舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

はい げんきです

風邪引かないなあ言われて、おや確かに、という感じですけど、まあ人に会わないのと前より睡眠だけは事足りてるってとこでしょうね。

お一人様な上に栄養失調状態が通常運転なわたくしといたしましては、インフルエンザはかかったら死亡フラグなので、今年も無事に逃げ切りたい次第。というか病気したくない。

そういえば、鬼門の10月ですけど、島根に来てはじめて何事もなく過ぎそうですよ。むしろ持病があるのを忘れてた。
ストレスフルではあるけど、ストレスフリーでもあり、祭りも今年は少ないみたいなので移動時間とお座り時間が少ないのは大きいのかしら。浜田に来ちゃったから運転時間も大幅削減したし。


ここのところは、ミッションを申し渡されてえっほえっほしていたのと、自分の就職活動でわっせわっせしていたので、ぷつぷつ話すことはあっても、師匠からじっくり神楽について教わる機会がちょっと少な目だったのですよ。

またいろいろネタを仕入れにゃ

なんぞかめのふは師匠の秘書というよりマネージャー業に足を突っ込み始めたんでしょうかね。ぐぬぬぬぬ良いような悪いような
マネージャーって体力いるやん…知らんけど…
でも社中員ではないので外注先ということで。
外注料金はお腹のガソリン補充でお願いします。

とにもかくにも年内は、自分のこれからの動向も含めてわやわやなので、本腰いれたフィールドワークは難しくなのですよ。

次こそ順調にいけばいいんだがなあ…


ずうっと前、大学の頃かな?石見神楽を見始めた辺りのときに、師匠に、鬼が体を震わせたり、肩を上下させるのは、所作であって、息が切れてるわけではない、と言われたことがあったんですね。

大きく見せるための所作なんだったかな?

私は、鬼ちゃんのそういう所作好き。

普段あまり言わないお兄さんが、男鬼は、腰を震わせてばっかりじゃなくて、大きく見せないと、というようなことをいっていて、思い出した。

そういえば、塵輪の母ちゃんは震わせる所作が多い気がするし、鍾馗の疫神とかは震わせるより肩を上下させる所作が多い気がするな。多分。
それが大きく見せるための違いなのかしら。

それがあってるかは別として、やっぱり鬼は鬼でも男鬼と般若では所作が違うんだろうな、と思ったし、やっぱり塵輪は夫婦鬼というか、般若は般若。母ちゃんなんだなあ、と思ったのであります。

ま、どっちにしたって、あの所作好き。

肩を上下させるといっても、単なる肩というより、肩甲骨辺りから上げてる感じ?とか、腰回りぶるんぶるんとかどうなってるのかよくわからんけど、なんかいい。
あの震わせる動作は仕組みがどうなってるのかよくわからん…あんなんならんけど。ウェーブみたいになっとるけど。

いまだよくわからんけど、いいね。うん。もぐもぐ

放浪の虫

そろそろ我慢の限界で旅に出たくなってきましたよ。旅というか、観光?
しかし、根本的な問題として、生活にかかるお金引くと、笑えるくらいお金が全く残らない。笑えるう
京都奈良行きたかったよう…しくしく

今までお金があったことがないとはいえ、自分が心狭くなったなあと思うのは、同じ職場で同じ年代で同じ勤務体系で実家暮らしの子が、毎月県外へ旅行へいくことに対して、ちょっともやっとした気持ちになること。口には出さんけど。
正直、羨ましい。
旅行どころか、遊びにも行けないのに、なあ~って
まあ神楽は別として。神楽周辺は生活に必要な経費に入ります


お予算気にせず欲望のままにお金つかってみたいわ…
そしたら、とりあえず、からあげ食べる。

そのあと胃薬と服と少しの化粧品を買って、本も買って、東日本か奈良あたりへ旅行して、お土産たんと買って、おいしいもの食べて、うーん…温泉入って、地酒買って飲んで、…神楽も見たいしね、能も見たいよね。うーーん…そんなもんといえばそんなもん?
本屋には、諭吉さん5人くらい握りしめて行きたい。
美術館とかも、行きたいけど、行きたいのが行きたい時に行きたい場所でやってるかは運次第。正倉院展はぜひまたいきたい。

