舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

新年の行事

明けましておめでとうございます。
良い一年になりますように。

今日はえきでんを見に、橋のたもとへ。
普段川の上は、山から吹き下ろす風と海風で寒いのですが、いやーなんなの?ってくらい暖かくて、島根に帰るのが不安です。

昨日はキンポーとガッサンとイケヅキのにごりを空けました。うふっ
キンポーははじめて飲んだけど、スッキリあっさりですね。グビグビいけちゃう系。
でも料理で使うにはやっぱり濃いほうがいいのかなあ。


で、そのあとは、外国から帰ってきたキレイ女子に会いによこはまのほうへ出かけたのですが、車窓から、なんと!獅子のまわり神楽が見えたのでした。
こぶりのしめ太鼓?もってハッピ着たおじさんたちと、頭を玄関に突っ込んでる獅子のおしり。

よこはまにもあるんだあ。

しらない、積極的に見えてこないだけで、じいっと目を凝らしていれば、こっちでも一生懸命息ずく姿を見つけられるんだなあ。

なんだか、感動。


そういえば、石見では、新春神楽でスーパーとかでも神楽を舞われるのでしょうが、こちらでは、獅子が商業施設内を練り歩くイベントはあります。
でもなぜかいつも3日な気がするんだよなあ
3日は都合がつかないことがほとんどなので一度も見れたことがないのですけれども。

元旦とか2日じゃダメなのかなあ?

明日行けたらいこう。

しかしながら、余興の余興、誰がそれをやってるか、広告物にはこれっぽっちも載りやしないのです。
太鼓だと団体名が記載されるのに。
なんでなんでしょう。

島根だったら、書かれることがほとんどですから、まったくの真逆の環境ともいえます。
獅子が神楽であることも、大多数には意識外である可能性もあります。
獅子は獅子。獅子舞以外のなにものでもない、それ以上に想像力がゆき届かない。

そうやって、神楽への意識の希薄がより強く強く作用していくんだろうなあ。

なんて、ぼんやり。

ビルではたらく人のうちの有志とか、そんなでも、それはそれで書くべきだと思うんだけどなあ。

どうなのでしょう。

こっちはあおぞら

29日に仕事納めでありましたが、会社の人と泣き言をいいながらの企画書作りで夜中まで。今日は気合いで5時過ぎに起きて、ゴォォオオっとひとっ飛び、帰省しましたであります。

湖岸は7時を回っても若干凍結。おぞおおお

結構よく聞かれるけど、気温そのものはあんまり変わらない気がしておりまして、ただこっちはやっぱり空っ風吹くスッキリ冬晴れが多くて、空の高さも全然違います。
太陽の力は偉大じゃ。

夜はバイトの時のひとたちと飲み会。
いまだに呼んでもらえて、ありがたいです。
少しずつ知ってる顔ぶれ、関わった子どもたちがいなくなってしまうのは寂しいのですけれど。

そしてにゃんこに布団を占領されて寝られません。さぶい。



超多忙な師匠がひとこのかみについて教えてくれたのでメモ。

「神」とまでは言いきれないけれど、個体の「人」として考えるには、現実味が無さすぎる存在

自分は戦わないで、知恵を授けるだけ

あれかな。大江山の神変鬼毒酒(字があってるか分からない)さずけるおじいさんみたいな。たしかあれは神様ですよね?

ほっかむりは、浜田ではスタンダードだけど、原井の重鎮はあのスタイルじゃないし、好み的にほっかむりはしないって。
鬼は平ガッソの重鎮が、垂れガッソをつけるんだよ、って話が興味深い。
ほんとは雰囲気的に悪代官のかぶってる頭巾を模したかったのかも、烏帽子は位が高い存在の表れ、ともおっしゃってて、なるほどねえ~って。
なんか腑におちる。

ひとこのかみも面白いなあ


あと書きたかったことあったんだけど…忘れた。


それでは一応、良いお年を!

