舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

神能あたりもろもろ いち

佐陀神能について、写真集などでの概要をざっくりまとめると、
16世紀末から17世紀初頭、うんと、神楽を舞う役職の人っぽいんですけど、その当時の弊主祝へいぬしのはふりさんが、神職の裁許状をもらいに都へのぼり、猿楽能の所作を学んで帰った、という記録が残っている、とのこと。
島根、秋鹿、楯縫、意宇郡西部の神主と巫女によって執り行われていたものの、神職演舞禁止令により、氏子の手へとわたった。
9月の御座替祭で、取り替えをするその晩に「七座」の神事を奉納。翌日の夜、例祭の夜に「式三番」「神能」を奉納。

「神能」は、江戸時代初頭、だから17世紀の早いところですね、に大成し、当時、猿楽大夫がいたという記録もあるとのこと。

「七座」「式三番」「神能」の"形式"が、多くの里神楽に影響を与えたとされる。ということなので、この"形式"を今でも変えずに伝えていることから、国の文化財ユネスコ登録となった、という解釈でしょうか。

「七座」の神事とは、「剣舞」「散供」「清目」「御座」「勧請」「八乙女」「手草」の7つ。「八乙女」は今はないということですが、多分これのために、巫女も舞手を担っていたということなのでしょう。江戸時代にはこれプラス「祝詞」。神職から氏子へ代わる過程で、なくなったということ。

多分ですけど、石見でいえば「四剣」「塩祓」「茣蓙舞」「神迎」「四神」「榊舞」辺りが対応するのではないでしょうか。
東の亀さんでやる「悪切り」とかもこれ系なんじゃないかなあ。
益田のほうで見た「剣舞」だっけ?口に加えて両手で持ってクルクル回るやつは、なんかちょっと舞ぶりというか、毛色がちょっと違うのでよくわからないけど、存在意義的には同じなのだと思います。

※師匠より、さださんは「剣舞」で剣を持って舞うけど、それは出雲山間部では「八ツ花」とのこと。ちょっとまた「剣舞」については考察の余地あり。


「式三番」は例祭の夜の奉納。「翁」「千歳」「三番叟」
いまの能で見るのと同様、ストーリーなどはなく、めでたい詞がいっぱいならんだ口上をもつもの。
天蓋やなげし飾りはつけない。

「神能」は、筋立てや囃子の構成が能の形式。そしてそれが、出雲地方独特のものといえる、とのこと。
あにゃ、写真集では「出雲流神楽の源流」ではなく「出雲神楽の源流」ってなってますね。
演目は「大社」「真切女」「恵比須」「八幡」「日本武」「磐戸」「三韓」「住吉」「荒神」「厳島」「武甕槌」「八重垣」の12こ。そのうち3,4演目を奉納。
いままでの感覚的なものや、写真集での内容から見るに、ベーシックなのは「大社」「日本武」「八重垣」。東の亀さんで「三韓」やるから、それもあるのかなあ。


ふうー。

まず、また今度調べんといけんのは、この大成に猿楽大夫の存在あり、というようなのだけれど、実は松江藩の文化としてもともと能というのがある、っぽいのよね。町民文化のほうだったか、忘れたけど。
本買ってあるのでまた時間つくって読まんと。
もともと、土壌として、能が根付いていた可能性はある。


ほいで、歴博の展示とも絡めていきますが。
あ、みみくさんは、立久恵を越えて三刀屋掛合と接しているあたり。地理難しいー

いまさださんでなくて、みみくさんにある「祝詞」は写真見る感じ、「天蓋」ぽい。
クモを上下させているところのそばで、祝詞を読み上げて神を勧請します。
あ、いま胴取りが勧請みたいなのするから、それが誰がそれをやるかが変わったみたいなかんじでしょうか。

ねむい。

でも、いまではその勧請のためでもあった天蓋がないというのも、かなりスパッと転換したのでしょうか。

あーーこれ一回じゃ無理だ
眠くなってきたし、一度ここでおわり、

                         

