舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ううう生きるのってお金かかって辛い。泣ける
でも今年はお金が無さすぎてほとんど店に行かないので、クリスマスソングで気持ちが荒むこともありません。ほっほっほ。来週末は神楽以外予定ないので外出ない。

いま一番怖いのは、来年度になって反動でアホみたいに浪費するんじゃないかということですね。やりかねん



ここ最近、なんかもろもろ巻き込まれーので、悶々と石見神楽と大元神楽についてひたすら悶々考えているんですけれども。
基本的には師匠や研究者の言葉が真理なんですけど、ようやく自分の中で、納得のいく言葉が出たのであります。

大元神楽」というものについて、それが何を表すのか、ある一部地域については特に、非常に意見が割れるところなのでありましょうが。

結局のところ、やっぱり「大元神楽」という呼び方は、あくまでも式年祭の神楽や祭儀、その一日だか二日だかの行程をまとめて指す言葉だったのでしょう。
特定の団体や、神楽舞、あるいは神事、を指すのではない。その「日」、その「祭」を表す言葉。

良い例えなのかわからないけど、夏至に行われる神楽や茅の輪くぐりとかをまとめて「夏越祭」「夏越の祓」とかというような、そういう呼称。

だから、浜田ほか主に沿岸部地域は、式年祭で祭儀ができなくなったから、その「日」の行程を十分に行えなくなった、「大元神楽」を執り行えなくなったから、自然と、その呼び方は廃れたのではないでしょうか。
残ったのは、「神楽」。神楽は、残った。
もともと、原井組地域は、邑智郡と違って、例祭とか厄徐祭みたいなのでも神楽はしていた歴史があるので、そういう意味で、ちょっと特別な神楽の日になった、みたいな感じなのではないでしょうか。


ただのその土地土地で、「神楽」として、行われるにすぎなかった神楽が、たぶん私の予想では大阪万博あたりがターニングポイントだったろうと思うのですけど、地域外へ出ることになった。
他者の目にさらされることで、アイデンティティを求められるようになった。

そこで。

私たちは、石見国に生きるものとして、石見国で生まれた神楽を舞っている。そういったじげの誇りをもって、「石見神楽」と呼ぶようになったのではないでしょうか。
そこに、舞ぶりや囃子の違いの区別はなく、石見に生きるものとして、石見で生まれ育まれた神楽として、「石見神楽」と。

だから、邑南のひとも、わしらは石見神楽だと。
確かに広島の文化を取り入れているところもあるが、わしらは石見神楽だと。あれも石見からいったものだと。



そもそも、いまでこそ、「式年祭」と呼ぶけど、その呼び方は学術的な呼び方で、あとから呼ばれるようになったのだと思います。
もともと隔年で行われるその祭を「大元神楽」と呼んでいて、それを後世民俗学の普及にともなって「式年祭」とひもづけられ、そう呼ぶようになったのではないかと。あるいは、いまの保存会という固有名詞と区別、価値の底上げを図るために、という意図も、もしかしたらあったのかもしれない。

ようは「大元神楽」は「式年祭」を表すローカルネームであって、それ以上もそれ以下でもなかったところに、「式年祭」という中央的な呼び方や概念が入ったから、様々な誤解や混乱を与え、今日に至るのではないでしょうか。


というのを考えながら、今日暇だったので、図書館で式内社についての本を読んでいたら、石見町の大原神社のところで「七年毎に大元神楽を行ふ」とあったので、あながち間違いじゃないんだろうな、と鼻息荒く帰ってきたのであります。

