舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

私的お悩みご意見

うわあああああ週末うううだけど明日は忙しいいい自分で自分の首絞めた。ぐえええ、
明日は、後ろの席の人に誘われて、かーりんぐとやらに行ってみますのですよ。

外国の女性ですごく日本語が上手というか、品があって、いい人だなあと思っているから、お誘いに乗ってみたのだけど、LINEで打合せした最後に、ではまた明日。ごきげんよ。と来たのは、なんだかなかなか味わい深かった。
なるほど、ごきげんよう

でも、そのかーりんぐとやらの前に朝っぱらから鬼のようなウォーキングがあるので、多分昼寝しないと倒れる。
行きますといった自分が恨めしい……


最近、あまりに、にゃんこが恋しすぎて、保護猫調べていて今にでもお迎えしたいくらいなんですけど、まだ来年度の職場環境やらお財布事情やらわからないし、半年に一回くらいのペースで帰省はしないといけないしという理性との狭間で激烈に葛藤中。
悩ましい…

最悪、お留守番は知り合いに頼めるんかなと思うけど…実家のにゃんこがショック受けそうだしな…
ぐぬぬぬぬ

まずはグッズを買いそろえよう。うん、そうしよう。
………いや、ほんとに…ええんかいな…

多少紙モノを片付けないとだけど、室内飼いしても狭くはないと思うのよね。独り身2Kだから。
高さはないんだけど。

ぐぬぬぬぬぬぬ…思いきりがつかないし、諦めもつかない。苦しいいいい

電話だけしてみようか…いや、でもな…ううううん

あと、にゃんこいない生活の唯一魅力的なところは、黒い服が着られるってことなのよね…まあコロコロ買えよって話だけど。

基本的に思いきっちゃうマンだけど、自分以外の命のことだし、こればっかりは思いきれないマンなのですよ。


…という、極めて私的なお悩み相談室でした。


続きまして、あくまでもこれは意見には個人差があります、というのを今更ながら強調しておきますが。
県外公演について考えたこと。

私自身は、実を言えば、向こうにいる間に「東京公演」なるものに行ったことって、あんまりないんですね。
記憶にあるのは、池袋で盛大に迷子になったかめやまの東京公演と、あとは虎舞。虎舞は単独じゃなくて招聘みたいなやつだったけど。
他なんかいったかな?と記憶を辿ってみるものの、私のボロクタなデータベースには引っ掛かってきません。
大人になって、しかも島根まで来ちゃって、ああもう少し学生のうちにもっと見ておけば良かったなあ、という気持ちは今となってはありますが、あえて行きたいと思わなかったのも事実。

というのも、県外公演というのは、なんというか…パフォーミングアーツだから。

出掛けてくる側、師匠の視点からいえば、それは巡業。
出迎える側、といっていいかわからんけど私の視点からいえば、それは舞台芸術

師匠に、神楽は舞台芸術じゃない、神楽だ、といわれてドキッとしたのは、そうだよな、と思ったのと同時に、やる側からすれば神楽は神楽なのに、みる側はそうは見てないのかなって思ったから。
もしかしたら、そういうの含めて、師匠の「神楽」をみたときに感動したのかもしれない。ああ、神楽なんだ、って。

かめやまの東京公演は、いわば卒論のネタ探しみたいなもので行ったわけですが、虎舞は、フィールドワーク行ったあと、たまたま、東京でやるからということで、その時一緒に行った子と行ったのですね。
もしかしたら、他にも行っているかもしれないけど、まあかめやまはともかく、なぜ虎舞だけは覚えているのかといえば、「虎舞」というキーワードに対して、当地気仙沼で自身が見聞きしたこと、感じたことと、虎舞とそれを担う人がヒモ付いているから。

つまり、その芸能というタイトルと、それについての「ストーリー」が、自分の中にあるから、東京のハコで見たとしても心を動かされ、記憶に残るのだと思うのです。

対して、フィールドワークで見聞きしたことや神楽や、その土地の芸能の記憶ストックの方が豊富なのは、結局それも「ストーリー」があるから、なのだと思います。
土地の風景や、味覚や、人、舞殿の空間、祭りの空気感…ひとつの神楽について様々な要素が附随して記憶を構成するので、普段は引き出しに入っていても、取り出そうと思えばポコポコ出てくる。
下手したら、その時の会話とかまで覚えてる。
いつもは昨日話したことどころか朝何を話したかも覚えていないのに。