れきはくの展示

歴博の展示をみてのまず触り。

一通り、フムフムしながら見てまわって、最終的にふと気がついたのが、佐陀神能が、今でいう採り物神楽、演劇性のあるストーリーと構成を伴う能舞をもつ出雲流神楽の「源流」とは、やっぱり言えんのんじゃないかなあ、ということ。
中国地方広い目で見たときに、逆に神能が異質に見えるような気がするのです。

たしかに、あれでもなんでも「源流」、先祖と定めてしまえば、いろいろ判断基準として便利なのですけど、あれに当てはまらないというか、うん?というのが、出雲(この場合佐太は松江なので松江)周辺の神楽だけをとってもあまりに多すぎるのではないでしょうか。

式三番とかそういう感じのハード面を整えて、ありゃそれ便利ね、確かに都でもやってるしね、みたいな感じで周りが取り入れていったことはあると思いますが。
演目という面から見れば、ある意図を働かせて、それまでもっていた演目を改編するだけではなく、捨てた可能性もある。

という風な視点もあると考えられるような展示でしたね。


その辺の話をもうちっと掘り下げたい。

あと、ビジュアル的に全国共通認識のある「鬼」の不在とか。こっちは書くの難しいかなあ。



やっぱりもうちっと岡山のへんの神楽も、勉強してみないとなんとも言えんのですが。

師匠のことば。

師匠から書き残してほしいといわれたこと。
必要だと思うから、いわれた言葉をそのまま。
時々このタイトルでいわれたことそのまま載せてもいいかな。肉声みたいな。それも大事な気がしてきた。


ずっと、思い考えていたことに、結論がでました。
ずっと思っていたことを伝える文言です。

神楽の舞手を考えるとき、昨今は器用な人物に出会うことが多くなったし、実際に沢山増えてきました。
反面、『舞』の上手い者に出会うことは少なくなりました。社中は違えど、先輩の中には多くいます。



この話をされる前の日とかに、たまたま、お父さんと車中で、直接習いもせず、動画見て真似できるその能力はスゴい、という話をしていたこともあり、私は、神楽が身のうちにない者だけれど、すごくすんなり呑み込める言葉だったのでした。
でも、神楽に限らず、なんとなく、世の中が、そうなっているような気がして。

帰省の飛行機を空港で待っている時に、実に十年ぶりくらいにお笑いの番組を見て、そのときもなんとなく、感じたこと。
人真似がベースにあるネタが、なんと多いことかと。
昔から物真似はあったけどさ。
器用ではある。
でも、それって、もとの人が過去の人になったら、一緒に過去のものになる。残らない。

本質的に人を笑わせている訳ではないと思うの。

真似が似ているからとか、ちょっとの侮蔑とか、器用さに対する笑い。


興味ないからわからんですけどね。
あらゆる事象について当てはまる事柄だと、個人的には思うのです。


もとのものが、ニセモノであれば、時代と共に消えていく。ホンモノであれば、ホンモノは後世に残る。でもそのオマージュ作品は?どうなんだろう、と思うのです。
器用に真似るほど、ねえ。


器用さも能力ではあります。

でも、器用という能力に甘んじて、思考し続けること、探求すること、極めようという思いが蔑ろになるのであれば、あの人は器用だね、で終わるのではないでしょうか。
いつかは飽きられる。
いつか、人の記憶から消えていく。


不器用でもいいと思うのね。
貪欲に、思考し、探究して、追い求めるからこそ得られるものがあるから。
そこからたち現れるものが、人の心を真に動かすと思うから。


ここまできて、ああ、前に師匠がいっていた舞を磨くこと、基本を磨くことに繋がっていくのかあ、とひとり納得。
萬斎さんの例のやつね。
http://namaaa.hatenablog.com/entry/2017/10/30/222759
これこれ。自分の回顧用にはっつけとこ。


