舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

秋、村まつりみたいな。そのいち

あの名前忘れたけど細胞分裂中みたいな形の柿がふっくらおいしそうにぶら下がっていたり、まちのバイク屋さんから出てきた若者がヨタヨタ走っていくのを見えなくなるまで店主っぽいおじさんが見守っていたり、毎週納品に行くとこの守衛さんがはじめて話しかけてきて大山がきれいな時期だねってお話ししたり、なんか、ああ秋だなーって感じ。でも大山行ったことないよ。
よくわからないけど、ああ秋だなあ。
ちょっとしたことがほんわかするような。寂しいような。


今週ははからずも一日おきに神楽を見ていまして。本当に秋。

まずは、火曜のぶんから書いていきましょうね。


火曜は、矢上の式年祭へ。諏訪神社
どうしてこれにしぼったかといえば、社格を考慮すると、ここの式年祭は「邑智郡の大元神楽」として見る価値があるのでは、学びがあるのでは、と思ったから。

結論から申せば、仕事さえなければ日貫の大原へ行くべきだったかな。アタリは多分そっち。

でも、よい学びではありました。

そもそもビックリぽんだったのが、またもやネット情報でハズレを引きましてね、21時からだとのことで、いわみ温泉とかで一生懸命時間を潰して、20時過ぎに満を持していったらなんと17時スタートだったという。
おいいいいいい聞こえてた囃子は練習じゃなくて本番だったんかい!!
この前の中野はそもそも前の日だったからそれよりはいいんですけどね。見られるだけね。
でもやっぱりお宮は相当でしたね。
でかすぎて夜は全容が知れん。
暗いけど、祭りだからなんとなく優しい空気。鳥居の辺が一番暗くて空気も怖かった。

結局17:00-3:00くらいだったのかな?

潜り込んだときには数演目舞ったあとで、儀式の最中でした。
祝詞かなにかを上げられて、一番偉そうな宮司さん?が、孫悟空タイプの日輪がついた冠?環?をつけておられて、神職さんが7人藁蛇のある祭壇から順番に降りてくるところ。

「献饌」は、ちょっとトラブルもありましたが、柿とか地のものは大きくて立派なものを調えられてる印象。キビとか粟っぽいなにかもありましたので五穀はきちんとあるんでしょう。枝豆もあった。
あと反物とか和紙とか炭?みたいなのとか。
イマドキなお菓子もあって、神様もお菓子好きなのねみたいな。
桜江でみたときよりめっちゃ速やかなバケツリレー。
それで「撤饌」になりますけど、前も思ったけど、あれ神様ってめっちゃ早食いなんかなあ。
それか口がめっちゃでかい。
神様も忙しないなあ。

で、巫女舞。「浦安の舞」だかなんだかでしょうか。録音の音源だったので、なんやようわからん。
使ってるものが違いますからね。

そのあとは神楽団による舞。
子どもの「神武」大人の「大江山」「天蓋」「塵輪」「鍾馗」。自分はここでさようならでしたが「大蛇」「御綱祭」。

なんというか…ちょいちょいあなたはもしかしてC-3POかな?みたいな方がおられたり、素朴。舞を楽しむなら私は日貫の方が好みかしら。

例祭では舞う演目数が少ないらしい?くて、4年に1回しか舞わない演目も多いよう。かつ、古老がなくなられてうまく継承できなくて、いろいろ思い出しながらされたとのことで、ちょっと練習しきれなかったところもあるようです。


気のついたことの一部をメモ程度に。

「神武」は、兄神の仇をどーたらって聞こえたのですが、ようわからん。小さい子達が頑張っていました。

大江山」は童子さまの腰かけなさってる台の敷物が、ハートのフェルト地ブランケットだったのが大変チャーミング。
2対2だったのですがそれぞれツレが誰なのかいまいちわからず。問答がわりかしあっさりだったかな。