さぶぶぶのひとこさま

今日は仕事しながら去年のおおどしさんの「日本武尊」の動画かけていたのですが、あのときのやつ、すごく好きなのであります。顔ぶれ含め。
たしかあの日はなんかすごく楽しかったんだよなあ。
でも見られるのが動画で上がってるやつだけだから、ぼちぼちうろ覚えになってきた。

賊首さんのお髭が急にスッキリなさったとき、見てる人たちはよーく見えてますからゲラゲラ笑ってるんですけど、囃子のひとたちの、え…なに…?みたいな表情(胴のお兄さん以外見えてないけど)から気がついて思わず吹き出しちゃうそのライブな空気感が、なんとも楽しくて、実は何回か見てたりして。

暑いけえ剃ったんだあや!みたいに、え、そうなの?っていいたくなる取り繕いをあえてされるのが、また面白いんでしょうね。

あえて。

むむ…浜田弁はまだちょっと難しい。
結構なんて言われてるかわからないときもあるのです。


頭巾かぶっておられるのもなかなかにプププって笑っちゃうスタイルですが、あれがスタンダードなのでしょうか?それともあんまり定まってないのかな?
でも基本なんか奇妙な風貌、というイメージがあります。


ひとこのかみ、ってお名前も不思議だ。
首がカミになるのは、頑張ればなっとくいくけども。カシラとかね。


そういえば、師匠が前にポロっと、あれは人じゃないんだけえ、っておっしゃってたのですけれど…、そのときはそれ以上あんまり話さなかったんだっけかなあ。

いわれてみれば、一種の託せんよね。
朝廷にまつろわぬサイドの神的存在なのでしょうか。

あと、兄ぎし弟ぎしは、伝統的に面をかけるのでしょうか。
でも、面をかけるってことは八調子の文化?
べしみ系の顔…?面のことも師匠は詳しすぎるのですが、なかなか頭が追い付かないで情けない。

あ、草薙の剣だから、熱田神社に関係するのか。
だからやっぱり長浜あたりが発生点になるのかな。

ふむふむ。


ねむくなってきた

お金と舞

八調子が娯楽性にとんでいてどーちゃらこーちゃら、っていわれるときに、
もともと能舞は氏子の御花とか寄進?によって舞われていたから、より人の求めるふうへと変化していった、というような説明がよく使われますよね。

なんとなく、ショービジネスというような、ニュアンスが含まれているように感じます。

でも、ふとおもったのは、お宮の奉納ごとにおけるお金と舞は、そうはいってもやっぱりかかわり合ってるのだとおもう。

ギブアンドテイクというか。


昨日思い出したのですけど、花祭りで、昼間の時間に、延々と個人のために舞う時間があるのです。
玉串料なのかなあ。
お金を奉じたその人のために、いうなればリターンとして、舞い奉じる舞。

なんか悪いことがあった人や、なにか節目を迎えた人、家族。
その土地、コミュニティに生きる人たちのうち、その年よりいっそう祈りのある人やお家が、お金と引き換えに舞ってもらう。
で、だいたい舞う人も、見てる人もそれがどんな人、なにがあったか、などもわかってる。
同じ土地に生きてるから。


基本的には、八調子地域でもそういう意味合いだったんだと思うんですよね。
だからこそ、やっぱり一番よいものを神の前で舞ってもらいたい、自分も享受したい、という思いも働いたのだとおもう。

それで舞ぶりや舞い手が淘汰されていった、というのはたしかに興味深いですけれど。

海の人としての気風もあるのかもしれないし、他の土地とのやり取りが必要とされた土地だからかもしれない。

でも邑智郡もあったんじゃないかなあ。わからんけど。

大目録だって、いってしまえばそういうリターン品ですよねえ。


だから、なんというかなあ。

娯楽性とか、ショー的特性に目が行きがちなんだけれど、基本的には、やっぱり神楽なんだよなあ。

やって来る神と、予祝と問答

寝落ちしたままうだうだ書き終わりません
そして、先にいうとオチもありません

昨日というよりもはや一昨日のやつのはなし、ししょーじょーほーで、「先ばらい」はするよ、とのこと。うーむ…それはそれで結局馴染みがないからわからんのだけど…
あれよね、神主さんが幣もって他の人たちと練り歩いて、氏子の家でフリフリして祓い清めるやつ。

それに獅子と先導(天狗、猿田彦)がついて歩いたりするのかな。
ご神幸と同じタイミング?ていうか、字合ってる?