どうも「大元神楽」を行う、式内社ってここだけなのよね。

あと、式内社の顔ぶれってなんか神楽的にはあまり聞かない面々なのでそれも気になるところ。

ふむふむ。あの本は実に興味深かった。眠くなるけど。


でも今日は後ろでブツブツ喋るおじさんがおんさったので、集中できなくてとりあえずさらさら読んでおしまい。

図書館はそこがネックなのよねえー人がたくさんいるのよねえー

靴ズレ子

今日は一番雨がひどいときに歩いて出掛けたので足がびちゃびちゃ、靴ズレした。ひーん
太陽が恋しいのー

仕事はだいぶん慣れたんですが、どーにも、なんかストレス。今までよりは余裕なはずなんだけど、なんかストレスで、ヘルペスが断続的にあちこち出るし、わたし史上最高レベルで肩甲骨が凝り固まってるし、肩凝りでずつうううお金がないからかな!きっと全部そのせい!猫かぶってるの疲れる!

秋くらいからずっと豚キムチ食べたくて、ついにキムチ買ってしまった。50円だったから。安いね!
でもよく考えたら、お弁当にキムチ持ってったら臭うわね。
そして豚キムチの作り方知らない。豚とキムチ炒めればいいんか?
お弁当は厳しいかな…あえて豚キム丼風にするとか…開けた瞬間臭う気しかせんな…

今年のクリスマスはクリスマスとか言ってられないなー。幸いイブは休みらしいので、一歩も家を出ない予定です。わしの家にもサンタさん来んかのー良い子に暮らしてるんだがのー



「岩戸」の練習眺めてて、まだよくわかんないけど、腕の上がり具合、延び具合、膝の固定具合、手先や足先の向きで、見た目年齢や性別変わるんだけど、若い子がやるとやっぱり若さが出るのね。良い悪いとかではなくて、どこからその若さが出てくるのかよくわからなくて興味深い。「なんか、若い」としか言えない。
でも、逆に、中堅以上がガッツリ舞っても、若さとはまた違う雄壮さになる。
どっちも、ええのはええのーってなるんだけど、「なんか、若い」という舞を舞う時期なんて、人生ではほんの僅かな一時だから、大切なんだなーとか思うようになりました。はあーなんか気持ちが老けたのー
若作りはまた違うで。作りもんは、わかる。

ただ、世阿弥も言うように、若いだけで花がある、持て囃される時期に、他人の高評価に甘んじて胡座をかくか、これは一過性のものだから、と真摯に年長者に習い追い求めるかで、もう10年、20年先が変わるんだろうと思うのです。


そういう気持ちは忘れたくないのー
わたしには若さを感じさせる時があったんかわからんけど。むはっ

やれんのー

いろいろ

結局、この一ヶ月くらい何をしていたかと言えば、どう言えばいいんかわからんけどリストラ的なあれでそれで職場が変わりーの、そのストレスだなんだで扁桃腺炎になって40℃近くだしーの、転職活動しーの決まりーの、今に至るわけですよ。はあー振り返ればなんとしんどい。

あ、でも、いろいろお勉強はしていたり、神楽関係はやっぱり松江にいるときより格段に充実してるんですけどね。ただ、お金無いから方々へ見に行くのはできてない。

あと、魚さばけるようになった。
熱出たときも、38℃近く出た時点で、寝たらもうアカンとおもって勢いで数匹さばいて下ごしらえして、シャワー浴びてから寝込んだ。
そしてついにウロコ取りと骨抜き買いましたよ。うえっへっへ

やらないといけなくなれば、人はできるようになるもんですな。


昨日は、今年最後のお祭りで、ながはまさんの火防せ祭?にお邪魔して、なかなか良かったであります。満足。
本当は「神楽」見たかったけど、祭典が早かったのでちょうど来たときに終わって、それは残念。
「神楽」「塩祓」「神迎」「八幡」「天神」「塵輪」「恵比須」「黒塚」「鐘馗」「大蛇」「五神」だったかなあ。個人的には非常に美味しい演目ばっかり。うまうま
なんてったって「神迎」「塵輪」「鐘馗」「五神」見られたのが嬉しい。