塵輪」は、神がうっかり二人とも青い方着けて出てきちゃったのでやり直し。幕の中も外も慌てる。正しくは青と赤です。あの帯みたいなのはその都度巻いてるわけではないのね。
師匠曰く、その土地の文化なのでは?とのことでしたが、地元の人参加型でなんかわちゃわちゃ。
鍾馗の採り物もったり酒瓶持ったりズボン脱げたりした人達が鬼やら神やらに絡む感じ。
邑智郡は塵輪のバリエーションが豊かで興味深いですね。大量発生したりしつこかったり観客席側から出てきたり、テンションがよくわからないカオス空間だったり。

鍾馗」は、ナスビちゃんでしたが、ちとゾンビみたいでこわげでした。
ぺちゃんって座り込んでじーっと固まっているときに、まだまだ!という。そういわれるとちょっとだけ首を振る感じ。あのザイでなにかを探る感じがちょっと不気味さをあおります。
面が途中から外れかけて気もそぞろになってしまったご様子。

そういえば、口上で「首を切って城郭にかける」って聞こえたのが印象的。

ここで、何時だったかいな。1時くらいだったかいな。
次の日が朝イチで打ち合わせが入っていたのと、ちょっとしょんぼりから立ち直れず撤退。


完全にそれはこっちの独りよがりな期待なので、誰が悪いかといえば自分が悪いのですが。

ちょっと残念だったのは、継承の問題などから「大元信仰」として大切な舞があまり見られなかったこと。それを楽しみにしていたので。だから、大原の方がアタリ。むむう…

最初から村祭りにお邪魔しましょう、という気持ちで行ってきたら、もっと素直に楽しめたかもですね。団長さんもなんだか茶目っ気があるというか、かわいげのある方でしたし。4年に一度の祭りを一生懸命務めておられるのは伝わる。
古老が伝える前になくなられたのは、本当に残念です。
次の式年はどうなっているんだろう。

だから、舞う機会や回数は重要なんだなあ。

その点においても、日貫の合同式年祭は、私は、合理的というか、持続力が高いと思うのです。ひとつの地域に5つでしたっけ?の団体がひしめき合ってる強みというか。
というのも、これから先どう考えたって人は少なくなる。祭りを執り行うのがどんどんいたしくなるでしょう。
合同で、それぞれ役割分担して舞っていれば、古老がなくなられたときの演目存続危機が分散される。それに、将来的に個々の団体が立ち行かなくなったときも、合併すれば一応なんとか持ちこたえられる可能性も高くなりますよね。多分。考えていることを正確に言い表せなくてもどかしいのですが。



あと師匠から、あくまでも仮説としての話だけど、自分のなかでいわれて腑に落ちた感じがしたのは、あの姿が、神職の手を離れた神楽の姿なんじゃないかなあ、ということ。
氏子が楽しむ姿を見て神は喜ぶだろう、神賑わいになるだろう、といった神楽観の最たる。
だから「校訂 石見神楽台本」が生まれたんじゃないかなあって。
素朴で、ちょっと雑で、でもみんなが笑顔。だけど、あくまでも神楽は神楽。神楽を後世に残すために、あえて、もう一度神楽歌や口上を整理することが必要だと思ったのではないのでしょうか。
口伝の限界も感じていたのかもしれない。

あと幕間の話を聞いていると、担い手の本人達がこの演目がなんたるやをよくわかっていないという、ちょっと危うさがあって。整理して、道理というか、演目を構成している大切なキーワードを記録する必要性というか、伝え残しておきたい、忘れられたくない、って気持ちもあったのかなとか。

いとおしくも、ちょっと切ない。
うまく言えないけどいろんな気持ちがない交ぜになってしまうよ。
整理するなかで消えていったものもあるだろうし、整理しなかったがゆえに残らなかったものもあるだろうし、どうあがいたって昔と今、これからの神楽は同じではないし。


記録だけではダメだし、口伝だけもダメだし。
どっちも大事。
古老や師の言葉も大事。魂を継ぐ。


やっぱり、舞わなきゃ残せないしねえ。

きゅっきゅって磨く話

最近、ことに、師匠が、やっぱり基本が大事よ、基本の舞を磨かないといけないよ、って話されるなあと思うて、メモがてら。

職人みたいだなあとも思う。

わたしは、元々壊滅的にセンスを持ち合わせないのもあって、ひとつのことに対し、誰かから習って愚直にこんこんと打ち込んだことってないのだけれども。
人から人へ伝わっていく特性から「基本」とは、一番シンプルなはずなのよね。無駄なもの、飾りはすべて削ぎ落とした芯の部分。