なにはともあれ、目下、頭痛薬と胃薬とお米がほしい。
お米がほしい。とりあえずお米がなーい!ほしーい!買えなーい!来月からお弁当困るー!
買いたいけど重いから、買って帰りたくないので、今のところ見送り中。くうー



まあ、そんなのは、どげでもいいんですよ

近頃は家族とも疎遠気味だし、一人で頭のなかずーっとしゃべってるから、放出したかっただけ
しかも最近ずーっとカリカリしてやれない。





大会でいろいろ気付いたことメモほど。


はたと思ったのが、どれだけ広島の神楽が「広島神楽」として、独立し、隆盛極めようとしたり、石見を淘汰しようとしたりしても、結局のところ、そう呼ばれているものの枠の中って、石見神楽の神楽の延長線から脱することが出来ていないのよね。むしろ、石見神楽の汎用性?を、際立たせている。
それが顕著なのは、衣装や面。
一番目立つところが石見神楽のまま。


それを前提として考えると、広島の所作や舞いぶりに寄せることが、確かに、広島の競演大会においては、審査基準に当てはまりやすい。
案外そういう観点から、広島の舞を取り込もうとする人がいる可能性も考えられる。

しかし、そっちに迎合した時点で、石見神楽の伝統からは逸しているし、それで評価をつける審査員もまた伝統や歴史、正統性を見極められない人よね。

そんな人に評価されて嬉しいのか?という話。

そんな人たちじゃない審査員だったから、今回は、いっそうに嬉しかった。

それに、広島の神楽団の人でも、石見神楽にたいする思いや、目耳のある人がおられて、嬉しかった。
 
反面、師匠に教わった通りに、神の座す位置に対する神の立ち位置とかを見てみると、やっぱり「神楽」というより「舞」なのなあーとか思ったのですよ。

そりゃ、習わなきゃわからんけど…それが、古老の教え、というやつなんじゃあないかしら。


はあーもう眠さ限界だから寝る。

おめでたい

我が愛するかめやまが、いまや一番の歴史ある競演大会で、優勝しました。いえーい!どんどんパフー

かめやまは、二回目。
わたしにとっては、はじめて。

名前が呼ばれた瞬間、ここ一番の雄叫びをあげたし、人生で二度目くらいの嬉し涙がぴろっと出た。

自分事といえば自分事だけど、いうて、自分は何もしていないのでやっぱり他人事?外様?な訳で、でも、すごく嬉しかった。

まあ、かめやまの最中は手汗胸汗脇汗握りましたけどね。とりあえずすごく汗かいた。
だって、完全にアウェーだったから。
かめやまも、わたしも。


でも、たまたま隣で見ていた広島のどこかの神楽団の人は、ひがみ全くなしに、石見神楽の良い舞、良い楽をわかっとられて、それを、若い人に、バリバリの石見節だが、俺は好きだ。お前らあれは絶対に見ておけ、と言っておられて、それもすごく嬉しかった。
どこの誰だかはわからないけど、その人は、本当に良い舞子さんなんでしょう。見極める目と耳、受け止める心がある。

とりあえず聞き耳立てたよね。めっちゃ立てたよね。
隣のお兄さんがめっちゃ香水臭かったけど聞き耳立てるためにめっちゃ頑張った。必殺口呼吸!というよりほぼ無呼吸!


当初アクシデントなのかあえてなのかわからないで、???となったアクシデントもあったようですけれども。ま、結果オーライ



わたしが、今回の優勝で嬉しかったのは。

ひとつは、今回の審査員の顔ぶれは、今までほかの大会にないような、うほっ?!となるような顔ぶれで、石見神楽を、かめやまを、評価してもらえたこと。

競演のセオリー以外のところで不利になりがちな、石見神楽を、向こうの物差しで見た技巧云々ではなく「石見神楽」として評価してもらえたのだろうし、「神楽」としての良い舞、良い楽とはなんぞや、を見てもらえたんだろうかな、と思うのです。

もうひとつは、ちと重複するけど…
誰か一人が抜きん出て評価されるのではなくて、「神楽」というオーケストラに対して、在り方、その姿勢に対して、評価をしてもらえたこと。