また寝落ちしそうだから、とりあえず好きなやつだけ

「神迎」は、四神の神の色に合わせた、柄の全く違う千早と、同じ金蘭の袴をはいていて、昔は、北前船とかで仕入れた反物仕立てていたのかなあとか妄想広がるー
千早が全く違う、というのが逆にいい!
ま四角に立つんじゃあなくて、平行四辺形?みたいな形で立つところがちらほらあって、それがあえてなのかどうなのかは気になるところなのであります。
淡々と、な舞で良かった。

塵輪」は母ちゃんラブ。
鬼棒が竹じゃなくて、木の棒で、真っ直ぐじゃないのがまたいい。

「鐘馗」は、師匠からかねてより聞いていた、足での探りがよく分かって面白い。あとやっぱり最後が、魚をシメるみたいにクイッとやってあっさり死ぬ感じ。

「五神」は、四神が、「神迎」の衣装で来て、ふおおおおってなった。なんかストーリー性があるというか、関連がよくわかっていい。あと使いがなんとも言えない面白さ。何言ってるのかはいまいち分からなかったけど、控えめに、でも強烈な印象を残していく。
五郎さんは目玉がギョロッと大きくて、相対したらちょっとたじろいじゃうかも、と思うくらい。
衣装見ても、やっぱりこの演目がどれだけ大切だったか、と感じさせるのでありました。

あと、立ち合いは、五郎さん対長男、五郎さん対三人、そして五郎さん対四人、と展開していくのはほほほーというかんじ。
五郎さん一人で対峙するのね。

あとは、所務分けのおじいが、最長老の方で、それは明朗に語られるわけではなかったけど、重みがあるというか、すごい、大切な場面に自分がいられて、良かったという感動。

ながはまさん見ていて思ったのは、
緑と青が好きなんだな、というのと、衣装がたくさんある。
「神迎」の千早もそうだけど…
「八幡」の鬼着は、動くたびに眉毛がふぁっさふぁっさする獅子?虎?がいて大変ぷりてぃー
「鐘馗」は言うまでもなく。
「五神」は、五郎さんだけではなくて、四神が、鎧と陣羽織?身に付けて出てくる。しかも、全員違うやつ。
とかとか。

あと、重鎮の方々の囃子聞けたのが良かったな。
笛で、鬼囃子が歌うような感じなのもいい。

いつまでも、聞けるものではないから、また機会があれば行きたいものですな。

ひょえー!

なんと一ヶ月空きましたぞ!なんとま!

自ら飛び込んだ修羅の道とはいえ、思った以上に波乱な日々でございましたけども、というか現在進行形で、わりとヤバめなんですけれども、一応来年度以降の安定は約束されましたよ。ドンドンパフー

お金貯めてもう少し防音の家に引っ越して、車もかえたいのー
あとは、少しずつ出世払いの清算もしたいのー
神楽も見たいのー

はああ

おさぼりぐせ

一応下書きはちょこちょこ書いてるんですが、毎回寝落ちしておさぼり続き。わりと深刻な貧!困!ですがほどほど元気に生きています。

ひとつ、書きたいことはあるのだけど、この前それ書きながら寝ちゃったので、また今度。

昨日は、かめやまの広島遠征に乗っかってったので3時過ぎに帰りまして、車中で明日は寝て終わりそうだとけらけら話していたら、本当に寝て終わりましたわ。
お昼食べて洗濯機回した以外はほぼ寝てた。
日が暮れてから、のそのそ動いて、もう今はお布団に帰ってるという。寝る子は育つ!むしろ順調に縮んでるけど!