なぞることは、能力やセンスなど個人差はあっても、短期間で習得できると思う。あ、私はできませんよ。

でも、磨くっていうのは、難しげですね。
時間かかるでしょうね。
手打鉦とかも、入門編でありながら極めるのには十年選手とも聞きます。


多分、その場かぎりのもの、飾り物をつけるほうが、容易い。そして、人の目を引きやすい。

でも、不思議なんですよね。

基本が疎かになったまま、その場かぎりのものや飾り物がくっつくと、小技ばかりなのが目につく。基本のところがうやむやになっていたり、落ちてたり、なんというかなあ、トレースしきれてない感。
輪郭ボヤボヤというのかなあ。

その場かぎりのものというのも、本人的にはあえてのつもりなのかもしれないけど、結局は単なる思い付きなので、正確な2回目はない。
劣化したコピーで精一杯。


基本のある人は、その動きに基本を見てとれます。

あ、簡単な話、そういうことか。
それいうのに遠回りしちゃったよ。

基本が見てとれるからこそ、美しい。
だって、削ぎ落とされた美なんだもん。本質が美しい。


磨くって、そういうこと。


でも、能の美しさとか、これに限ると思う。
限界まで具象を削ぎ落とし抽象化したからこそたち現れる具象。


磨きかたは、わかんない。
わたしは師匠に身体技能としての神楽を習うたことはないので。身の内にもないし。

でも、真摯に、師や古老の教えをなぞることは、ひとつあるんじゃないかなあと、思ったりはするのです。
コンテンポラリーダンスじゃあないんだから。
伝統芸能なんだから。

※でもコンテンポラリーダンスも適当にふにゃふにゃしてるわけではなく、基礎となるものはあるよう。

どれだけ変えたくなくても、人が変われば舞は変わっちゃう。だけど、なるべくなるべく近い縁をなぞっていく。繰り返し繰り返し。繰り返して、骨の髄、あるいは血肉となるまで。


教えは、反発するものじゃあなくて、寄り添うものだと思うんだけどなあ。反抗期かな?それとも思春期?
聞けるうちに聞いとかんで、聞きたくなったときには、もう先人は去ったあと。

往々にしてそうでしょう。



親離れはとっくにしてるけど、師匠離れはできません。
いろいろ言いたいけど眠いから寝る。

ぶらぶらぶらんでぃんぐ

この土地において来訪者であり、観光客でもあり、それでいて業者でもあるわけで、トクなのかトクじゃないのか、回り回って知らぬが仏なことにたくさん出会う羽目になるのですが。

神楽を観光資源、コンテンツとしての側面を持たせること自体は、至極自然なことだと思っていて。
というのも、私自身、神楽があるからこそ、石見へえっちらおっちら出掛けているから。あるいは、実家にいた頃は、神楽があるから、奥三河へも行ったし、岩手へも行った。

これで、温泉だけ、食べ物だけ、では難しいわなあ。よほどの凝り性でないと。
神楽、あるいは祭りとでもいおうか。
そういったものは、もちろん、それ単体では期間限定なのでよう成り立たんかもだけれど、大体そういうところって温泉あったり食べ物おいしかったりするので、総合的な魅力で、その土地へ行ってみようかなって思わせるんよね。
そして、それでよい出会いがあれば、戻ってくる。


いろんな団体、よそもんがくるのは嫌だなあってとこもあっていいし、そもそも祭りが少なーてレアキャラってとこもあっていいし、いたしくてよー舞えんってとこも、悲しいけど現実あるわけで。
それはそれでいい。無理のない範囲、自分達の思う範囲で、できる限り継いでほしいし、それにたいしてなにかできることはあるだろうかなあと、よそもんながら思う。