おおつじでは、えーと、天狗、狐と、塵輪みたいな鬼がめぐるって教えてもらって、古いわけではないのでは?とのことでしたが、なかなか興味深いので、ちょっと今後調べてみたいなと思いちゅう。
天狗と鬼はまあまだいいけど、狐が一緒にいるのがまたなんとも気になります。

でもそれが浜田一円に古くから根付いたものではない、というのが、また不思議というか、なにか理由があるのかな?って。

基本ベースは「家内安全」「無病息災」あたりがあるんだけど、やっぱり、神のもとへ集う文化の方が重要なのね。


あと明日とか書くこと、雇われのはなし、いっこ花祭りと石見神楽の類似と相違というか、思考のパーツをまた発見した。



道返しは、西の文化だよ、ってずうっと教わってきました。

正直、わたしは、ちがへしでもきがへしでもいいんだけど…返すことにはかわりない。

これは、本当に個人的な意見なんですけど
ちがへしは「問答」し「予祝」するための儀式としての演目なんだろうなって思うのです。

予祝というのは、言霊。

農耕民族のほうがおおそうだな


なんやねん、っていえば、豊作豊作ありがとう!っていうのを、新嘗祭あたりにやりますよね、まあ秋祭りといいますか。
あれは、一年の最後にありがとう!と同時に来年も豊作ありがとう!っていう意味合いがあるんですね。

豊作だけじゃないとおもうんですけども。
予め、祝福することで、言霊が発生して、実際にその効果というか、恩恵を受けようというような考え方ですね。

もともと農耕的なサイクルでは、秋祭りが一年の終わりであり、始めであったというような感じだったと思うので、年末年始的な。



で、「問答」
これは、全国的に見られることなのですが、「なにか」がやってきて、神主だとか、そういった役割の人とかち合って、問答をするんです。
問答じゃなくて、綱引きのとこもある。

とにかく、神的な「なにか」とこの世のものが押して引いて、結局最後はこの世のものが勝って、負けた「なにか」は祝福をして帰っていく。

岩手のなかでも社風(みやぶり)神楽という今もかな?神主さんが関わってる神楽の系統がありますが、そのなかのあるとこではダントツぷりちーな権現様が、神主さんだと思われる人と手拭いを引っ張りっこして、最後は神主さんに渡して祝福してたとおもう。

どこだったかな…またそういうのもまとめないとなあ。

花祭りでは、変な翁、黒尉っぽいやつだったかな?がやっぱり神主さんとあーでもないこーでもないして、最後は祝福して帰ってく。
いっちばん眠い時間だからあいまい。

邑智郡の大元なら、「山の神」でしょうね。
まだ見たことないのでぜひ見たいのでありますが。

で、西部の「道返し」。とくに、杖の謂れを話すやつ。
面白いのが、出かけは問答で、実力行使に出て、結局祝福を約束して去っていく、という一連の流れをよりビジュアルで表現してるとこ。

ものすごくわかりやすい。


逆に不思議なのが、那賀郡あたりで該当しそうなのがないのよね。

ふむむむ。


なんかとりとめないので、いったんこれでおしまい。

神楽の特性について

神楽についてぼんやり考えていたら、なんとなく思ったこと

なんか疲れちゃってるから、今日はメモ程度。

採り物神楽とか、獅子神楽とか、いろいろあるけど、大きく分けるとふたつの「見せ方」というか「在り方」があるのかな?って。

それぞれがいろんな時代にいろんな宗教者の影響を受けて成り立っているから、明確にわかれてるのは、少ないかもだけど。


ひとつは、「まわり神楽」の特性。
神が、人のところへやってくる。
マレビト論系か?

家へ訪ねてくる。
家から家へ、神が、移動していく。
伊勢の大神楽とか、東北の権現様とか。ナマハゲなんかもそうなのでは?
三河花祭りも、氏神さまの前でヘンバイ踏んだあとは家々をめぐって踏み踏みしてるから、それ。

それで、んーと花祭りの花宿が他ではなんていうのかド忘れだけど、お旅所みたいな、役割を「家」が担ってることも。
今はそれが段々やれなくて、公民館なんかのところも多い。

コワイものも、アリガタイものも、わーわーやってくる。家へずかずか入り込んでくる。
だいたいは祝福を授けて帰っていく。
そうあってほしい、っていう人間の勝手な願い。


権現様はまわったあとってどうされてるんだろう。ああ、山伏神楽だから基本はお宮に戻られるのかなあ。



それでふと、石見神楽は「まわる」ことをしないな、って。
御神輿で土地をめぐられて、見てまわられることはあるけど、家にあがってくる文化はこっちで聞かない気がする。
昔は、どうなんでしょう?

