鍾馗考 常識だと思っていたら違った編
もっと簡単にいうと、
中国と日本とでの交流フォーラム的なのがって、ほんなら鍾馗やったろ!と思って、取り掛かってみたらいいものの、まあ当然のように泥沼に足突っ込んだよね。
中国語も、古文と思えば読めるか……?
虚耗が貧乏神だったことには驚き。
鍾馗は門神のはしり?というか、年末に暦とともに皇帝から下賜されるものだったので、日本には遣唐使の時代に現物が伝わったのではないかと勝手に推測をしているわけです。
しかし、日本では虚耗=貧乏神というより、悪鬼とか疫神として認識されているから、降福招来より辟邪の意味が強くなって受容されたのではないかと。
しらんけど。
石見神楽的には超常識的にスサノオと同一視されているけれど、いざ調べてみたら、石見神楽以外で見つからない。
スサノオ=牛頭天王かつスサノオ=鍾馗は成り立つが、牛頭天王=鍾馗にはならない。
牛頭天王は、お酢にディップディップされて食われることもあるけど、鍾馗はあくまで食うほう。
鍾馗は悪には転じない。大鬼ではあったにしても人間に害をなす存在にはならない。
性格的に、スサノオ=鍾馗は非常に納得いくのだけれど、実は全国的な民間信仰ではなかったというほかない。
ただ、鍾馗の信仰自体はかなり古くからある。
東日本では道祖神とか境の神と結びついた素朴な信仰もある。茅の輪いうのはまあ…強いていえば繋がりがあるか…?
蘇民将来と繋がるのはやはり備後国風土記しかありようがないのだけど、たちまち鍾馗には繋がらない。
とりあえずいったんここまで。
voice or academic
学問として客観性が足りない
客観性とはなんだろう
私がやりたいことは、無くなれば代わりでやればいいじゃない、そんな気持ちで向き合うようなものなのか
そんなの、それこそ、私の代わりに誰かがやればいいじゃない
一応、心の内を内のままでとどめるくらいには、歳を重ねた
私は代弁者でありたい
どこに寄せるかわからぬ波に投げ出す手紙だっていいじゃないか
学歴がなければ、許されないと思った。だから、手に入れようとした。でも、学歴があっても、許されないならば、どうしたらいい
どうしたら、ただただ人がその土地で、生きて為したことを語ることが許されるのか
何故、代弁者であることを望んではいけないのか
沼
中世神話に手を出したら案の定沼にはまる。
いままで吉田神道に気を取られていたけど、多分、伊勢神道のほうなのかもしれない。…と、考えると、石見神楽とかの源流を中世に求めることは、たしかに不可能ではない。
ただ、これをあと一年で取り組むには複雑すぎる…
出雲ではなく、なぜ伊勢か、という新たな問題も出てくる。
とりあえず、伊勢神道では天之御中主を重要視していて、天村雲命を外宮の社家の祖神とした。まあまあ無理やり。
まあ、でも、あるよね…うん
とはいえ古代神話で天村雲命は、尾張族の祖神、、ということで、ここで尾張族とはつながるわけ。
と、ここからの繋がりが不明だけど、中世における国生み神話での地主神は国常立で、本地は薬師如来
全体的に密教色強め
……なので、この前の「神仏習合した神の名前の一例」という話は、ここにつながる。
から、気がついたら地主神として牛頭天王まで出てきた。津島。これは行かないとよくわからんな
天神としての天之御中主=豊受大神
↓
天村雲命
↓
度会家とか尾張族とか
地祇というか地主、先住者である
国常立=薬師如来=牛頭天王???
???????