行ったことのない、感じたことのない、つまり、身の内にストーリーのない土地の芸能の東京公演へいっても、なかなか記憶には残らないし、はああええのおーと感嘆するのは、パフォーミングアーツとして感嘆しているのだと思います。
いい雰囲気の祭りだったね、というのではない。
みなさんきちんと揃って、いい演技でしたね、というほう。


そうなると、じゃあ県外公演のやる意義とは?となるんですけど、そうはいうてもご新規さんで来る人もおんさる。民俗芸能が好きだからとか、なんかあったからとか、口コミだとかであるでしょう。
ご新規さんを感動させリピーターなり当地へ足を向かせるきっかけにさせるのは、完成度の高いパフォーミングアーツか、多少ゆるくても、当地でやる空気感のあるもの、神楽が神楽であるものなのか、そこはもう各人に委ねられているのかな。


もちろん、新規開拓は重要を目に触れること、名を知られること。



反面、ベース層としてあついのは、在京者や、出身者なのではないでしょうか。

自分の記憶にある神楽と違うかもしれない、時代のうつろいを感じてちょっぴり寂しいかもしれない。
そういう複雑さを含めた郷愁というか。

でもそれって、故郷からやって来たからこそ、感じることだろうとも思う。
なぜなら「ストーリー」があるから。


何度も寝落ちしたのでまたかきなおすかも

貴重品係の眼

今日は、仕事の日より早く起きてエンヤコラかめのふして、帰ってからエッサホイサ米を2回炊いて一週間分のお弁当のおかず5品作った自分エライ。
まあ買い弁する余裕ないし、カップ麺も限りあるし、生活かかってますからね。
ほんとは5品も要らない気がするけど、大根を消費しようと思うとそうなる。1/2サイズ買って3品作って、まだ1/2残っている最強のコスパを発揮。
はあーつかれたー。

今日は、広島市街へエンヤコラ遠征で、いつものようにトラックに積んでいただきーの、チケット買えないので、ジャーマネ見習いらしく貴重品係。
今回はチャック付のトートバッグで万全の体制ですよ、でへへ。他にもいろいろいれてたけど。

指示はされていなかったけど、他にやることないしなーと思っていて、行ってみたら鍵かからないし、お隣さんと幕で仕切られてるだけだったから、念のため。することないし。

あ、あとスサノオさんがお風邪でしたので、お水係?
みんな喉渇くよなあーと思いつつ、手は二本しかないので、三本しか持てません。

貴重品ぶら下げて、ペットボトル抱えて、みんなの後ろをトコトコついていって、幕の脇からヒョコヒョコ覗いてみたり、スサのお手伝いしてみたり、右往左往していたんですが。

貴重品係は、自分的には、遠征の舞台神楽でしか用がないんかな、それ以外は自分も普通に見たいし、という気持ちなのですけれども、その醍醐味?というか、むふふ、ってなるのは、一番近くで、某になる瞬間を見られることでしょうか。

衣装着て、舞台袖に立ったときは、まだ、スサノオだけどスサノオじゃなくて、心落ち着かせているだろうからあんまり話しかけないけど、話そうと思えば話せる。
でも、面をつけた瞬間に、空気が変わる。
それで、一歩二歩踏み出したときには、まだ客席からは見えていないだろうけど、風邪だろうがなんだろうが、その背中は、スサノオ

逆に舞台からはけるときに、袖に飛び込んできた瞬間はまだスサノオだけど、面をとった途端に、帰ってくる。

他の役も一緒。
大蛇も、姫も。

その行き来を、貴重品係のときは見られるので、舞は全然見られんし、右往左往して疲れるし、私は役に立ってるんか?という気持ちで毎回一杯になるけど、嫌いな役どころというわけではないのです。