ともあれこれだけ団体があるのに、それを無視して、食べ物と温泉だけで勝負しようってのは無理な話ですわ。
だって日本海の幸、山の幸、温泉、どれも他のとこにだってあるもん。
ナンバーワンでもオンリーワンでもない。

神楽はそれぞれ影響の授受、寡多はあっても、その土地のオンリーワン。



私が、ブランディングなんちゃらで、違和感を覚え続けていたのは、コンテンツ云々というより、彼らのやり方は、「モノ」としてのコンテンツ扱いをしているように見えるからなんだなって、師匠にうだうだ話しかけていたら思いましたのですよ。

「モノ」のブランディング、たとえばどんちっちな3魚であれば、漁師さんのストーリーも大事だけど、それより、魚そのもののトピックをメインで立てますわね。
脂ノリがどーのとか、漁獲のなんかがどーのとか。

魚というモノをどうやって魅力的に見せていくかが重要課題。


神楽は、モノではない。
特に、「くらし」をアピールしたいならなおさら、そこには、モノとしての神楽というよりヒトとしての神楽というか、より複雑な階層になっているのよね。

関わっている人たちの営み、思い、とかそっち。

そしてそこには、地域の数だけ、団体の数だけ、営み、思い、諸々あるわけで。それをブランディングするって、相当大変なことだし、関係各所あらゆる人たちが連携しないとできないこと。

今のところ、それが全く感じられないからイヤ。
周知、道理もろくに通さずに、手頃なところでの見切り発車感がある。

ブランディングというのは、軸を立てて、それに合わせてPRや広報物つくりや、果ては人の意識改革をして一本の筋道にするということ。

ただ、この立てた軸そのものが、ずぶずぶ沼地に立てたようなものであれば、もー残念なことこの上なしだけどね。

ディレクターは、親の言うことの気まぐれに翻弄されたらいけない。軸がぶれないように統制をとるための存在だから。
そしてディレクターはあくまでもディレクターであって、親ではない。親は雇い主。

親の目指すゴールを聞き、一緒にきちんと中身をつめて、かつ、そこに巻き込まれる関係各所にどういった意図でやるのか、なぜ協力してもらいたいのか、協力してもらった部分はどういうふうになっていくのか、説明できるくらいじゃないといけんの。
時には、親が突然言い出したことにたいして、それは軸から外れるからダメ!って、代替案やら妥協案やら出して突っ返すことだってある。


神楽の場合、取材先・取材相手だけが、関係各所というわけにはならん。
もっともっと大きい。
その人の神楽論が総論なわけでもないし、そこが神楽の全体像なわけでもないし、そもそも適任なのか?という問題も究極ありますわなあ。
普通は、親が、適任を推すなり、様子を分かっている人が客観的な理由でもって推挙するもんだと、思っていたのですが、それって違うのかなあ。


ほんとのとこは、純粋にコンテンツとしての周知を図るぶんにはどこでもいいっちゃどこでもいいのだけれどもね。

なーーーーんかもやっともやっとするんよねえ
中途半端にポロポロ見えてるのがまたもどかしい。見えてるのに見てるだけ。



ただ私は神楽についてはやっぱり研究としてのほうでの関わりかたがいい。
それだって客観性や協力や道理は必要だけど。

というのは、まだまだ知らんから。
己の疑問の回収と妄想力強化と知識の蓄積の方が楽しいしね。
なぜ人はこの現代社会において神楽を舞うのか。集うのか。継ぐのか。熱狂するのか。
私の軸はこれ。

軸のくせに「か。」といってる時点で疑問形やし。
でも、ずっとこれからブレていないのよ。

肥の川上のこと。

木次大東加茂のごくごく一部しかまわれていませんけど、案外に外来種っていったらアレなんですが、大和系のお宮がわりとあったのが、よい気付きでありました。
やはり松江出雲(の一部?)が特殊なのか?