一応全部浜田の大元信仰ともつながるんだけど、ここまで広けりゃ何でもどこでも繋がりそうな気もするんだが…
ただ、これらの要素が含まれている、という前提で見れば
祖先神、開拓神、地主神としての大元神
穀物神(大歳、ウカ・ミケとかつく系)としての大元神
行疫神、荒神(祟る系)としての大元神
水神としての大元神
の多面的な性格があるのは理解できるし、明治期の整理に伴って天之御中主、国常立、須佐之男が充てられたのも理解できるようになる。
反面、それぞれ別の神として区別して祀られていた神々が、中世になって「大元神」としてひとくくりにされて、さらに近代になって別の神々を充てられた、とも考えられる。
で、結局なんでこの地域だけ「大元」なのか問題は解決せず。
あと、なぜ伊勢熊野か問題ね。
出雲や大山の影響より強いのか?
それと、石見では九州の影響も無視できない。
第六天の悪魔王を八幡神が退治するのは、八幡神が仏教の守護神的なアレだからなんだろうけど
でも、どうして神楽改正で残したのか、という点も無視し難い。
まあたしかに神強いんだぞ!という意味では関山よりは当たり障りは無いわな…
しかも、関山を、国府があった東部でやってるというのも、ちょっと皮肉よね。
仏教あってこその、国府だから…
そういう意味でも浜田は東西で基層文化が、少し違うんだということは考えておかないといけない。
大麻山があったとはいえ、仏教の勢力的には東のほうが強かったように感じる。とくに近代。
もう少し理解が進んだら、考えが変わったり、違うことがあったりするかもだけど、とりあえず沼にくるぶしくらいまではまった現段階での理解はこんな感じ。
おじい その2
そうそう、何故、所務わけの「おぢい」と、わざわざしてるのか、というところに、「翁」への信仰?民俗?を感じたんでした。
オモイノカネが老齢で描かれるのとおなじ
ふるおきな曰く、というやつ
鎮めるためには、翁でないといけなかった
ものを知っている象徴の老人
今の御時世はちょっとねえ、いろいろ思うところがありますけど。
まあ、いまと平均年齢もだいぶん違うし
そう考えると、たぶん、イナダヒメの両親も老齢であることに、意味が含まれているんでしょう
年子でも、とりあえず出揃うのに8年はかかりますけどね
嘆きについては、いまのうちに記録しておきたい
まあ、わたしは老年を汚すようなことはしないように、したいものですわ
結局謎なこと
どーもどーも
ドーピングのおかげで、夜にきちんと寝るから書く時間がありませんで。勉強とキメツで忙しい。
いろいろ書きすぎて、過去に書いたネタが追いきれないんですよね。困りました
はたして備忘録としての役目を果たしているのか?
偶然、読んでいた論集の中で「大元尊神」は神仏習合した神の名前の一つとして、明治期に挙げられていたようなので、今後もう少し調べたいところ。
まだ、よくわかってないので不確かだけれど、国常立の本地仏が薬師如来であった場合、地域の寺とも符合する。
あと、いろいろ調べていると、大元神にくくられているけど、いくつかに分類することができるのも、なんとなく感じていて、そのうちの一つが、いわゆる中国地方東部の荒神神楽の性質と重なる…と推測。
ただ、あくまでも、一側面にすぎない。
祖先神、という性格だけではない。
これはもう少し時間かけて調べていかないとだけど。
あと、石西もみていかないと。
しかしながら、いまだに結局謎なままなのは、なぜ「大元」なのか、ということ。
荒神といわれても、それはそれでややこしいことになるけど、何故「大元」という名で局地的に存在しているのか。
これだけが何のヒントも出てこないから、わからない。
資料がありすぎても困るし、なさすぎても困るんですねえ。
どうにも偏ってるんだよなあ。
暇ができたら邑智郡の大元神のデータ整理しちゃろ思ったけど、全然時間なかったでしたわ。
