
あ、今日様子見るの忘れた。

いろいろ頑張らないと、わりと時間がありません。


調べ物しながら思ったのは。
『校訂石見神楽台本』について、あれによって口上や筋書き、演目の画一化させられた、みたいな言があるけど、それって違うんじゃあないかな、ということ。

というのも、確かに、あれを定めたことによって消えたと思われる演目はある。
逆に増えた演目もある。地域によって。
でも、少なくとも、那賀郡のあのへんの神職組が関わった地域は、昔っからほぼ内容が変わらない。
美濃郡はまだノーマークだけど。まあ調べそうな方もおんさるし良かろうと思うてますが。
邑智郡は、確かに違う。神職組とか藩とか関係ありそうだけど。

でも、だからといって全く違うかといえばそうでもないんよね。演目とかもろもろ。
似通っていたから、受け入れられたんじゃあないかなあ、と思ったり。
それに結局輸入するか退けるかは、自分達や見る人、祭りを支える人たちが選択すること。"させられた"と思う方向性が違う気がする。

あとなかなかシュールだったのが、某桜江の某団体の神楽台本見とって、指定された前後くらいはモロ八調子の口上だったのね。
それを、多分指定されたことによって「保持者指導用台本」みたいなのを用いて後から矯正した。不都合な真実

事実関係はまだ確認していないのでわからないけど、もし、美郷や川本、旭、日貫の該当団体がそれを使っていまやっているとしたら、それこそ画一化させたといえる。
というのも、それらの地域は、古いの見たら共通性はあるものの、違うから。
三瓶・奥飯石系統や、浜田・美濃系統や、邑智系統いろいろある。


やっぱり結局のところ、どこが一番古いだなんてわからんから言えないし、あっちよりこっちが優れてるとかも違う。優劣じゃあない。

じぶんとこの舞を誇るために他者を貶めるのはやっぱりいけないし、それ真に受けてもいけない。


充電なくなるから、そほど。

ブツブツ

さっきまで風強そうな音していたけど静かなのは嵐の前の静けさなのか、知らん間に台風が通りすぎたのか…

牛市書く書く詐欺しているのは、メモがわりの写真がデジカメにはいってるのでPC開かないといけないのを面倒くさがっているからであります。
結構な演目ある吉賀の前には書きたい。

短いけど「五神」見られるの嬉しいな~

師匠やお父さんには、(予定では)一年の辛抱なんだから我慢しなさいといわれてますけど、やっぱり神楽いきたいんす。でも土日はほぼ出勤。遠いところは今度から半休じゃなくて全休申請しないとだわ。

元来、団体行動本気で超苦手な上に、同じ曜日の同じ時間に同じ行動をすることがクソ苦手な性分なもんで、習い事やドラマとか見ることも苦手で、よく社会人出来てるなって我ながら思うのね。
お父さんのアッシーと師匠のお話聞けるかなとか舞見れるかなという下心で、ヒイヒイ言いながら練習にはお邪魔していますけど。

通うていれば、知らなきゃいいこととかも、嫌でも見えてきたりするわけで。モヤつくことも多々ある。
クモがいるとかネズミが出るとかビビるし。虫に喰われるし。お腹ポンポコしたりお尻こっちに向けて寝っ転がるおじさんもいるし。オナラはしたら嫌よ。

それでも、じゃあ何故なお邪魔し続けるのかは、いまいち自分でもよくわからん。


やっぱり、一番は、師匠のお話聞きたいからかな。もしかしてあんまり話さないんじゃないの疑惑だけど。もっと!しゃべって!

この舞はこういう舞だから、所作はこう、みたいな話が聞けるとラッキー
しかしどれだけ見ても舞法や楽はよくわからん。
感覚的に、なんかやだ、なんかいい、くらい。

本番だけが全てではなくて、どんなにたいぎいくても、やっぱりへいぜいの積み重ね、修練が、結局最後にはものを言うというか、どんなに取り繕ってもほつれてくるというか。

私は、身の内にないから、尚更必要。
言うて舞とか楽をするわけではないですよ。
見極める力。考える力。あと、浜田弁のリスニング力。



あと最近は、今までの知り合いとは軒並み疎遠にしているかわりにといったらなんですけど、ナイスミドル層(?)のところへ引っ張り出されることもありまして。
それがまた、とっても楽しい。
久々にハチャメチャ笑ったー。

数々の名言を残すおじさまが面白い。
この前のキャッチーなフレーズは、ワシらはノドグロ
あと、神楽マンなので、皆さま非常にお声が通る。

立場や神楽観はそれぞれ違うかもだけど、だからこそそれぞれのお話を聞けるのは楽しい。視野が広がるから。


視野を広げるのと、影響されること、最悪は影響されてそれに他人を巻き込むのとは違います。

私は私。
私の石見神楽の軸は、師匠。


でもまだ本調子ではないみたいで、放浪の虫は静かに鳴りを潜めているのよね。
用事を定めずふらついたり、人と会うのはちとたいぎい。