秋鮭ときのこの炊き込みご飯作ったので、お弁当がちいとは楽しみですよ。むっふっふ
お弁当のおかずを考えて作るのがめんどい。


広島のさんのうさんにお呼ばれして、地元のお祭りで「岩戸」。
「岩戸」は、どちらかというとよそ行きの演目だから、近めから見るのはレアなのでむっふふだったのですけれど。

同じ大人数でも、「大江山」とかとは、やっぱり違うんですよね。
天照という最高神はいるけど、それ以外は、舞の比重の優劣はないのだと思う。主従ではないから。四神それぞれが同じくらい重要で、同じくらい楽も重要で、どれかひとつが欠けても、あるいは飛び出ても、岩戸は開かないのかなとか、勝手に思っていますが。

大人数舞だからこそ、見せ欲が目立つのか、逆にうまく抑圧されるのか…わからんなあ

もー寒すぎて白い息出たんですけど、個人的には、舞い上げをみんなが歌うときに、その白い息がほわほわ浮かぶのも、秋祭りという感じがしてええのーって思ったりして。

でも、……なんていうかなあ。
神楽の時だけ、神に敬意払うのも違うのよねえ。もやもや。


さんのうさんの「那須野ヶ原」と「恵比須」と「大江山」も見たけど、なんともゆるーーーいかんじ。村のお祭りって感じ。競演で見るのと、やっぱり違いますねえ
肩の力を抜いているというか。
とりあえずゆるかった。

あと恵比須がもはやサンタクロースだった。


「岩戸」セレクトは、まあ前から決まってたけど…競演の演目だからとかそういう理由なのか、私にはわかりませんが、もしかしたらお宮の神様が、伊勢の外宮の摂社?の神様かもしれなさそうなので、素敵なセレクトだったなと思ったりして。
調べてもご祭神がなかなか出てこないのでわからんけど。
神社の名前は同じだったのですよ。


末、というのが、頂上を指すというのは知らなかったなあ。
麓だと思ってた。
でもたしかに上の方だった。

いやーしかし、知らぬ間に寒くなってきたというか、もうすぐ年末ということに驚きを隠せないですわ。

はい げんきです

風邪引かないなあ言われて、おや確かに、という感じですけど、まあ人に会わないのと前より睡眠だけは事足りてるってとこでしょうね。

お一人様な上に栄養失調状態が通常運転なわたくしといたしましては、インフルエンザはかかったら死亡フラグなので、今年も無事に逃げ切りたい次第。というか病気したくない。

そういえば、鬼門の10月ですけど、島根に来てはじめて何事もなく過ぎそうですよ。むしろ持病があるのを忘れてた。
ストレスフルではあるけど、ストレスフリーでもあり、祭りも今年は少ないみたいなので移動時間とお座り時間が少ないのは大きいのかしら。浜田に来ちゃったから運転時間も大幅削減したし。


ここのところは、ミッションを申し渡されてえっほえっほしていたのと、自分の就職活動でわっせわっせしていたので、ぷつぷつ話すことはあっても、師匠からじっくり神楽について教わる機会がちょっと少な目だったのですよ。

またいろいろネタを仕入れにゃ

なんぞかめのふは師匠の秘書というよりマネージャー業に足を突っ込み始めたんでしょうかね。ぐぬぬぬぬ良いような悪いような
マネージャーって体力いるやん…知らんけど…
でも社中員ではないので外注先ということで。
外注料金はお腹のガソリン補充でお願いします。

とにもかくにも年内は、自分のこれからの動向も含めてわやわやなので、本腰いれたフィールドワークは難しくなのですよ。

次こそ順調にいけばいいんだがなあ…


ずうっと前、大学の頃かな?石見神楽を見始めた辺りのときに、師匠に、鬼が体を震わせたり、肩を上下させるのは、所作であって、息が切れてるわけではない、と言われたことがあったんですね。

大きく見せるための所作なんだったかな?

