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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ピッカリくん

電気ついたよーエジソーン!
やたらめったら明るい。わあおー
違いがわからないので、前の住人が付けてくれていたのをそのまま買い求めたのでありました。なんかね、残光タイプ?で良いんですわ。

あと一年くらい前に切れた豆電球もついでに付け替え。母が泊まりに来たら静かだし真っ暗だし寝られないと騒ぐので。

あーやっと文明の時代に戻った。


シャワー浴びながらまたいろいろ考えていたこと。

私は、神楽の話をするとき、神楽は時代の変化に合わせて形を変えながら生きてきたというけれど、では、「古式を残した」ものはどうなんだろうかと改めて自問してみた。

今ひとまずの解としては、それもまた一つの時代に則した「変化」ではないかなというところ。

ある日誰かがふと立ち止まって、振り返る時のために残さなければいけない時代、あるいは「古き良き姿」「昔ながらの姿」に絶対的価値を見出だす時代でもあって、そういった時代の要請に応えて、時間を止めた。
そもそも時間を止めてしまえるような、「古式」を謳えるようなところというのが少ないので、余計に価値とされる。

そういう存在はもちろん必要。
しかしながら、とも思う部分もあるけど、必要な存在であることには間違いない。
そういう時代でもある。


しかしながら、我々が気を付けて耳を傾けるべきなのは、ほんとうに、根っこから枝葉まで一度も途切れることなく、ほんっとうに古式をそのまま正しく継いでいるところなんて、無きに等しいので、正統なとか源流だとかそういった言葉は穏やかにしかし注意深く捉えなければならない。

全国等しくそういえる。

少なくとも、明治初期。大多数はまずここで一旦途切れる。長短の差はあっても分断される。
そして、昭和の戦中後、高度経済成長期。
みんながみんな等しく時代の余波を食らっている。

必要があって復活したものが多いと思うけど、求められなくて消えたものでも話題作りのためだけに復活することもある。



今残っているものたちは、担い手を変えた。あるいは芸態様相を変えた、それは踊りだろうが舞だろうが歌だろうがとにかくイチャモンつけられたもんは変えた。まず明治初期は大方これ。
残りは中央の目が届かない辺境の地であったか、一番入り口に近いところだけ、ようはパッと見だけ迎合したように見せかけて他は残した。残すために誰かが犠牲になって変わった。

八調子が生まれた背景、大元祭りを捨てた背景も、ただの海の民と山の民の嗜好の違いとか、娯楽を求めたとかそれ以前にこの時代と、浜田の土地柄があるんだと思ってる。少なくとも、私は。
浜田が変わらなかったら、六調子も守れなかったかもしれない。みんな共倒れしていたかもしれない。


昭和は以下省略、だけれど、掟すら変えざるを得なかったところもある。

担い手がいなければ継げない。
受け手もいなければ継げない。

ただでさえ、ナマモノ。


一人の人間なんて、ほんのわずかな時間しか神楽やそういったものたちに関わっていないのに、その前後ほんのわずかな時間しか見つめられないのに、どうして、確信をもって変わらないだとか正統なとか源流だとか言えましょうか。

化石じゃないつもりなら、なおさらに。

東の亀さんの娘さんは、それを「ホルマリン漬け」と呼んでいた。ふと思い出した。

もちろん、その言葉を気概を誇りとして、全てとしている人もおられる。叩いたらこっちが怪我をするのでそこは穏やかに微笑みながら、でも自分の眼で冷静に見つめなければいけない。


それでも人は、遺すんだよな。

くらーいくらーい海の底

タイヤキ君は泳ぐよ。

おうちが暗ーい。布団あつーい。
試しにこたつに乗ってみたらギリギリ手が届きまして、とりあえず写メ送ってみたら父上から珍しく電話が来て取り外しはできたのでした。あとは頑張って買って付けましょう。
真上見ると目眩がするでー。クラクラ。