主要なお宮の八幡宮率の高さは興味深かったです。
江の川沿いと一緒だ。
でも、わかる限りではホンダワケでしたね。

あと、やっぱりオオクニヌシとかスサノオが多い。オオクニヌシさんはいろんな名前。

若宮もわりとあったなあ。
春日若宮。
……そうか、水の神か。
加茂にも貴船神社があります。

やっぱり水なのか。

貴船神社は、いっそう暗くなったところに御神木っぽいのが聳えていて、暗くてなんとなく怖い感じだったので、離れたところから覗くだけに留めましたが、木の根というには少し高い位置からヌチヌチと鳥居の両足を飲み込んでいました。
なんとも、異様な。写真は撮れなかった。
隣に宮司さんもおられるようで、きれいにはされていたけど、ひとりで黄昏時には行きたくないかな。神楽があるんですけどね。


あとどこだったか、参道としてのびている石畳が拝殿の手前、賽銭箱とかがある場所は拝殿の幅に合わせて広がっているお宮って多いですが、その一歩二歩手前の参道挟んだ両脇に、蟻塚ほどじゃないけど…意図的に白砂を積んでいる何かがあるお宮もありました。
熊手の跡が、明らかにそれを避けてならしてる。

あれはなんなんでしょう。

だいぶん、雨にも打たれて固まっているようだけど、穿たれるほどではなくて、ほぼほぼ完璧な状態で四角錐形。30cm四方くらいかな?塩は円錐だしなあ。
わからん。

お作法がわからんので、そういうのもスタンダードなのかもですが、多分杉に、御神木に回すようなしめ縄を回して、幣数本(それはたまに見た覚えがあるけど)と、木の矢を天に射る向きでくくっているお宮とか。矢は初めて見た気がする。


とか、ちょっとこわげというか…パアアッて明るいお宮はあんまりなかったかなあ。
鎮守の杜がすごい高いというのもある。


石見でどこだったっけ。なんかパアアッてしてるお宮。最近心が汚くてご無沙汰だからな。
大社はダントツ。


佐世のお宮は、ものすんごかったです。

場所も、ものすんごい急な斜面を登った山の上にあるんですが、巨大な奇樹が複数ガン!ガン!と生えてる。立ち枯れ朽ちかけのようにも見えたけど…それでも貴船ほどは暗くない。
あの感じで言うとあれが佐世の木というか…シイ系の木ということになるけど…わかんない。

佐世は、スサノオがオロチ退治のあと、佐世の木の枝で髪挿しをつけて舞い躍り、その葉が落ちた土地といわれていて、その神話にのっとれば、中つ国での神楽の初めの土地みたいな。神楽のそのはじめは岩戸の神遊びだけれども。
一説にオロチの鎮魂の意味合いが~みたいなのを聞いたことがあったような。

だから、行ってみたかった
ちとこわかったけど。
ちなみに佐世も八幡宮

でもその名を冠する神楽は谷ひとつ越えた?別の八幡宮にあるっぽい。そっちは次回へ持ち越し。
年始めに松江で見たとこですね。
そいでもって、激しいが売りっぽい?ふむ。


やっぱり宮つきの神楽のある宮は八幡宮率が高いっぽいなあ。ふむ。
なんでだ?


なお、奥出雲は本当に特殊だとの話をこの前お仕事の立ち話で聞きましたので、それもまた行ってみないとなのですね。
ていうか、数も少ないし、歴史があるのも少ないんよね。
ふしぎだ。

やっぱり五郎の王子

備中神楽の歌ぐらの「五行」少しだけ読みました。頭が回らんけど、めも。


太郎 ククノチ東方木の御祖
二郎 カクツチ南方火の御祖
三郎 カナヤマヒコ西方金の御祖
四郎 ミズハメ北方水の御祖 女(メ)だけど四郎。

漢字が今まで見たことない漢字当てていますが変換面倒だったので省略。

父は万古大王で、イザナキと習合。天地開闢の時始めに世に出でたる"天子"、ということなので、より大陸思想か?しかも、舞殿に出てきちゃう。父自らが分配する。
イザナキと習合しているのは…比婆山あたりが近いから?んな訳ないかな。