基本を求めて求めて極めようとして、己の身体に染み渡って、型が型でありながら、その人そのものを写し出す。
「人」が映し出される。

逆をいえば、映し出されてしまうから、己が見せんとする役柄、人について、また思考して探究しないといけない。
達成の見えない、しんどいの連続かもしれません。
謙虚でおらざるを得ない。達成がないから。

でも、だから、見る人の心を動かすのは、たしかなのです。

真の舞いあそびって、きっとそう。


器用者を育てたいわけではない、とは、師匠でなくとも、古老や、先輩が思うことだと、私自身としては思うのです。そう思っていてほしいという願いにも似た思いだけれど。


器用な舞は、箸休め程度にしかならんのんよ。
記憶に残らんのんよ。
はあ今日はいい神楽を見たなあ、にならんのんよ。

届くかなあ。

ギシとマア

師匠に神楽に出てくる兄貴分、弟分の表現についてなるほど!となったことがあるので、メモなど。

なんで同じ兄弟なのに、「日本武尊」は兄ぎし弟ぎし、「八十神」では兄まあ弟まあなのかなあーと思っていまして。

推察だけれど、という前置きがあって、蝦夷が転訛してエギシと呼ばれ、エギシ、オトギシになったのでは、と。
エミシ→エビス→エビシ→エギシみたいな?
私にはまだこっちの地域での転訛の法則とかわからんので、こっちで生きている師匠がそうっていえば、ほほうそうかあとなるんですが。
出雲の方も、イとウの音が非常に曖昧なので、全くあり得ないとは言えないんじゃないかなあとか思ったりして。

駿河の地も都からみれば東国、蝦夷の地。
エギシへの転訛があったなら、兄エギシ、弟エギシから口伝の過程でエが吸収されたのかなーってかんじ。


たいして「八十神」。
いわれたのは、口上のなかに「継兄(ままあに)弟(おとと)なり」とあり、それが訛って兄まあ、弟まあとなったと推察しています、と。

ままあに(古語ではまませとも)のママとアニの順番がどこで入れ違ったのかは皆目見当つかずですが、全く不自然なこじつけでもないのではないでしょうか。

ただ、もし、この仮定がまるっきりの大嘘でなければ、「ギシ」も「マア」もある立場を表す記号ということなので、「日本武尊」において、兄まあ弟まあはなり得ない。ヤマトタケルの継兄弟ではないから。同じように「八十神」で兄ぎし弟ぎしはおかしい。八十神はどうやったって蝦夷ではないから。


これちゃんと論拠示そうと思ったら言語学と統計調査みたいになるのでしょうか。


結局のところ思うのは、何気なく疑問に感じるのはヨソモノだからなのかもしれない。でも、それに推察ながら答えを聞いたとき、ハハアなるほど、となるのは、実際にその土地で育ったものから、なのですねえ
いくら情熱的に調査研究をされとっても、実際に土地に生きるひとには勝てません


ただ、土地のひとの言葉がすべてかと言えばそれも違って、鵜呑みにするのは、ちょっと危ない。主観だから。

面の話

面のめも。

一番軽いのは、桐。
ただ目が荒いので、おもてに和紙をはり、胡粉を塗る。

能面は、小さいから檜を使う。檜は目がこまいので、おもてにそのまま胡粉を塗れる。

石見神楽面は重いのが多い?ので、桐ではなさそう?
当時の動きを考えると、集落とかの近くに何が生えていたのかによって材質が変わってるんじゃないかと推測。


張り子人形や和紙という文化は広くあるのに、面についてはそれ方式の面が他に見られないのも興味深いですね。
長浜面の脱かつ方式もだけど、市木面の型からはずす方式も聞かん。