実家では自分の部屋の電気は取り替えてた気がするけど、なんかあんなたくさんコードあったっけ?ってかんじ。

はらはらドキドキ。廊下の電気切れたときがヤバイな。マジ脚立必要。


去年末のアレしちゃろうを探りに今日は浜田まで行きましたのですよ。だから帰ってきた頃にはおうちは真っ暗なのでしたよ。

なんちゅーか、ヤバイにおいがプンプンますます臭くなってきたで。

結局何が違和感なのかっていえば、行政と業者は同じ方向を向けるかもしれないけど、今のところ実際に神楽を舞っている人たち、支えている人たちのことは二の次三の次なんよね。

おいてけぼり。
あるいは翻弄。

それで、事業が終わったらおしまいってそれなんか違うんよね。

細々としたポイントはまあまあ間違ってないところもあるんだけれど、やり方が間違ってる。あり方が間違ってる。

でも、私は何もできないのであります。
無知無力。無人脈。


むーーー。憂鬱。


なんか違うんだよー。もやもやもや。


愛だけでは、何も成せません。救えません。
救われません。

つぶやき

いつも以上に中身のない話しかしていません。ピンポーン

またいたしくなってきたので、温泉デー。頻度高いな。
今日は川本まで行くのもなんだかたいぎいくて、多少近い三刀屋の山奥へ。人が少ないとこがいいですからね。

でもやっぱり我がオアシスに勝る薬はないな…
それか、いま本気の不調か。ピリピリ痛い。

なんだか、田舎のばあちゃん家に風呂借りに行ったみたいな感じの温泉施設でありました。漬物うまー。というか風呂上がりの番茶はヤバイ。あれはヤバイ。美味しすぎてめっちゃ頂いてしまった。ただ中に人が入ってきたときの緊張感…なぜ湯船が三角形なのだ。
しかも駐車場でヘビに出くわしちゃった。わあお。マムシではなさそうなので写真撮ってさようなら。
公営だったら浜田のほうがいい感じなのかなあ。いや美又は同じ感じか。旭?は良かった。まあ安く良い湯に浸かれるので文句はない。

帰りはなんかよくわからないおじさんの自慢?話を色々聞いて、人間のエゴとは…とか悶々考えながら山を下ってきたのでありました。

今度はどこいこうかなー。


昨晩は昨晩で一年ぶりに同い年の友達三人とご飯を食べて、楽しかったけどまた色々考えたりして、吐き出し口もなく悶々。

興味深いのは結局四人とも行き着いたのは古老の教えマジ重要!ってとこ。多分見てる方向はてんでバラバラだけど、一致。そしてそのうち二人は農業に回帰しつつあるという。すごいわー。
私も釣りと捌くの覚えたいなー。畑仕事は自信ない。自分が食べる分だけ作るとかはやってみたいけど無理な気もする。
会社では、あなたは釣れる人を見つければいいけん!と言われたけど、その人死んだらわし食いっぱぐれるっちゅーねん。

四人の中で、サラリーマンは私だけで、いわゆる今時な感じの暮らし方(アパートの一人暮らし)も私だけで、何かあったときにサバイバルする術がないのも私。はーヤバ。
ほかは実家暮らしで仕事やめて数ヶ月休憩!が叶う子もいたり、シェアハウスして庭耕してる子もいたり色々な人生があるのねー。


あ、たったいまついに家の電気が切れてしまった。困ったな。
本読めんや。


私はといえば、という心持ち。

武器がないから食いぶち確保してからじゃないと動けない。今月分の支払いでいっぱいいっぱいで休憩はできない。いろんなしがらみでしり込み。


もうね、子どもじゃないんだからとか、ここしかお前でいいわって、いってくれんだったじゃんとか、今さら他にやりたい仕事も、見合う能力もないじゃんとか、いろいろ言い聞かせながら見て見ぬふりしてきたんだけど。この数ヶ月。
すげー会社に行きたくねえええええええ
行きたくないんだよおおおおおおお
嫌なんだよおおお

もう嫌ああああああ


めそめそめそ


もうただただ神楽に埋もれていたい。
でもそれは仕事にならない。仕事にしてしまう頭も能力も体力も資金もない。

ふぐううう

いや待て、仕事にしたらその時点で望むような向き合い方はできないな。

ぐぬぬぬぬ


とにかく会社に行きたくない。あっこに行きたくない。
頑張らなきゃ。頑張れー頑張れー


でも明日から電気なし生活どうしたらええんや……
トイレの時と比べもんにならんで。
冬じゃなくてとりあえず良かった。
手が届かないの辛い。


近頃久々に会う人ごとに、まだ神楽は行ってるん?て聞かれるのですが、それはもう飽きた?という意味なのかでちょっと悩んでるけど、逆をいえば私=神楽と覚えていてくれてるのがありがたいことなんだと思わないとなりませんね。