でも、始めに言うてるのにイザナキとは。

面かけてるけど、そういえばそれの面ってこの前どこも見かけなかったなあ。


所務わけのじいの所務を、掌務という。
ははーん。どっちが先かわからんな。掌務も言われるとなんとなくわかる気がする。

で、四人にふり分けた時点では、五番目はまだ生まれていなくて、性別不明。男の子だったら埴安の命、女の子だったら埴安ヒメの命って名前付けるんだ!とパパ宣言。
結局、男の子だったらしいので、埴安の命。埴安だけ字が変わらない。他の地域もそう。
やっぱり、五郎の王子。

あーー思ったより長いな。省略。

ほぼほぼ普通の喋り言葉。
逆に台本通りに覚えるの大変そう。

五郎ちゃんが、使いの役回りのカバーもしつつ、なんか最初は仲良くやろうよみたいな雰囲気で、兄たちと話してからの、ちと身元改めるでということで、五行説の理の問答をするのだけど、気が付いたら取っ組み合いのケンカおっぱじめるらしい。

喋り言葉すぎて読むのおっつかんし、方言の単語わからんし。

大筋は変わらんだろうなって感じ。


修者堅牢神というのがでてきて、アメノミナカヌシの代勤やでっていって、ゆるーく仲裁。今度こそ所務わけのじい役。これも半分喋り言葉。半分は改まって話すらしい。

すっ飛ばしたけど、一応うまいこと節分?の配分はできた。土用ではない?

ただ、彼岸にしょ日、まびにこうしん、というのはあまりだけえ、といって骨折り賃として修者がもってった。

まびにこうしん、とは?庚申?真備?


よく読みきれてないけど、スパッときれいに分けられんのかい!という新しい発見。あと餅撒くがなんたら。


ひとりじゃ、なんやよくわからん。


大筋は一緒だけど、全然違った。


神楽歌も全然違った。


実際に見らんとやっぱりわからん。


でも、この五郎の王子を演目化するっていうのが、大事なんだろうな。それがこの中国地方の荒神(大元)神楽、といっていいのか、他の地方も五郎の王子を演目化したものがあるのか。

花祭は、思想そのものに、組み込まれてはいるけど、演目化はされてないはず。少なくとも、極端な話、擬人化はしていない。
東北はどうなんだろうか。
他のところは?

そこだ、そこだ。


調べる時間がほしい

非日常と祭りについて

祭りシーズンだからか、"祭り"とか、"非日常"とかそういったワードをいっしょくたに目にしたり耳にしたりする機会が増えていました。そういえば。

あくまでも、個人的な思いだし、言うことがちょいちょい自分にブーメランでブスブス刺さるのだけれども、"非日常"の"祭り"に行こうよ、っていうのは、ちょっと違う気がするのです。


そもそも"非日常"というのは、自分の行動パターンから外れたときのことを指すわけで、そのなかで出会う新鮮さであったり、いわばカルチャーショックであったり、感動であったり、経験とか場面とかということよね。

確かにそう思えば、祭りは非日常的なことではあるんだけれども、同時に、"祭り"だけで日常から切り取ることができない世界でもあると思うのね。
チョキチョキって。
日常の連続のなかだからこそ、祭りが成立するというか。

頭こんがらがってきたけど。


ある人にとって、自分の行動パターンから外れた場所に出かけたときにはすでに"非日常"になっているわけで、そこにある"祭り"だけが非日常であるわけではない。

ひとは、あるところではよそ者であり、あるところでは地元民であるのと同じで、自分の日常が非日常世界であるひともいれば、自分が非日常世界と感じるところで日常を紡いでいるひとがいる。ある人にとっては日常だし、ある人にとっては非日常。

ただ、その日常の営みを紡いできた人たちがいるから、"祭り"という非日常世界が成立する。

ただ、その祭りですら、長い目で見ればその土地の日常の営みなわけで。


自分自身の"非日常"を求めて、誰かの日常に土足で上がり込んでいる自覚はしていないといけないのかなって。

だからといって"非日常"を感じてる時点で"よそ者"であるというわけではないのよね。それすると、人が泊まりにきてソワソワする自分まで"よそ者"になっちゃうから。



テレビとか、雑誌とかで、どうしておなじ"祭り"でも神楽はあんまり取り上げられないのかな、とか思うんですけどね。

比較的、誰の目からでも"日常"に近く感じられるからなのかな?
"非日常"とやらを追い求める都会人からすれば、もっとガツンと一発ものみたいな、あ、それは違うか。もっとインパクトのある"非日常"感がほしいんでしょうか。