そりゃ、わたしゃ師匠びいきですからね、わたしだったら断トツ個人賞!うほうほ!とか思っていましたけどね。言わないですけどね。


それ以上に、オーケストラというか、神への敬意を忘れずに、楽人、舞子、幕内全員が舞殿へ意識を傾けていて、観客含めた空間の空気全体をそこへ集中させるような、自然と熱量が上がっていくような、まさしく「神楽」の姿を、見せてもらえたこと。評価してもらえたこと。
それが、嬉しかった。

誰か一人の功績ではない。
誰か一人が優れていたからではない。
誰かの見せ欲すら、呑み込んでしまいそうな、それ以外のひとりひとりの真摯さ。バランスの良さ。
出番のあるなし関係ない。みんなの功績。みんなへの評価。
だから、団体の優勝で、嬉しかった。
だから、泣けた。


ていうか、やっぱり見せ欲って、見る人が見たらあんなちょっとの時間でさえも、バレるんだなあ、というのも学びましたよ。その逆、真摯さもまた然り。
師匠のウラ話曰く。


あと、隣の神楽団の人が、かめやまの「岩戸」では、舞上げをみんなで歌うのがシビれる、といっていて、もうあなた夜明けの「五神」見てくださいって思いましたね。
めっちゃええ人やん…結局どこの誰やねん…


でも、一日ひたすら座って広島の神楽を見ていて、旧舞はようやくオヤ違うかな?と思うようになりましたけども。新舞は相変わらずよくわからんし、とりあえず頼光五段活用みたいな感じだし、ふうーーーとなっていたところに、優勝と聞いた瞬間に、残りのガソリン全て燃やしたので、その後は疲れて完全にガス欠で、おねむのグズグズモード突入。

とにかく眠かったので、なんかよくわかりません。
そのあと奉納神楽へついていったけど、わしまたアウェーやん?またあのズンチャッカリズムやん?ってなって大部分寝てしまった。申し訳ない
まだ私には一日中ズンチャッカ聞いてるの、ちいといたしいで…
まあ、それで他人の車を運転してよく無事だったものですわ…
同乗者の皆様におかれましては、運転荒くて申し訳なかったですけども。ていうかみんな走るの速くない?


なにはともあれ、今日は寝坊しないで仕事行けたので良かったですよ。職場は暴風で外の収集用ゴミ箱が転げてたけど、眠かったし重そうだったし、まだ転げたまんま。はよ起こさにゃ
水曜で、職場の現体制が終了するので、わやわやして今週末まで休みなしなのですよ。疲れるわあ。寂しくなるわあ。


とにもかくにも、おめでとうございます。

Everybody wants to be a cat

予定のよの字もまだないんですが、もしかしたら、にゃんこをお迎えするかもしれないって、それだけでもー浮かれトンチキ。

はあーにゃんこ…
まあ自分の経済状況が安定しないことには、無責任なことはできないので到底無理なんですけどね。はあーにゃんこにゃんこ
絶っっっ対初期費用かかるからなあ。

もう妄想膨らみすぎてペット用品売り場うろついたわ。近所のスーパーがおもったより充実してて楽しい。むほっ

実家のにゃんこは元気かなあ


ちなみに、我らが愛する(?)藤原頼長殿は、猫好きだったらしい。あ、実在したほうね。

かわええやん…



まーそれはいいんですけど、なんでそんなくだらないことばっかり垂れ流してるかといえば、夏休み期間で荒みすぎて性格がキツくなったがゆえになのか、毒ばっかり出てきそうですのでね、中和剤。

ほんと、キツくなったわ…スレたわ…
あ、いまくしゃみしたら家が揺れた

いま新たなミッション下されているので、リハビリになることを期待します。ええ、ほんとに。


お陰さまでごりごり鍛えられているけど、反面、自分が追い込まれてると、嫌な気持ちになることばっかり気が付いてしまうし、ぼろっと言いそうになりますからね。もっと明るく建設的な学びを深めねばなりません
例えばなんだろうなあー