まだというか、むしろ更に神楽へ行ってますけどね。運転できちゃうからね。
神楽と温泉くらいしかわざわざ出かける用事が無いともいいますけどね。

神楽のために、島根に来たんですから。
東北でもなく、奥三河でもなく、また九州でもなく。

それでよかったんだと、いまのところはまだ思っている。少なくとももうしばらくはそう思っている。もう一度ここまでの情熱と時間をかけてあるところに入り込むのはあまりにもエネルギーを使うからできないな。
あとはここで、島根で、これからどうするか。
スタンスはきっと、間違えていない。


はー。寝たら月曜日が来てしまう
あ、でも明日は午後浜田だった。わっしょーい。しんどいけど頑張ろー。

たわごと

朝もはよから怒鳴られたりなんだかんだとサイテーサイアクな一日でありましたけれども皆様ご機嫌麗しゅう。私は麗しくないです。
イライラしすぎたときこそ、からあげを。with 胃薬。もたれたわー

思い出しムカで、誘惑に負けてビール飲んでもうた。
湘南ビールうま!(多分)
私も大仏のように大きな背中と心がほしいです。でも中は空洞です。
次帰ったときの師匠へのお土産は決定じゃ。うむ。

また家のアルコールが減ってしまった。

聖なるライオン踊りの本読んでも頭に入ってこらん。

とりあえず思ったのは、
先導の猿田彦と、獅子は、問答するのね。
やっぱりそれ系か。
問答ののち負けた方、獅子は祝福をして帰っていく。
帰るのかは知らんけど。
問答する神。


大神楽もまた八調子みたいなもんなのね。もしかして。わからんけど。
その前段として土着の獅子がいた。
それをある人達が自分達の文化として整えた。両方残っている。

この本だと修験というより神職、それより前は陰陽師みたいな書き方だなあ。修験ではないのか。あと火伏より、疫病・飢饉の厄払いが先っぽい
まあそれは東北とかもそうか。
権現様が深く根付いたのは大飢饉が一因だった。
土地柄とかもあるんかな。

あ、あと、昔はミノを合わせた獅子で、なんともいえん風貌だけど、それが集落を回って最後集落の外れで焼かれるっぽい?また正気の時に確認だけど。

つまり、獅子そのものが依代というか、人形というか、害なすものをそこに移すための存在だったんだな。それをとんどさんみたいな感じで焼いて、また次の年、次の年。

いまみたいな獅子頭を持つようになってから、頭はそのまま、体だけ焼く。

あと、産土神を疫神と書いてる。
獅子頭産土神として祭るのも、災厄を毎年依らせてるからなのかな。

プリチーだけじゃないな。



ううーむ。

ううーむ。


疫神が産土神か。

ふむむ。

繋がりそうなんだけど、アルコールが邪魔をする。



どっちかというと「鍾馗」の疫神より「茅の輪」の禍津日神だな。

あ、それが蘇民将来巨旦将来に繋がるのか!

腑に落ちた気でいるけど本当だろうか。


でも、もともとそういう概念とか土着の…もはや儀式?が広くあったんじゃないかな。


こういうことばっかり読み散らかして考えてればいい生活ならどんなに幸せなんだろうなあ。

がおおおお

取引先へお使いごとへ。
いつも話し込んでしまうけど、たまたま探し物についていって書架を覗き込んだら、伊勢大神楽の本を見つけちゃった。
いいなあいいなあ言っていたら貸してもらえました。わあい。ラッキー。

たしか麒麟獅子の研究をしている人だよなあとおもったら、やっぱりそうでした。
もう亡くなられてしまっているらしい。そうか。残念。


まず面白いのが、獅子舞の英訳が
Sacred Lion Dance という。

名詞の修飾だから意味合い的にも…神聖な、神の使いの…あたり?
単純に読めば、聖なるライオンの踊り。……オオゥ…
唐獅子はどっちかといえば狛犬と同系統なんだろうけど、がおおおの方になるのか。