木彫りは大型面には向かないけど、長期保存には適する。
その点、出雲の方の「三韓」とかはどうしたのかしらってかんじね。

和紙面、とくに長浜面は、神楽面の大型化や大蛇の蛇頭などの造形の発展に寄与したけど、水に弱いし朽ちるのが顕著。型がある限り量産もできる。


和紙とか張り子人形の、文化あるところの面を見たらまたなにか気付きみたいなのがあるかなあ

スッキリ頭モッサリ頭

ガッソについてメモほど。


禿に近い毛頭というか、連獅子?とか能だったら猩々?とか?モッサーとした頭のやつに使うのはヤク。ヤクは牛。チベット側のほうなのね。
あ、鵺も、ということになるのかなあ。

ヤクの毛は唐の時代に入ってきて、戦国武将の装飾品に使われたとのこと。
ほいで、なんでかわからんけど、新政府時代にはいって、黒いのを黒熊こぐま、白いのを白熊はぐま、赤いのを赤熊しゃぐまと呼ぶようになったと。牛だっちゅーねん。なんで熊にしたんじゃ。熊の毛皮使うとしてもそんな毛長くないでしょ!

それで、浜田界隈では、しゃぐま、と呼ぶのがベーシック?っぽい。
赤毛が安く手に入って使ってたからとか、なんか理由があるんでしょうか。わかりませんが。


塵輪」の鬼ちゃんは、平ガッソが伝統。
めっちゃ固そうというか、しっかりしてるなーと思ってはいましたが、シュロの皮を梳いたものとのことで、納得。
馬の尻尾や人毛とかが手に入りにくかった所以とのこと。
立ちガッソも張りがあるのでシュロがいいらしい?
あれは毛だと思ってたので、へー!ってかんじ。

鬢や髭は女性の人毛とか。
でも、女人を避ける思想あったろうし、呪いに使うこともあるようなモノなので、どうなんかなあって。
人毛のかつらとかはあるけどさ。
個人的にはオエエエって感じ。

シュロってあちこちにニョキニョキ生えてるんですかねえ

高千穂では、麻の栽培が盛んだったのことで、それもあっての麻なんだろうなあ。


ちなみに、岩手の鬼剣舞は、立ちガッソっぽい頭。あの筆の頭みたいな。
とにかくそれを、毛采けざい、というそう。
別名しゃぐまとも、という記述も見られたけど、使っているのがヤクの毛なのかシュロなのかよーわからん。もうちょっとリサーチの必要ありですね。

ガッソも語源が気になるところ。

はらうこと

普段、舞法について習うことはしないのだけれど、シコ踏みの足運びをちょっと聞いて。
「シコ」は、踏みかたは違っても相撲の四股でしょうね。

四股とは、本来大地を踏みしめて邪悪なものを鎮める、あるいは大地を揺り起こして豊作を約束させる、という呪的な意味合いをもつ。
だから、奉納相撲ってあるんですねえ。
塩まいたり、柏手打ったり。
相撲を奉納するとこって、神楽が盛んでないとことかなのかしら。そこまでは知らんけど。
また、そういう「踏みしめる」ことについての効果期待があるので、各地の神楽の足運びについてもその動作は入ることが多い。

どすーんってやると、足元でいろんな黒いものがうわああーっひええーってなるイメージ。
意味わからんね。
あ、仁王像と足元の悪鬼みたいな。


神楽の場合、左右に行きつ戻りつしながら円形を描くのかな?

あ、そう思うと、退けたい対象って、大地、下にいる感じなんでしょうか。
下から悪しきものがやってくる。
涌いてくるみたいな。

でも、石見神楽は、空から、上からやって来る悪いものもわりといますね。
八幡信仰八幡信仰言うてはおりますけど、不思議っちゃ不思議。弓矢も飛び道具だから、撃ち落とす感じ。

剣は、草薙の故事もそうだけど、上のものというより下のものね。
あ、上総介の口上にもそんなんありましたね。

上から来る系のほうが時代的には後なんかなあ。
でも武器としては縄文弥生からありますよね。剣の方が古墳とか後っぽそう。

でも、鳴弦って古かったような。

信仰?悪魔祓いと武器の関連性の時代考察みたいなのないかな。