というところで寝落ち。



まだなにか書きたいことあったけど忘れちゃった。

考え事。

企画したら連れてってくれるかも、的な思わせ振りなことを言われたので調子ぶっこいて研修旅行できそうな情報集めてみているけど、神楽にまみれた生活をしすぎて、よそでは神楽の情報がちっとやそっとじゃあ出てこないことに久々にビックリした。
おいおい、染まってるぜー

泊数によっては、できれば補助金申請できるとこがいいし、滞在時間にも関わるから交通の便も重要だし、秋はみんな神楽だから避けたいし、でもやっぱ神楽見ないとだよね、温泉入りたいしご飯おいしいとこがいいししこたま飲みたいよね、というワガママ研修旅行は果たして企画できるのでしょうか!
大学の時は旅行プランナーと呼ばれていましたからね、張り切っちゃうね。

味見みたいな手頃で行きやすいのは芸能まつりタイプなんですが、なんたってベテラン揃いだから下手したら、はあ前に一緒になったあや、とかなりそうですね。やだやだ。

いっそ花祭とか…でも、うーーーーーん…様々な点においておすすめではないなあ
石見神楽でいえば延々と「塩祓」「神迎」や儀式舞を続けているような感じなので。榊鬼が出たり湯ばやしになる前に疲れてしまうように思います。
本当に、それについて調べるで、あるいは、花狂いになるで、という前提でないと行きにくいかも。

ふもももも…妄想広がるうー



このところは、「大蛇」の練習を眺めとりますが、もーね、何回見てもあの巻き巻きの原理がよくわからん。

ていうかなぜ浜田人はああいう動きをして巻き巻きして技を作り出したのかがわからん。
浜田人というか、うえださん?

去年の秋くらいまで、大輪だと思っていたのが実は胴見せでした、というレベルの大蛇偏差値ですが。
なんか、大車輪ぽいよねと思ってたけど違った。
そんなこんな、やっと、技そのものは分かってきたけど、見てると頭こんがらがってくる。そしてそれをこんがらずに巻き巻きしてるあの人たちがよくわからなくなってくる。

あと、どうでもいいけど、顎を胴にフンッて押し付ける感じが個人的に萌えポイントです。
ねこっぽい。
あと蓮華会舞の獅子舞も通じるところがあった。
顎萌え?

うまいこと巻かれに行くスサとお嫁ちゃんもよくわからんし、結論、なんかよくわからん。長いものに巻かれないからよくわからん。

練習中、スサもなんか時おりプシューッてエアー花火噴いてるし、面の下はいつもこんな表情なのかなとか思ったりしながら眺めているのでありました。


眠くなったから考えことについてはまたそのうち。

行きつ戻りつ。

ううううー
いろいろしんどくて、なんかだめ。溜まる一方で澱んでいく一方で発散されない。
突発的に散財してちょっとやれんわ、ほんと。

さむい→血の気が下がる→つかれる→食べるorいろいろ買う→いろいろかさむ→我慢する→やっぱりさむい→我慢無理、ていうかあっちもこっちもなんでも我慢してられっか!って勝手にキレて延々ループ。

そんなで衝動的にチョコバナナケーキたるものを製作。

泡立て器とバナナとホットケーキミックスをわざわざ買ったところで、一回我に返ったけど、なんかもう、3日くらい頭のなかチョコバナナしてたし、ま、焼くだけやろ、と思って作ってみましたよ。
フライ返しが無い上に一回でまとめて焼いたから、ひっくり返すのに失敗したけど、まあ味はそりゃ美味しいですわね。私は混ぜて焼いただけですからね。

作ったことに満足して今日はひとかけ味見しておしまい。疲れたし。

そういえば昔はフライパンでフィナンシェとか作ってたことを思い出して、たまーーーーにはやってもいいかもとか。
作ったらもれなく全て自分の腹に入れる羽目になるけど。


温泉とか行ったら少しはリフレッシュするんかなあ。
でも湯冷めが怖くて行かれない。


なんか疲れがとれないなあ


でも、ずっと閉じ籠っていていろいろ嫌になってるので、今日は重たいお尻を布団から引っこ抜いて、出雲の歴博へ。
よりによって雪だし、何度も帰りたい気持ちになったから、休憩せんこー勢いつけていった。


