舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

越えてましませ

今朝も自分とご近所さんの車の掘り出し掘り出されから始まりまして、結局雪にはまりまくってお客さんとこにはたどり着けませんでした。あーあ。

なんとかお昼休憩中に帰社して、開口一番にチビるかと思った、といったことは反省をしています。皆さまお食事中だったわ。
また上司にコイツバカだって思われただろうなー。

そんなわたし、定期的に会社から事故ってないか生存確認が入る、島根2年生。でもその電話で事故りそうです。

明日リベンジだけどそもそも家から車を出せる自信がありません。雪と凍結ヤバイ。からだバキバキじゃ。
まあ、去年じゃなくてよかった。
そして、客人が帰られてからでよかった。



すっかり忘れてたけど、今年初神楽は、松江での新春神楽で、「島根の神楽 新春に集ひしなんたらかんたら」でした。
出雲神楽と石見神楽と隠岐神楽。
この度の本命は出雲石見ではなく隠岐でした。むふふ

西日登さんもはじめましてかしらね。

順番はもううろ覚えですが
隠岐「巫女舞」「八神」出雲「香具山」石見「恵比須」隠岐「湯立」出雲「国造」石見「岩戸」だったかなあ。

「お祝い」がテーマらしいけど……お祝い、ねえ。
どっちかというと全体的に「祈り」とか「はじまり」だよなあと思いつつ、まあいいか。

三番叟的なのは出雲も隠岐もないんだっけ?
七座に含まれるんだと思ったけど…そもそも雲南でも七座はあるのか?
大原神職にはあった気がするけど、ほかは能舞だけなのかなあ。
なーんかいまいち出雲神楽も不勉強でいけません。


ああやって、三国の神楽を一気に見られるのはいいですねえ。
優劣とかではないのです。
神楽らしさとか、勇壮さとか、素朴さとか、そんなもので優劣をつけてはいけません。
共に生きてきた人が、土地が、歴史が、風土が違うんだから。

どれも美しい。
どれもいとおしい。

ただ強いて言うならば、いちばん「能」舞なのは出雲なんだろうなあって。演劇性で石見がフォーカス当てられがちだけど、出雲なんじゃないかなあ。
道行きとかの法則性みたいな、神楽全体のセオリーからみるとね。

もう少しでなにか思考の端緒を掴めそうなんだけど…ううむ。

箱庭のような、出雲。



隠岐神楽は、祈祷の神楽と、「祈り」にフォーカス当てられて紹介されることが多いけど、ぶっちゃけ「祈り」が主題なのは普通、神楽として当然のこと。
じゃあ、石見に祈りが介在しないかといえばそれは違う。
自分達はすでに意識の外においていたとしても、「石見神楽」そのものにはきちんと祈りが糸に織り込まれている。
神楽歌とか、採りもの、所作ひとつひとつ。

そういう点においては、出雲は所作で祈りの面影を探すのが少し難しいかも。だから、「能」舞だなって。能にも祈りはあるけどね。



隠岐はかつての神楽の担い手や、女性が重要なところにあるのが興味深いですね。
琉球では女性が祭祀を司りますが、隠岐もつきつめれば、ヤマト文化以前の原始的な信仰、女性による祭祀にも繋がるのかもしれない。
と、同時にヤマト文化における巫女神楽であるともいえるかもしれない。

隠岐は誰か調べてる人いそうですよねー。



ずいぶんと前に、師匠が、隠岐と石見は似てる気がするんよね、とおっしゃっていて、今以上にわからんちんだったので海の人たちの文化だから?とかテキトーなことを答えていましたが、はじめて自分の眼で見て耳で聞いて肌で感じてみたら、たしかに、かなり近いといえる気がするのです。

私は、身の内に石見神楽が染み付いてはいないので、そこらへんは師匠のほうが感度高いと思うですけど…
共通項を見つけるのはすごく簡単だし、延長線上に、花祭との関連も透けて見えます。


これで研究したら面白いだろうなー。ヨダレずるずるー。


あ、あと師匠からの問いかけで、「香具山」の出典も探さないとだ。

ねむい