でも、そのくらいのほうが、まあまあ生きている楽しみというか、目的があるので良いんでしょう
コロナ禍における現状と変容についても、どうにか残しておきたいとも思ってはいます
三面六臂ぐらいないと足りないですわ
あ、でもあれ脳みそはいくつになるんですかね
それではまたそのうち。
お盆のひとり寝のひとりごと
超どうでも良いことだけど、自分的にはビックリしたのと、家族にはいえないゆめの話
忘れたくないからここにメモ
去年スコのまーちゃんが腎臓病で虹の橋
今年妹のたーちゃんが上皮ガンで虹の橋
浜田から一緒に帰ってきた私の扶養家族かーくんは、まーちゃんが大好きで大好きでいつも怒られるのに追いかけて、まーちゃんの真似をして歩いてた
まーちゃんも怒るけど年が離れてるからか他の先住猫よりは優しかったかな
まーちゃんは頑張ってくれたけど入院中そのまま、誰も看取れなかった
病院からお花と一緒に、きれいにしてもらって帰ってきて、かーくんにお話ししながら最後の挨拶をしたけど、まあ当然わからんわね
1,2週間くらいまーちゃんの寝てたベッドにしがみついたり、ケージのなか入ったり探して鳴いてた
なんでおばあちゃんいないの?どこいっちゃったの?って聞こえるようで、悲しかった
たーちゃんは、家で、一番大好きだった父親の腕のなかで
まーちゃんみたいにきれいにはしてあげられなかったけど、良かったんだと思う
たしか一日置いておかざるを得なかったんだったかな
かーくんは、ねえおばあちゃん起きてよ、お布団かぶって何してるの?ってケージの中に手を伸ばしてチョイチョイってしてたけど、からだはあっても、たーちゃんはもうここにいないってことを少しずつ自分なりに受け入れたみたいだった
かーくんはずっと、闘病中は二匹のそばにいた
目が合うと怒られてたけど
なんでかは知らん
先住の二匹よりずっとそばにいたな
昨日の夜は暇だから日が変わる前に寝た
夜中に夢を見て、かーくんがまーちゃんと一緒に枕元に来た夢
まあ夢やろと思いながら、かわいいねって言いながらまーちゃんの頭を撫でたら、撫でた感触がしてびっくりした
まあ寝ながらなんか触ったんだろうな。でも自分的にはまーちゃんの頭を撫でたときと同じ感触で、あれ?ってなりながら、頭を撫でた
まーちゃんを撫でたときにしてくれた、目を細めて小さく鳴いて気持ち良さそうな顔をしたのを見て、そこでまた意識が飛んだ
なんたってメチャクソ薬飲んでるんで
通常営業です
目が覚めてから、そうか今はそういう時期だったなって
猫にそんな概念があるかは知らんけど、あちこちいった帰り際に来てくれたのかな、とか何となく思った
こっちは最後を看取れなかったのに
ひとりぼっちでいってしまったのに
ありがとうねってしみじみ思ったあと、ハッとかーくんは一緒に行ってしまったのだろうかと急に不安になって、親に連絡したら、今はすぐ怒るタイガおじいちゃんとるーおばあちゃんにちょっかいかけてるらしい
ちょっと安心しちゃった。ありがとうね
でもかーくんも、まーちゃんと会えたならよかった。バイバイって言えたならよかった
たーちゃんは来てくれなかったけどまあ孤高の猫だったからね…
死んだそのあとなんて、そんなん知らんし、地獄にはたしかに行きたくないけれども、だからって、天国やら極楽やら輪廻やらしたくもない
無でいい。終わりでいい
そう思ってたし、いまもそう
でも、あとに残されたものが、心に折り合いをつけるための時間とかきっかけとか必要で、それがさまざまな盆行事や葬送儀礼なんだろう
自分はいらんと思ってたけど、無意識にそういう精神作用を起こしたのかもしれん
なんか不思議だった
そのあとクソほど魘されてずっとなんかしゃべってた記憶があるから、なんか、同じ薬物による睡眠でもいつもとは違う状態だったことはたしか
かーくんがおるけ、まだ死なんと頑張らんとまーちゃんに怒られるかもせん