雪だし嫌だなあーとか思ったけど、今年はじめてだったし、いろいろショートカットしながら大社さんへもご挨拶。
思ったより人多くて疲れた。
歴博も、思ったより人多かったし、見たいところで人が立ち止まってるし、なんか立ってるのしんどいなーと思ってあんまりじっくり見れなかったのは残念。

隠岐は、芸能の正倉院的な印象。
いろーんな芸能の行き着いた先。
島流しの島って、どこもそうなのかな?例えば、佐渡とか。

なんか、身分の高い人たちをなんとか心慰めようと、都文化を習い覚えて披露して見せたんだろうか、とか、いろいろな考えがぼんやり行きつ戻りつ。

元気で人少なかったらもう少しじっくり見たかったな。

おもしろいなあー思ったのは、廃仏毀釈の激しかった地域であるにも関わらず、「白」にならなかったんだなってこと。
むしろ、様々な祭礼行事、芸能で使う採り物とか装飾に、五色がふんだんに使われてる。

花祭は、神道花といって、天蓋やらなんやら五色を白にした集落もあるはずなので、同じ廃仏毀釈が激しかった地域でも違うんだなーって感じ。


あと、神楽面は、ほとんど能面って感じ。
顔もそうだけど、サイズ感が。こまい。

てなると、やっぱり出雲ってちょっと不思議な気もしてきたな。


はあーしんど、ってなって、家でゆっくり見ようと思って図録を買って退散。


で、何しにわざわざ出雲までいったかといえば、歴博の企画展にあわせて隠岐国分寺蓮華会舞が来たので、それを見に行ったのでありました。

その前に、図書館で『陰陽師』のまだ読んでない巻読んで、ムッフムッフしてパワー補充。
なんかどーまんが段々情にあつい感じになってきて好きになってきたな…

お金に余裕ができたらまた集めよっと。誰かに貸してそのまま返ってこないし。誰に貸したか忘れたし。



蓮華会舞は、ずうっと興味あったんですが、なかなか隠岐に行く機会もないし、隠岐から来る機会もないし、非常にラッキーでありました。
本堂の火事による焼失もそうだし、研究の第一人者が亡くなられたということもあって、なかなか調べることも難しいんだというのを、前の会社の先輩から聞いています。

また詳細は後日にしますけど、結論からいえば行って良かったは良かった。
自分は獅子舞が好きだっていうこともわかったので良かった。

ただ、ちょっと頭を整理するのが難しい。
誰かと見て、あーだこーだ言いながら感じたこととか考えたことまとめたかったかな。

すーぐ神楽と結びつけて見てしまうけど、切り離して考えをまとめた方がいいようにも思うし、その混沌としたものをそのまま混沌で受け入れて考えてもいいようにも思うし。難しい。

そう、混沌だったのですよ。


図録見たりしながらもう少し頭のなか整理してみる。


神楽があるから、最低限の文化レベルは維持してるけど、やっぱり文化的な生活がしたい。

表明ごと

ま、たいしたことではないんですけどね。


なんとなく調子悪い病は、もしかして貧血か低血圧じゃないの疑惑が浮上。まっ白けっけやー
だからといってなにもしない。

あと、親知らずが左下だけ生えてる問題が発覚。
知らない間にしっかり生えてた。しかも虫歯予備軍。そして他の三人は生える気配が全くしない。
だからといってなにもしない。
いや、さすがに生活が安定したら歯医者は行こう…
ミュータンス菌こわい。
怖くない歯医者さん教えてもらおーっと


それはまあいいとしましてね。

なにが表明かといえば、まあ大したことではないんですけれども。

師匠からかねてより、あなたもきちんと研究しなはれ、そのために来たんだから、といわれていて。

何度も話題にしてきたように、私自身は五神というか、五郎さんというか、土公祭文関係?がなんとなく気になっていて、なんか調べたいなーとは思っていたのですが。
なかなか、具体的なテーマが見つからないといいますか、結局現状は先行研究や文献資料漁り止まりで、自分は楽しいけどそれ以上もそれ以下もない感じだったのですね。