でも、そのガツンとヘビーなやつも、それはそれでその土地にとっては日常だと思うのだけれど。

例えば沖縄とか、確かに祭りも独特だけど、それが"非日常"なのは、沖縄そのものが"非日常"的な存在に感じてる人間だと思う。


私自身、地元のお祭りについては無知なので、いろいろブーメランなのだけれども。
実家のほうは駅というか市街は御輿が出るという話あんまり聞かないのよね。おじいちゃんちのほうは、御輿が出るのだけど。
それも、無知なだけなのだとは思う。

それでもって、御輿ガチャガチャについて興味を引かれるわけでもないので、それもまたブーメランでブスブス。


自分の日常のなかの小さな非日常、ハレの日が、普通に日常にいるとは思うし、それがある人にとってはものすごく非日常であるのかもしれない。


石見沿岸部のひとたちにとって、神楽は日常?非日常?
多分、日常であり、非日常でもある。

あの空気感、いとおしい。

地域のたからもの。


結局またそこに帰結してしまった。


そんなに非日常を求めるんなら、祭りなんかを言い訳にしないで、とるもとりあえずコンクリートジャングル飛び出せばいいんじゃないの?
というのが究極の私見

あんだけ人がいるんよ。

自分がいなくなったところで、かわりはいるんよ。

どれだけ引き留められても、案外何とかなっちゃうもんなのよ。
家族関係ですら、そうなんだから。


日常と非日常をもっと自由に行き来できる生活だって、あるのに。
非日常だって、ちょくちょく頑張ればそのうち日常のひとつになることだってある。それもまた人生。

面が並ぶとこわい

備中のほうはまだまとめていませんでした。
矢掛の薄荷茶がんまい。

映像は結局全然見られなかったんだけど、なんかの宮だか神だかに仕える某が、辻占みたいな実は安倍泰親?とちゃびちゃび話しているシーンだけ見ました。多分見た目の時代考証とかしたらいけんやつ。
……………あ!ということは「玉藻前」かな??
あの演目はスタメンっぽいから。

チャリは、それを見た感じ、ちょっとゆるやかかな。
泰親は畳み掛けるようではあるけど、どこかテンポがゆっくり。サクサクではない。

あっちの神側のビジュアルって、力紙でしたっけ?蛇腹に和紙を折ったやつがはりだしていて、唐冠系に見えますね。ちゃんとは見てないからわからんけども。

ただ、とりあえず大蛇は浜田の蛇胴を使っている気配。エビフライみたいな尻尾だったし。蛇頭はひなしさんに似てるかなとも思ったけど、あれは元々地域に伝わる顔っぽい。動いてるのはまだ見たことないけど
頭も、いわゆるベーシックというか、見慣れたサイズ感の「蛇頭」と、「小蛇」という半分くらい?3/4くらい?のサイズの蛇頭があるみたい。
そっちは、かぶって舞う感じではなさそうかなあ。
どっちかといえば、東北の権現様系っぽい。

自分が見たのは、なんかもう和紙が傷み朽ちかけて造形の細かいところとか色とかわけわからんやつ3体でしたけど、そのうちひとつは、針金で口まわりとか形作っていそうな感じ。補強というより骨っぽかったかなあ



それ以外、美星と文化財センターで見た面、

猿田彦
→わからないけど周辺の祭りを見た感じ、ご神幸の先やらいに獅子と猿田彦が出るっぽいのでそれの面?
赤い天狗面。

足名椎手名椎 字があってるかわからん
奇稲田姫
素戔嗚命
→多分「八岐大蛇」でしょう
スサは、べしみ系の顔に、口の両端にボボボッと剛毛そうなチョビヒゲ。書き込む場合もあるのかな?アゴヒゲはない。