私は、鬼ちゃんのそういう所作好き。

普段あまり言わないお兄さんが、男鬼は、腰を震わせてばっかりじゃなくて、大きく見せないと、というようなことをいっていて、思い出した。

そういえば、塵輪の母ちゃんは震わせる所作が多い気がするし、鍾馗の疫神とかは震わせるより肩を上下させる所作が多い気がするな。多分。
それが大きく見せるための違いなのかしら。

それがあってるかは別として、やっぱり鬼は鬼でも男鬼と般若では所作が違うんだろうな、と思ったし、やっぱり塵輪は夫婦鬼というか、般若は般若。母ちゃんなんだなあ、と思ったのであります。

ま、どっちにしたって、あの所作好き。

肩を上下させるといっても、単なる肩というより、肩甲骨辺りから上げてる感じ?とか、腰回りぶるんぶるんとかどうなってるのかよくわからんけど、なんかいい。
あの震わせる動作は仕組みがどうなってるのかよくわからん…あんなんならんけど。ウェーブみたいになっとるけど。

いまだよくわからんけど、いいね。うん。もぐもぐ

放浪の虫

そろそろ我慢の限界で旅に出たくなってきましたよ。旅というか、観光?
しかし、根本的な問題として、生活にかかるお金引くと、笑えるくらいお金が全く残らない。笑えるう
京都奈良行きたかったよう…しくしく

今までお金があったことがないとはいえ、自分が心狭くなったなあと思うのは、同じ職場で同じ年代で同じ勤務体系で実家暮らしの子が、毎月県外へ旅行へいくことに対して、ちょっともやっとした気持ちになること。口には出さんけど。
正直、羨ましい。
旅行どころか、遊びにも行けないのに、なあ~って
まあ神楽は別として。神楽周辺は生活に必要な経費に入ります


お予算気にせず欲望のままにお金つかってみたいわ…
そしたら、とりあえず、からあげ食べる。

そのあと胃薬と服と少しの化粧品を買って、本も買って、東日本か奈良あたりへ旅行して、お土産たんと買って、おいしいもの食べて、うーん…温泉入って、地酒買って飲んで、…神楽も見たいしね、能も見たいよね。うーーん…そんなもんといえばそんなもん?
本屋には、諭吉さん5人くらい握りしめて行きたい。
美術館とかも、行きたいけど、行きたいのが行きたい時に行きたい場所でやってるかは運次第。正倉院展はぜひまたいきたい。

なにはともあれ、目下、頭痛薬と胃薬とお米がほしい。
お米がほしい。とりあえずお米がなーい!ほしーい!買えなーい!来月からお弁当困るー!
買いたいけど重いから、買って帰りたくないので、今のところ見送り中。くうー



まあ、そんなのは、どげでもいいんですよ

近頃は家族とも疎遠気味だし、一人で頭のなかずーっとしゃべってるから、放出したかっただけ
しかも最近ずーっとカリカリしてやれない。





大会でいろいろ気付いたことメモほど。


はたと思ったのが、どれだけ広島の神楽が「広島神楽」として、独立し、隆盛極めようとしたり、石見を淘汰しようとしたりしても、結局のところ、そう呼ばれているものの枠の中って、石見神楽の神楽の延長線から脱することが出来ていないのよね。むしろ、石見神楽の汎用性?を、際立たせている。
それが顕著なのは、衣装や面。
一番目立つところが石見神楽のまま。


それを前提として考えると、広島の所作や舞いぶりに寄せることが、確かに、広島の競演大会においては、審査基準に当てはまりやすい。
案外そういう観点から、広島の舞を取り込もうとする人がいる可能性も考えられる。

しかし、そっちに迎合した時点で、石見神楽の伝統からは逸しているし、それで評価をつける審査員もまた伝統や歴史、正統性を見極められない人よね。

そんな人に評価されて嬉しいのか?という話。

そんな人たちじゃない審査員だったから、今回は、いっそうに嬉しかった。

それに、広島の神楽団の人でも、石見神楽にたいする思いや、目耳のある人がおられて、嬉しかった。
 
反面、師匠に教わった通りに、神の座す位置に対する神の立ち位置とかを見てみると、やっぱり「神楽」というより「舞」なのなあーとか思ったのですよ。

そりゃ、習わなきゃわからんけど…それが、古老の教え、というやつなんじゃあないかしら。


はあーもう眠さ限界だから寝る。