ほいで、この前の同好会の前説明で聞いた節分以降、ちょぼちょぼまた調べて、師匠と話をしていくなかで、やーーーっとこさ、テーマ見つけました。
いや、ここじゃ言わんけど。へへへ


資料研究ベースにはなるけど、フィールドワークもしながら、「このあたりのもの」として書けたらいいなあー
という表明。

「このあたりのもの」の時点で、もともと師匠に求められていたニュートラルな視点ではないかもしれない。

でもあえて、その一歩を踏むことで、逆にニュートラルとそうでないのとを、自分の意思で行き来できるようになるんじゃないかな、そうなりたいな、という希望的観測。


うーん、無計画だといつまでも取りかからないから期間決めようかしらね。

フィールドワークがすなわち秋めっちゃ忙しいになるからなあ…
今年27歳になりますから、30歳までに完成ということで。めっちゃ余裕持たせた感あるけど、多分あっという間に30歳になるでしょうね。こわっ

なんかこれ独身の表明になる…?まあいいけど。


これから向こう三年ならパソコンは新しいのほしいかなあーお古だからなあー
ジベタリアンはおしり痛いから座椅子もほしいなあー
むっほむっほ

ほんとは書斎ほしいしマジで壁薄いし、どこか広いとこ引っ越したいけど、ペット可物件少ないし、古民家はボットン率高めだしリフォーム代マジ高いし、とりあえずそこは保留にしましょうかね。
Iターンの助成はまたもや享受できなさそうだし。
人生ほんと甘くないのー


にゃんこはどのタイミングでお迎えしようかな
むっほむっほ
妄想広がるうー


はやく安定したーい


寂しいから師匠一緒にフィールドワーク行ってくれないかなあー
ほら、運転も一人だとね、大変だし…
なーんて、いつまでも大学生気分でいたら、気づいたらアラサーなのですよ。

たらこスパゲッティと節分

たまに家が揺れるくらい風が強いですけど、かねてより欲しかった魔法瓶おろしたので、うふふなのですよ。
ずっとやかんでお茶淹れて飲んでたけど、冬は冷たくなるし、お茶飲み終わるまでお湯沸かせなかったから、いいですね魔法瓶。洗うのがちょっと面倒なくらい。

やけに喉乾くし、ちょっと汗ばむし、背骨腫れてるし、頭痛いし微熱で、安定のなんか調子悪い病。


たらこスパゲッティは、あまり多くない母の味のひとつで、今となっては幻の味。
帰る度に別人になっていたり(整形ではない)魚卵含む卵アレルギーの人がいたり、そもそも料理しなかったり。

島根来てから、2回だけ作ったかな?
明太子が高級品なので。
そもそも作ってもらったのが明太子だったか、記憶が定かではない。

玉ねぎを炒めて、明太子投入して、醤油垂らして、スパゲッティぶちこむだけの、なんでもないたらこスパゲッティなんですけど。

滅多に出ないからちょっと特別で、大好きで大好きで、いつも独り占めしたいなって思っていた味。

独り占めできるようになったけど。

なんか、どーーーしても、母の味にならない。
いや味付けはきちんと母の味っぽくなるんだけど、なんか濃い。
母のは、ところどころ味ついてないじゃん!みたいな大雑把な感じだったけど、なんかそれにならない。

なんでかなーとぼんやり思いながら頬張って気付いたのは、同じくらいの玉ねぎと明太子で、3人分くらいのスパゲッティぶちこんで、皆で分けて食べてたからだって。
今はがんばって1.5人分。
3人分はコストと食事の回数と食事量とフライパンのサイズ的に無理。

今の方が明太子の割合がリッチだけど、リッチがいいとは限らない。味濃いわ。醤油やめてみようかな。

またあの味を食べたいけど、もう実家で食べることはないでしょう。


今日は、そんなん。


昨日は、また三宮さんへ同好会の神楽。
塵輪」「大蛇」でどっちも近々で見てることは見てるので、気持ち荒ぶることもなく大人しくふむふむ。思ったより人が多くて、写真撮れなかったのはちと残念。