私は、自分の服にも興味ないので、ふわーきれいーしか思わんけど、師匠のお話聞きながら神楽衣裳見ると、職人によって違いがあるので面白いですね。
あと面も。面は何となく見分けつくようになったかしら。
ずいぶん前になりましたけど、面は、左右完全対称ではない、と教わったのもなかなか興味深かった。どっちが広いんだったかな。
逆さに見ると、不思議と見えてくる。

なにより、それらのもつストーリーが聞けると、面白い。それらの歩んできた人生。


師匠の言う「正統性」についても、いろいろ気がついたり考えたり、咀嚼をしてる最中ですが、よその地域批判みたいにならないように、二項対立みたいにならないように、気を付けないとなので、これはまだまだ先。



こういう言い方はいけんけど、
自分が無知であることを自覚しないピーや、うまいこも避けずにぶつかるピーのどっちも、まわりは迷惑だけど、本人は幸せなんかなあ?


みんなみんな みんな猫になりたい だわ。

さむいさむい

もうすっかり薪ストーブはマスターした気になってますよ。火傷も、痕は残るだろうけど、ひどくはならなかった。ありがとうオロナイン。

はーさぶいさぶい

そろそろ衣替えだなあ
え?ていうかもう神楽の季節ですか?もしかして

半ば強制的に慎ましい生活を送っていますので、反動でそろそろ旅に出たい欲がむらむら。精神的にも回復傾向なのかしら。遠出したいー
もう少し支出入が安定したら、やっぱり東北とか北海道いきたいなあ。
一人だったら、東北で神楽旅かなあー

また、権現様と鹿踊見たい。
今の私が、改めて東北の神楽を見たときに、何を感じるのか、どう考えるのか、知りたい。
大学生の時の方が、断然ニュートラルに見られたけど、比較して見る力とかは、今の方があるだろうし、師匠に学んだ神楽観がどれだけ別地域で生きるか、知りたい。

そうなったら権現様だけじゃあダメなんよねえ。
岩手だけじゃなくて、宮城の番楽も気になるなあ。
青森が、能舞って言うんだったかな。多分

はあー虎舞も見たいなあ。


ふーむお金無さすぎて金の亡者になりそうだわ



今日は特に大仕事した訳じゃないけど眠いからおしまい
あ、早起きしたからだ

きほんのき

今日は、薪ストーブデビューしましたけど、早速火傷しましたよ。痛い。普通に焦げた。寒い。とりあえずオロナイン。

最後の最後で、薪の選定とくべるスキルまで身に付けてしまった…

そして、もはやいつぶりなのかわからない、普通のお弁当箱デビュー。もしかして…高校生ぶり、か?
基本的にご飯は冷凍なので、タッパー野郎なんですけどね、再来月には異動するから、いじめられないように普通のお弁当箱を使う練習しておこうと思いましてね。まあ、最初のうちだけでもね。
詰めるのめっちゃ時間かかるやん…毎回電子レンジ使ったら電気代増すやん…ていうか、たくさんおかずいるやん…
はやくも挫折しそう。


まあ、それはいいとして。

師匠から聞いた話で、ふむふむと思ったことメモ。
ながら聞きだったので、一言一句ではないけど。

石見神楽において、絶対におさえるべき基本的な所作、心構えがある。
でも、特に能舞については、その基本をおさえた上で、舞子の感性によって成り立つものでもある。
しかし、その感性の部分というのも、基本ができていなければ成り立たないし、舞子の感性によって基本そのものを変えるのは、それは、もはや石見神楽ではない神楽もどき。

だから、師や古老から教えられる、基本が大事。
所作も、心構えも。

あーなるほどなあ、と思ったのは、能や狂言は、あらゆる動作が「型」として決められていると思っていて、その上で、個性として出るのは、多分「型」が身に付いた上で滲み出る、その人自身。声音や、癖、その人の解釈によって乗せられる感情だと思うのね。


石見神楽の能舞は、それらに加えて、個性として出せる余白がひろい。

師匠の推測では、そうなったのは、恐らくというかほぼ確実に、かつて石見神楽に猿楽能を取り入れようとした某かは、実際習い覚えた訳ではなく、見て覚えて持ち帰ったから、決まり事の制約が緩かったのだろうと。
その説は、私も納得できるなって思います。