どっちかといえば、神のもとへ、人が集う。


たぶん、もしかしたら、それが「能」と呼ばれる所以なのかもしれない。
同じ東北の神楽でも、権現様じゃない神楽演目は舞台組んだりして舞う。たしか「能舞」っていうとこもあったような。

忘れちゃった。あんなに調べたのに、なさけない。



①神が直接訪れてきて、祝福や加護を授けていく
神と人との個人的なやりとりの具現化
大きくても、家単位。

②神のもとへ集まって、祝福や加護を授かる
神を介して人と人、コミュニティの繋がりの再確認
いくつかの家が集まった地区とか地域単位。

なのかなあ。
ぐちゃぐちゃな頭をぐちゃぐちゃなまま書いてますけど


大元神そのものは、①の特性をもってるはず。
家単位だから。
そしたら、そういう祭式がなかったとはいえない。

でも②が圧倒的につよい。

私のイメージでは高千穂も②が強い気がする。


なんだろう。
なんか理由がありそうなんだよな。
影響を与えた宗教者なのか、地域的な都合か。

ほんのすこしの名残は、「黒塚」の悪狐ちゃんとか、「頼政」のお猿さんたちとか。

コワイけど、なんだか優しい。




ふって、出てきたこと
エス様が、うーんこういうと怒られるのかもだけど「生きていた」ときって、ご自身から、人のところへ赴かれたんですよね。
肉体があるとき。

山上の説教なんかがフォーカス当てられやすいけど、イエス様の話のなかで、本当によく描かれている姿は、人との個人的なやりとりだった気がするのです。
もう、かなり離れてしまってるんで、自信ないけれども。

①、なのかな。


でも、イエス様が十字架にかけられてあーじゃこーじゃあったあと「見えなくなる」んです。肉体がなくなってしまう。
で、あーじゃこーじゃで、できたのが、教会。
だいぶ時間飛ばしたけどそんな感じ。

②になる。

まー宗教ですからね。なんかしら似たところはあるんだろうな。


私は、団体行動ができないので、②が強くなりすぎる場所はなじめなくて、離脱してしまった。
今のところお宮や神楽との距離感は比較的①に近いから、心地よいのかもしれないなとかぼんやり思ったりして。



関係あるやらないやらわからんけど、そんなこと思ったりしたのですよ。



権現様の「権現」は、仮の姿をとって現れる、という意味。

そういう存在に仕立てられたのは、山伏とか宗教者側の思惑が働いてのことなのだけれど、権現様は、人のところへ自ら赴くために、形をとられたのかな、とか妄想してみると、なんだか心が救われる。

エス様、という存在も、権現様みたいなもんなんだろうか。
そんなこといったらキリスト教の人々に潰されるやもしれん。わははは



んー①も②もちょうどよいバランスであるから、
本当になにか人間の存在を脅かすような出来事があったときに、人を生かすんだろうなあ。

だから神楽は生きてきたのかなあ。

石見神楽とブランディングなんちゃらつづき

ちょっとだけね。

あの、私としては、ああいった場自体はあるべきだとは思うのです。今回は完全にミステイクだけど、もっとひろく、きちんと、やるべきだとは思うのです。

首長、行政、観光関係者、社中員含めた神楽関係者、そして、一般市民。
多少ツッコミどころがふんだんにまぎれつつも、きちんと聞くべき、向き合うべき課題は、提示されているのですから。

ただ、鵜呑みにしたらいけないんだけども。
嘘も真もグレーゾーンも紛れ込んでいますから、全部を真に受けたらそりゃちょっとおバカです。
なんとなくおかしいぞ、って思うことはきっと間違いではないはず。
多少の猜疑心も必要。

あの人も、もっときちんと現地調査も重ねられてからやるべきですね。石見で石見神楽のことについて「調査報告」するんなら。
あんなもんでは、いくら口がうまくても、内心笑われるだけです。



さて、まさしく首都圏出身で、観光で島根に訪れた、神楽とか伝統芸能好きの人間が、実感としてあること。

まず、向こうでは、島根と鳥取って左右どっちがどっちかな?みたいな人がやはり多いし、遷宮の時のプロモーションのおかげで島根が観光の候補地としての地位を確立したといっても過言ではないです。