同好会は、おじさんたちがワイワイ楽しく、まさに同好会という空気でやってるのが楽しくて好きです。
私も既になのかこれからなのかわからんけど、そっちは正式に所属します。マネージャー枠。
かめのふは、かめやまには入らんからかめのふ。

舞が合ってないよおーとか、楽が合ってないよおーとか、なんかマイペースな人がいるよおーとか、いろいろですけど、全然オーケストラになってないんじゃないのとか思ったりしますけど、なんかいいです。あれについては。

逆にあそこのを見ることで、それぞれの社中の「手」というのを学ぶことができるし、やりやすいやりにくいも見えやすいので興味深いです。
あとおじさんたちが前後楽しそう。

衣裳とか面とか変わると、いつもより息が切れるなあとかってやっぱりあるんでしょうか。


昨日の稲田姫は見るからに白髪混じりでしたけど、なかなかキャラ濃いめで面白かったです。柱に抱きついたり巻かれに行ったり割りと本気で大蛇を往復ビンタしていたり。
あとおばばさまがやたらデカかった。ニョキッとしてた。


塵輪」は、見た目は変わってるけど中身は先週と一緒なので、母ちゃん悪め。



あと、前説明で節分の話をされて、妄想広がるうーってなった。

立春立夏立秋立冬の前の日を節分と呼ぶ。
季節を分けてるから、ああたしかにねって。
で、立春が、昔は一年の始まりみたいな感じだったから、その前の節分が「節分」として定着した。みたいな話だったでしょうか。
それ聞いて、ようは、福豆は追儺?「鬼やらい」ってことなんですね。言うなれば大晦。
私のなかでは「陰陽師」の漫画で見た目がたくさんついてる面のイメージがやたら強いですが。

だから他の節分では豆撒かんのかあって。

ほいで、師匠から追加で
土用は節分含めた前18日のことをいうでしょ、といわれてなんか自分のなかであまり考えてなかった部分がいろいろ繋がった感じ。
五郎さんは節分含めた前18日をそれぞれもらって72日を所領とする。

玄ちょ閏月とても賜らじ、といってほんのちょっぴりもくれんじゃん!といってたのが72日ももらえたよ、すごいねって話なだけではなくて、季節の変わり目という大切なところをもらったっていう意味でも、ながはまの古老がいう「五郎が一番いいことをしたんだ」ってことなんでしょう。

で、閏の概念についても考えないといけなくなったけど、なんかよくわからなくなったからおしまい。

空間とか

なんとなーく調子悪いなあああーうだうだ
書類作んないといけないけどたいぎいくて挫折中
また写真とらないといけないし、書類取り寄せないといけないし、まーーーたお金かかるしたいぎいい

胃腸の調子悪いなあああ


昨日は、さびかったですけど、日中はずっと布団のなかにいて、夜になってえっちらおっちら夜神楽へ。
ながはまさんを見に。
そしたらお父さんと、おとうさんと、おとうさん?が揃って、まあおとうさんいっぱい。
師匠は最近おとうさんというか、もはやママ?
なので厳密に言えばお父さんとママとママのマブダチ。


かめやまは、なかなか前のほうでとか、到底無理なんですけども、おとうさんたちがストーブの周り囲って座るので私は楽の横でゆったりかぶりつき。
かめやまは人が多すぎるのと、カメラとかで何がなんでも最前とられる皆さま方と、そもそもぎゅうぎゅうなので、関節痛持ちは特に寒い時期にそんな身動きとれないとこに座ったら膝が爆発します。

おとうさんたちが後ろだと、どう考えても私より背が高いので安心してむっほむっほ見られますね。後ろを気にしなくていいのはいいですね。


ながはまさんは、胴の椅子が木箱なのが味わい深くて好き。あと昨日は締め太鼓と手拍子は座布団なくて正座されてた。
そういえばお祭りのときも正座だった?
笛は今回も幕内。