でも、その余白でいかに魅せるかは、その人の基本の習熟度、忠実度によるのではないかしら。

いち舞子が基本を変えるのは、おかしいでしょ!基本なのに!みたいな話になって、ああそりゃそうだ、と思いましたのですよ。
基本を変えて然るべきといえるほど、あなたは石見神楽を極めたのですか。数多の先達を凌駕したのですか。って話ですわね。

昨日の話にも繋がるけど、基本的な所作を変えようとすれば、そこの見せ欲に意識が行くから、逆に神楽がおざなりになる。舞なんかは、顕著ですよね。
テンポがずれたり、手元が狂ったり、足元が危うかったり。
不思議なことに、どれだけ神楽歴が長かろうと、基本や基礎がしっかりとできていなくて、ちょっと心もとない新人の舞と似てくる。

楽も、自分が一生懸命になるから、一人で走る。

ようは、舞いあそべてないんでしょうね。


我ながら、なんや偉そーに!と思うけど、傍目で見ててそうなんだもん。

見てる方も、意識が散漫になって、集中できない。気持ちよくもぐもぐ楽しめない。

よって、最近は一回の神楽全体で、むふー!うまうま、という満足度がなかなか得られません。
演目ごとに、あるいはシーンごとに、うまうま、して補充する感じ。うまうま、オオゥ…、うまうま、オオゥ…、オオゥ…、う、うまうま…?みたいな。起伏が多くて疲れますね。

それとも自分が今おかれている環境ゆえなのか?

ううーむ…


まあ、基本は大事ですよね、だから、基本なんだし。

こそこそ

あんまり、気持ちの良い話ではないと、わかっているので、こそこそ話しますよ。


波が収まっているうちにね。


最近、神楽を見ていて、はて、大衆演劇に感化されているのかな?と思う節がポロポロとあって、あくまでも神楽は「神楽」であって、大衆演劇ではないのになあ、とモヤモヤすることが、ポツポツと。
師匠と話していて「舞台芸術」とポロッと言ったときに、神楽は舞台芸術ではない、神楽だ。といわれて、おおそうじゃん、とドキッとした。

ほいで、見ていて思ったのですよ。

神楽において正しい「型」とされる、扇子の持ち方、採り物の持ち方を崩すと、汚い。

なんだろうなあ。
汚い、としか形容できない嫌悪感を覚えた。

そういえば、一時わたしは仕舞を少しだけ習ったことあるので、扇の持ち方も習ったことがあるのですけどね。すっかり忘れてたけど。

確かそのときに、扇の扱い方は基本中の基本な上、間違った開き方や閉じ方、持ち方は、扇を傷める原因になる、と教わった気がするんですよね。多分。
まあどこで聞いたかは別として、たしかに、要で留めている部分より上の骨を持てば、傷む原因になるだろうなあーと、見ながらしみじみ思った。

いつもボヤいてるけど、結局いまもう既に完成された所作は、無駄が削ぎ落とされた、合理的かつ美しいものなので、それを変えることすなわち改悪にしかならんよね、と思うんですよね。
違うんかな。異論があれば是非伺いたい。

もうね、いまの時代において「羯鼓」のように、ある演目を、新しい文化のエッセンスを取り入れながら完成させる、なんてことは、到底不可能だと私は確信しています。
うまく理由の説明はできないけれど。
やるとしたら、小道具による演出?そんなんねえ、50年後もやるかっていったら、多分やらんでしょ。
3年後ですら怪しいと思うね、わたしは。

なぜなら、心の底から来る驚き、感動が、そこにはないから。
人は、飽きる。

だから、そこで勝負し始めたら、もうその人のレベルの天井はすぐそこだと思う。
モノに甘んじて、自分は退化する一方。そして、退化するのを誤魔化すために、モノのレベルを更新する。そして自分はまた退化。

それとも、自分はもう神楽は極めたから、ネクストステージとしてモノとか大衆演劇に行くのかな?
もうそれなら、神楽のステージにいないよね?
ふむむむむむ


汚い舞は見とうない。

むむむむ毒吐きすぎ?