堅実に判断すると15,16世紀成立と見るのがいいようですが、桑名ね。桑名。なんだろう、なんか聞き覚えがある場所だなあ。
そこに残っている獅子頭とか見ると、やっぱり岩手のプリチー権現様の獅子頭も、大神楽のそれを模しているのがわかります。チリチリ頭みたいな。九字なのかな?白い紙で作ったモジャアとしたタテガミ?がくっついてる。

社風神楽だったかな。頭からかぶる権現様がいくらかありましたが、あれは完全大神楽の色がありますね。
多いのは腕と手で扱う、小ぶりな権現様。
それでもって、鹿踊りに顔が近い。
たしか、あのふたつは兄弟みたいなもんという本を読んだぞ。

ということは、素直に大神楽を参考にした頭と、なんかなぜだかトランスフォームして獅子と鹿に分かれた頭があるんだな。ふむふむ。なんでだ?

あ、社風神楽は神職がほかよりもうワンステップ担い手として関わっていたところだから、そうなると神職が伊勢系だったという仮定も立てられるかもですね。
頭、あるいはそれに必要な材料や技術が伊勢で整えられた可能性も考えられる。対して、現地で生まれたのがもう一方の獅子、そこから分かれて鹿、とか?

ふーむ。

すんごく雑にメモすると、大神楽の発生地点では、伊勢のお札を持ってる系の集団と、回り神楽を持ってる系の集団が、じゃあお互いに持ってるものを分けあいましょうねって、お札を持ってる系の集団が回り神楽を習って東日本へ、回り神楽を持ってる系の集団がお札をもらって西日本へと行脚したらしい。
なんという。スゴいな。
どっちかが、こりゃうちのだからって占有していたら、今のような獅子舞の超広範囲な伝播はなし得なかったわけですね。スゴいな。

そしてこの人たちの特筆すべきは、その芸態に影響受けた獅子神楽は生まれたにせよ、大神楽そのものは自分達が担い続けて、現代におけるまで回り続けているということでしょう。
その土地のもとある文化を駆逐するのではなく、お役目を果たして去っていく。そしてまた来年やってくる、みたいな在り方。
まあこれについてはもう少し読み進めないと本当にそういう見解でいいのかわからんですが。今のところの印象として。


ただ、ご多分に漏れず明治4,5年は政府から禁止の通達があったよう。
村を渡り歩いて神楽奏して見返りもらうなんてけしからんとか、お札を配って歩いてけしからんとか?そんな感じかな?

なるほどねえ。

そう思うと政府は政府で結構それぞれの地域の神楽の特色について把握した上でテキメンの禁止令を通達してる感もありますな。

マジで新政府のおかげであらゆる文化が大打撃だ。


そうそう、あとこの人の文を読んでいて、普通神楽とはカムクラから派生したもので、その字は「神を楽しませる」ための供物として、という論調がポピュラーだと思いますが、「神がたち現れるときの楽」というニュアンスでは、みたいなことを書いておられてホホゥと。結構その論好きかも。
誰が楽しむか、というより、その楽によって神が現れる様子を表したりとか、が確かにしっくりくるような。
楽しむ楽しまないはまたそのあとみたいな。

なるほどねー。


急に眠くなってきた。
また明日読んでみましょうかね。

ただのつぶやき

ねむねむ。
眠いというか、なんとなくづかれ。


今日外回りでフラフラしていたら、今は東の亀な、蕎麦屋のお父ちゃんを目撃したのであります。わあーおとーちゃーんってやりかけたけど、もういいトシ25歳女子、運転中。ぐうとこらえてスルー。ほら、人違いかもだし。
赤信号だったら、やってたけどね。


いまそれでも外回りしているからまだマシなんですが、なんてったって人と話す機会が減りすぎて。横並びで目を合わせず話すのは平気なんですけど、対面して目を見て話すと汗が出て動悸してだんだんちょっとうるって涙まで出てくる。わし汁ブシャァア