重鎮の楽が昨日も聞けて良かった。
ながはまさんは、うまく説明できないんですが素で賑やかな感じが好き。マイクを越えた賑やかさ。

師匠たちがいっておられたのは、長浜さんの手拍子は鉦が大型らしいですね。なんかトンカチで叩いて調えたような跡があった。
音響効果とかないのに、横にいただけで耳がウワワーンとなる賑やかさ。だがそれがイイッ
音響効果のやかましさとは格段に空間の雰囲気が違う。細胞で聞く感じ。だから、長浜さんとか、六調子の地域とか、かめやまの練習とか好き。
私個人としては、トランス状態に近づくのはこっちの「素」の音なんじゃないかな?と思います。

あの締め太鼓の軽やかに叩く感じもいいなあー

いまだあの素の賑やかさが、何から来るのかかわからないので要研究。

代表のお話は、なんかいつも、なんといいますか、押し出す感じでお話しされるのですけど、いい人だから好き。単純。


演目は「天神」「塵輪」この二つが多いですね。好きなのでよし。


ながはまさんの「天神」は、菅公は途中で下がって、随身が時平と立ち合いますが、肩切りの衣裳が、剥ぐ前は時平に梅がついてて、剥いだ後は随身に梅がつくのが面白いです。
あとなんか、反対色なことが多いっぽいのと、緑と青が好きと見た。海のいろ?

あと、菅公と随身が舞うとき、採り物をぴったり体に付けていて、そんなもんかな?と思って聞いたら、それがそこの「手」で、刃物を菅公に向けないようにしているのだそう。ふむふむ


あとよく見たらあの神楽幕ものっそい豪華。
師匠曰く、あの意匠、装飾、サイズは、当時のながはまの隆盛や力がうかがえるのだとのこと。ふむふむ


塵輪」は母ちゃんだいすき。あ、でも母ちゃんと父ちゃんで鬼着?が違うことにはじめて気がつきました。父ちゃんはチョッキみたいなの着てる。裃ふう?母ちゃんは打掛ふう?
かめやまもそうだったんかな。見てみよっと
しかしなんか、母ちゃんはサービス精神多めらしい。悪そうな顔してるのに。

手の所作がいいなあーと思っていたけど、先代の母ちゃんはさらに絶妙だったらしい。映像とかあったら是非に見てみたいな。



「天神」と「塵輪」の幕間で、前代表がお話しされて、はじめて聞くことができてムホホッだったのですが、昭和40年頃のお話、ということなので、およそ半世紀前のことでしょうか。
大体どこもお宮が小さかったから、天蓋のした、いまでいう4畳半くらいのスペースで舞っていて、すぐ近くにお客さんが座って、一体感あったのだと。
やっぱり大阪万博というのは、いろんな点において大きな変革だったのでしょう。

ほかにも、足さばきは摺り足でと教わったもので、とか、うちの社中はこういう所作とか伝統だが、よそはまた違う所作があるからそれを見るのも楽しみ方だろう、とか。
その言葉に嫌みったらしい含みは、私は感じなかった。


そのあとの「塵輪」の母ちゃんのサービス精神だったので、おおおお…ってなったけど、仲哀天皇が、背が高くて、欄間に頭つきそうになったりしていて、ふと、4畳半、という空間は、平均身長低めの昔だからこそ、合理的な距離感、空間だったんじゃないかな、と思ったのです。
ながはまさんの代表や、師匠は、160センチ無いくらいの私がぶつかると、顔面が肩にとど……かないな多分。

師匠の横歩いてても、コンパスのサイズの違いで、師匠の1歩が私は1.5歩くらいだったりするわけなので、おなじ「2歩下がる」でも自然とその幅は違ってくるのではないでしょうか。

ただそうはいっても、なんぼ小柄でも4畳半サイズは、決して広いわけではない。私が休日の7,8割の時間を過ごす寝室も4畳半ちょい小さめなのでよくよくわかりますが。

そのなかで剣、なおかつ昔は真剣や、鬼棒みたいな長い棒やら、幣みたいにふっさふっさしたものやら持って振り回して舞うのですから、しかも周りにはお客さんがいるのですから、安全で、かつ美しく、確かに扱える所作が、いまの「型」なんじゃないかなあと思ったのです。


でも、その4畳半サイズのところだけが、神楽の空間ではなくて、やっぱり宮全体というか、お客さんや楽人含めた全体の空間が、石見神楽なんですよねえ。うまくいえないけど。