思兼命
天照大神
手力男命
→「岩戸」?あれ、あんまり覚えてないや。それぞれものすごく特徴があるわけではなかったかも
オモイカネは、年齢が不詳っぽいなー。ものすごく老齢でも、壮年でもない。台形の顔の作りに、顔の外周に白鬢。あ、でも調べたら眉も白くて長かった。


建御名方命
→「国譲」?タケミカヅチがいたかわすれたけど、なかったのかなあ。あったかなあ。どの字だったか忘れた。
で、これがすごく典型的な鬼の姿。桃太郎に退治される系のほうね。ギザギザぶっとい眉毛に、金で塗ったでかいギョロ目、角と牙がある。
どーやったってあれは「鬼」だなあ。
出雲の人が鬼と呼ぶのは全部賊面だけど、あれは「鬼が出る」っていわれたら、うん確かにと思う。

大国主命
→大黒面。小振りなちりとり面位のサイズかも。つまり大きい。赤い、帽子?布烏帽子?

恵比須
→ほぼほぼ大黒面と相似。ただ、面のサイズは一回り二回り小振り。黒い帽子?


この2神は飴餅撒く要員でしょうね。
回り神楽、井原では「渡り神楽」で、一度途絶えた地域が復活させたとき、餅撒きを取り入れて、楽しめるようにしたというような記述をちらっと見ました。
あ、たまーに古いおうちで額にはっついて飾られてるのって、この大黒恵比須なのかな。なんでサイズの違う大黒がくっついてるのかなとか思ってたけど。
説明を見ると「国譲」ベースの説明になっているから、タケミナカタと一緒に親子3神で出るのかなあ。


その他謎なメンツ

松尾明神
→顔のパーツが重力に負けた感じというか、下に向かって歪んでる。ちと不気味。酒の神だからなのかな?目の回りにクマみたいな黒いのと、酔いどれみたいな赤い色が入ってる。

室尾明神
→ギョロっとした目が上を向いてる。口は、だらしなくニヤけた感じ。画像検索すると下向いてニヤけてる面が出てくるけど、見たやつは上向いてたと思う。
チャリ系統なんだろうけど、石見神楽面で例えられそうなの思い浮かばない。

稲脊脛命いなせはぎのみこと
→歌舞伎にありそうな感じでギュッと口一文字。唇の中央部分に力が入って、口角のほうはすこし開いてるというか。ちょっと上目遣い。

なんかちょっと調べた感じ、鼻の穴に和紙のこより詰めてるのが出てきた。オオクニヌシに仕える神で、松尾明神と一緒にチャリ…って余計にどんなストーリーなのかわからんな。

もうどんな演目で、どんなキャラクターなのか、まるでわからない。


面はやっぱり場所とか時代によって違うんだろうけど、文化財レベルの面だとこんな感じ。


蛇頭以外、和紙面なのか木彫り面なのかはわかんないけど…あんまり凹凸差はないような感じがしたかな。


なんかね、こわかった。


浜田面作られてる先生の工房の面は、綺麗すぎるくらい作り込まれた面だけど、壁にバーっとかけられていても、あんまりこわいという印象はなかったのね。
でも、美星も文化財センターも、それに比べれば全然数は少ないんだけど、なんかこわかった。何となくこわくて写真撮りたい気分にならなかった。

面をかけられたら多分また雰囲気変わるんだろうけど、ただ陳列されてるときは、なんか嫌だなあ。ってなって、早々に退散したのでありました。


不作で、残念。

スタディツアーもやっぱり人づてに生きた情報を得ないと難しいなあ。
改めて、石見の情報集積力というか、個人の神楽に対する感度の良さもスゴいなっておもったし、存分にスタディツアーをしてくださった師匠と、保護者にありがたいなあ。とおもったのでした。
あれがなかったら、現段階まで行くのにすごい時間かかったとおもう。

あーとどのつまり、結局のところやっぱり、師がいるから、なのだろうし、師がいることに感謝しなさいよってことなのよね。