電話も仕事ではめっちゃかけるけどオフではほっとんどないですからねえ。

でも頭のなかを通りすぎていく言葉とか思考の整理のために口に出さないとインプットもうまくできない人、暗記物は全部書きながら口に出すような人なので、困った君。
だから相談とか会話だけじゃなくて、整理のためにウダウダ話すときもある。最近それがないからグチャア。近ごろは夢ん中まで言葉や思考でグチャアだから、ほんと整理できないままグチャア。

今までってどうしていたんだっけなあ。



あー話は変わりますけど神楽みたいねー。
コテコテ神楽がいいねー。


そうそう日曜日に、口羽で次の日祭りがありまして、行きたいなーとぼんやり思うんですけれど、某線が廃線になってしまってからのほうがいろんな意味で行きやすいのかなーとか思ったり、遠いなーと思ったり、悩み中。

神楽は夜だから眠いし遠いしなかなか難しいんだけど、傘鉾見たいんですよねえ。むむむむ
賀茂神社だし。あそこは行ってみたいお宮のひとつです。

むむむむむ…

お祭りで、お宮の参道の入り口ら辺に立ってるのも傘鉾でいいんでしょうか。上府かな?では境内にたしかありましたが。
あれ、こっちに来てはじめて見たのですが、ほんときれいですね~
祇園辺りの風流の流れなんじゃないかと思うのですが、きれい。

出雲の辺ではあんまり見た記憶ないけど、やっぱりあるんでしょうかね。

あれの分布とか意味とか歴史も知りたいなあ~。
ちょっと神楽ではないけど、祭り全体として。田植囃子かなにかで、ああいう系統の花笠をかぶるところがあった気がするし。

真っ白だと、神道花の可能性もあるんじゃないかなーとか。あんまりじっくり見たことないけど多いのは五色なのかな?そしたら、五行説とか神仏習合的な意味合いが強い。
そもそも真っ白なことってあるのかな。

祇園辺りの風流の流れを汲んでいたら、あれもまたひとつの宗教の道筋の手がかりのひとつになるのかなと思うのですけれども。
花祭には少なくともなかったから、熊野系ではないんじゃないかという仮定。

ふーむ。


奥が深すぎる。

眠いからおしまい

まいあそぶ

最近つとに思うのが、結局のところ大いに思考して知り得ない世界を垣間見て楽しむためには、衣食住と心身が調ってないと難しいんですわね。

考えたくても、今日のご飯どうしようが頭のなかで先住民していたらいけんのです。

ほんとそれ。

それで面倒くさくなってポテチとお酒で済まそうとして胃を痛くしているのが今の私である。
ぐわあああああ


ももう歯磨いちゃったし。
手が傷だらけで洗い物したくないし。ガマン。

心も荒れ荒れなので、途中だった恩師の本をまた途中まで読んでみた。
先生の本は難しくて一章ずつ進むのが精一杯なんだけど、なんだか読むのが楽しい。先生の声が聞こえてくるようで。中世の芸能への愛がモリモリで。
最近こういうひたすら愛を叫んでる本を読む機会少ないなー。


で、また神楽とかについても通じそうなこととか。めもめも。

平安後期から中世にかけて、新嘗祭のときに行われた五節という…ようは宴会芸的な?のが宮廷であったみたいで、それがまあ時代を下るごとに盛大な乱舞となったらしい。「芸能尽くしの宴」とな。

もとは、貴族たちが、娘の宮廷出仕の絶好のチャンスとして、天皇を前に舞を奉ずる娘たちをとびっきり美しく着飾り、つかいの人たちや控えの場をいかに美しくしつらえるかとしのぎを削ったのが、院政になって外戚関係とか望むどころじゃなくなって、自分達が楽しんじゃおーぜーに変化していったらしい。
だんだん、娘たちの舞メインから、今様とか白拍子とか?即興で舞っちゃうとか?