私が最初に島根いったのは、遷宮の前だけど、前と後じゃやっぱり実感として、たった一年とか二年で全然違いました。
パンフレット関係とか、あっちで得られる情報数もね。

だって、ほんと感覚的に遠いんだもん。
飛行機で一時間半くらいというと、9割嘘でしょ?っていわれる。そんな近いの?って。
鉄道で6時間、車で12時間っていっても嘘でしょ?っていわれるけどね。でもこっちのほうが、やっぱりね!みたいな反応があるかな。


ていうか、出雲大社+石見神楽って選択肢が一番になる時点で、どんだけ首都圏では島根の横の長さがわかってないかがわかりますね。
静岡みたいなもんだよ、っていうとだいたい想像がつくらしいですが。

ま、私もわかってなかったですけどね。

サンライズ出雲に乗るとどこにつくのかな?出雲ってどこかな?からはじまった人。
二泊三日で出雲大社石見銀山松江城を巡ったけど結構なハードスケジュールだったとおもう。足が鉄道とバスなので余計にね。


話がずれた。


でも別に好きで首都圏から遠い訳じゃないんだし、そんなあなたが好きだから、卑屈とかコンプレックスを抱える必要は皆無なのです。
そんなあなたでよいのです。
いとおしいと思う人はちゃーんといるのです。


ただ、島根の人はもう少し、神楽そのものが、だいたいの都市部においてピンと来ない存在であることを、前提として知っておくべきかもしれない。

あの人が、首都圏は神輿文化で、神楽は江戸里神楽はあるけど、だいたい巫女神楽の「お神楽」イメージですって教えてあげなければ、そもそもなんでそういうデータになってるのか、我々聞いてるサイドはピンと来ないわね。

どこにいっても神楽そのものはあるけど、広く深く根付いてるかは別の問題なのであります。

あの岩手県内ですら神楽と聞いてもピンと来ない人がおられるんですから。


それでもね、それでもね、もし本当なら、
石見神楽が、高千穂の次位につけたのは、本当にすごいことなのですよ。

マイノリティな世界の王道にいるのですよ。

誇れる、宝なのですよ。




で、だからさ、いろんなひとが聞いて、いろんなことを、あーでもないこーでもない考えるべきなのです。

ほんとに、人を呼びたいなら。



昨日のあの場におられたほとんどは、言い方悪いけど、島根の、石見の広報のために「使われてる」人たちですよね。

師匠は、いつも、
自分らがいろいろやってみたり、外に出て公演したりするのは、社中の人気取りがしたいんじゃなくて、島根の、石見の、広報のためにやってるんだ。
って言っておられますが、本当にその心持ちなんだろうなあ、と思うのです。

島根や、石見の、石見神楽の看板を背負って、出掛けていかれるのです。

自分や社中の人気取りがしたいって下心があったならバレるし、時には背負ってる看板を汚すことになります。

わからんけど、私はそう思う。

そういう人たちの前で、明らかにそんな彼らを「使ってる」人たちが不在なのが見てとれる場で、いやー石見神楽の認知度関心度は低いですね!ってそれだけをいうのは、無神経です。
島根のため、石見のため、石見神楽のために、という心を踏みにじるようなもんです。

そんなで、皆さま有志のご協力で…なんて、ご協力得られるわけなかろうと、思うのです。


「使ってる」人たちが、一番きちんと聞いて、心に留められるべきです。

都合のいいときばっかり神楽を広報活動で使って、いまのやり方じゃ効果ないんだってことをね。



ブランディングというものそのものは、必要なことだと思います。

神楽イコール高千穂、神話イコール高千穂、
そんなんもブランドとも言えるでしょう。

なんか島根はキャラかぶりしちゃってるけど、次位だとしてもしっかり自分もそのブランドありますから!って主張は、しないよりしたほうがいいと思う。

今日職場で、東出雲的には悲しいけど「松江のかまぼこ」にしないと売れない、って、聞きましたが、それもまたブランド。


どうしても上っ面ばっかりで、得られる情報が限られるからこそ、いかにブランドにするか、が大切。
発信したいならね。



でもなあ。うーん、なんだろうこのもやもや。


あの人のいわれてることは別に間違ってるわけではないんだけど、なんか抵抗感というか、ミステイク感があるんだよなあ。


でも本当に「使ってる」人たちが、本気でやるつもりなら、仕事としては便乗するが吉なんだよなあ。


なんだかなあ。

どうなっていくんだろうなあ。


私は、神楽と人と寄り添っていたい。
もっと、寄り添いながらうまいことできないもんかなあ。