モノクロだからわからんけど載ってる絵巻の人たちの頬が赤く見える。しこたま飲んでそうな感じ。

行くとこまで行くと、もう、帰るのも名残惜しくて、宴でやった芸能とかをもう一回ループしちゃうし、それぞれ立つたび歌を歌って足を踏み鳴らして帰ったらしいとか。

どんだけ好きなんじゃ。

というか、一番上のほうがそうやって舞い遊び狂っていたんだから、そりゃあ、下のほうも熱狂するも当然なわけで。
雅楽が公式にせよ、もっと世俗に近い芸能もまた大いに楽しんでいて、同じようなものを上も下も見ては喜び笑い享受していたんですね。


結局この構図って、特に今の石見とか、本当に変わらんのじゃないかなと思うのです。
芸能の本来の姿って、こうなんじゃないかなって思うんです。

みんなが楽しい。みんなで舞い遊ぶ。
上も下もない。
人を唸らせる名手は評価されるし、反対に身を持ち崩し滅びる人もいる。

その前段階として
天皇であったり、神であったり、一番敬っているものの前に立つとき、自分のもてる一番の設えで、一番の美しさで、一番のセンスで着飾る。
そのさらに前には、新嘗祭とか秋祭りのように一番の初物、一番良いものを捧げ奉る行為や心がある。

儀式として、心構えとして、それは踏襲しつつも、やっぱり自分達も楽しみたいよね、という気持ちがだんだん出てくるのでしょうか。
みんなでわいわい、酒を飲み交わしつつ、歌を歌いつつ、時には体も動かして、舞い遊ぶ。

そしてそれが、天皇や神を喜ばせる。

ある意味これが日本人、大和のDNAなのかな。


それが、宮廷だって辻だって戦場だって関係ない。
いや、だからこそ舞うのか。今この時この場所だからこそ舞う。歌う。この時代だからこそ。


乱舞の系統でいくと、僧侶もまた担い手らしくて特に奈良の辺が多いのかなあ。延年というと、なんか岩手とか奥州藤原氏、平泉なイメージだけど、その元祖ってよく考えたら都だもんなあ。

なんと読んでたら我らが頼長殿が出てきた。ビックリしたなあ。もう。
クッソ真面目な頼長殿は「僧に似つかわしくない」って眉をひそめちゃうくらい、舞とか歌とか、そういった身体表現が自然と出てくるような時代だったんだということなのでしょう。

それがまた、身分を越えて心を通わせることもあったりして。きっと、頼長殿はクッソ真面目すぎてその時代に適応できなかったんじゃないかとも思うね。うん


読んでいると、抱腹絶倒な乱舞で超大盛り上がりしたで、みたいな記述も結構出てくるんですが、抱腹絶倒する乱舞って想像つかなくて、当時どのようなものが舞われていたのか本気で気になる。

岩戸でも、ウズメちゃんが神楽を奏して神々が大笑いしたってあるけど、もともと、多分少なくとも古代から中世は確実に舞と笑いがセットだったってことよね。
それが「舞」なのよねえ。
「踊り」じゃない。

今はどちらかというとそういう要素は「踊り」が担っている気がする。
そもそも「踊り」が発生したのはいつの時代なんだ?

一遍のなんとか踊りは「踊り」だし、阿国のかぶき踊りも「踊り」。時代がよくわからんけど。
一遍は鎌倉か?
うちの近くっちゃ近く、地元ら辺にたしかお寺あるし。鎌倉仏教だったかしらね。
むむむむむ


今神楽で抱腹絶倒系というのは、全国的にいわゆる男女和合・五穀豊穣系。おかめとひょっとこ、翁と嫗がポピュラーじゃないかな。

石見でいえばチャリだけど、チャリ舞は案外男女和合系少ない。
「五穀種元」くらい?五穀豊穣を表してるから、あれは大元信仰の名残というか、大元祭りの時にはすごく大切な舞。なくしたらいけない舞。って、師匠もいってた。
「大蛇」でじいじとばあばがいちゃつく時があるけど、あれもこれの部類なのかな。

でも、「八十神」「日本武尊」「黒塚」「五神(の使い)」、おおよそやられる「貴船」とかとか、あれは男女和合じゃない。なんでだ?
これだけ全力で笑いをとる系で、男クサイのって珍しいと思う。多分。

とはいっても舞で笑いをとってる訳じゃないしなあ。

舞で、腹がちぎれるほど笑うってどんなんなんだろう。見てみたい。それを目撃しにできればタイムスリップしたい。


これだけ妄想させる先生はやっぱりスゴい。
はあ。

至極の舞と楽の空間のなかに身体を浸してそのまま空気中に粒子となって溶けて無くなってしまいたいよ。