舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

リフォームしました

500近くあった記事を、150ちょっとくらいまで削って再スタート。

理由は、私の環境が変わったから。
神楽が見にくくなったし、素直に書けなくなったから。

年度が開けてから、体調を崩していることもひとつ。薬を飲み始めてから心身が思うようになりません。


本当は、ここをやめて、新しく作ろうかとも思いましたが、師匠が名前をつけてくれた場所だから、捨てられませんでした。

これからは、今までより調べもののめもみたいなものを入れていくことになる予定。
今まで書いていた他愛ない独り言は、ほとんど書かないつもり。


ずうっと、徒然と気の向くまま素直に書き溜めてきたものを一つ一つ見ながら、記事ごと消すもの、記事は残すけど削るもの、とりあえずそのまま残すもの、に分けていきましたが。

見ていけば、そりゃあ様々、認識とか考え方とか変わったこともあります。調べたり、実際を見たりしているのだから、それは当然のこと。
でも、私自身の、神楽をただただ見たい、空間にいたい、神楽を知りたい、という願いにも似た思いは、今でもずうっと変わらないのに、周りのことや私自身の選択の結果として、それができなくなりました。

今が今までで一番楽しくない。
こんなことになるために、浜田に来たんじゃない。

でも、仕方ない。そういう選択をしてしまったので。せざるを得なかったので。

だから、けじめとして、かなり削りました。


でも見えなくしただけで、記事の削除はできなかったので、暇があったら、パーツパーツで取り出してまとめたいとは思っています。当たり障りのないものについては。


師匠に教えてもらったことは今後も書くつもり。

あと、来月は念願の早池峰さんに行く予定なので、下調べしたこととか。勉強しないと。


ただ、体調によるので更新頻度は上がりません。
すっかり家族になったにゃんこが、本当に健気でいい子なのが救い。にゃんこかわいい。


二年前の私には、こういう展開は予想できていませんでした。
でも、仕方ない。

神楽をきくみる

師匠とお話ししたことメモ。
神楽というのは、主に聴覚と視覚によって捉えるもの、という話。

言われてみればたしかに「楽」という主に耳から入るものと「舞」という主に目から入るものから成り立っていて、どちらかだけでは神楽は成立し得ない。

「神楽の声を聞くぞ嬉しき」の一節
「神楽の声」というのは奏楽や神楽歌だけじゃなくて、祭りの場に人が集まって、わいわいした声とか音とかも含めて、神さまが、ああ祭りだなあって気持ち、嬉しいなあ、ってなるのでは?と思ったのですけど。
師匠にそれをいって、言われて気がついたのは、
それに加えて、やっぱり「見る」でしょう、と。
集まってきた人たちの楽しそうな顔、舞、今年の新物、そういうのを見て、聞いて、嬉しいなあ、なのでは?と。

たしかに、音だけでは、なんぼ楽しそうでも、自分はちょっと疎外感あるというか、嬉しいなあ、とまではならんかも。逆しかり。
あと「玉の御簾巻き上げて」るってことは、視界をオープンにしてるのかな、と思ったり。

オチは別にないんですけど。

奏楽が聞こえてきて、舞を見に行く。なのよね。
神楽を見に行く、というのは、あんまり正確ではないのかな。


なーんて思ったりしたのでした。

空間とか

夜神楽でながはまさんを見に。
ながはまさんは、胴の椅子が木箱なのが味わい深くて好き。あと昨日は締め太鼓と手拍子は座布団なくて正座されてた。
そういえばお祭りのときも正座だった?
笛は今回も幕内。

重鎮の楽が昨日も聞けて良かった。
ながはまさんは、うまく説明できないんですが素で賑やかな感じが好き。マイクを越えた賑やかさ。

師匠たちがいっておられたのは、手拍子は鉦が大型らしいですね。なんかトンカチで叩いて調えたような跡があった。
音響効果とかないのに、横にいただけで耳がウワワーンとなる賑やかさ。だがそれがイイッ
音響効果のやかましさとは格段に空間の雰囲気が違う。細胞で聞く感じ。だから、ながはまさんとか、六調子の地域とか、練習のときが好き。
私個人としては、トランス状態に近づくのはこっちの「素」の音なんじゃないかな?と思います。

あの締め太鼓の軽やかに叩く感じもいいなあー

いまだあの素の賑やかさが、何から来るのかかわからないので要研究。

代表のお話は、なんかいつも、なんといいますか、押し出す感じでお話しされるのですけど、いい人だから好き。単純。


演目は「天神」「塵輪」この二つが多いですね。好きなのでよし。


ながはまさんの「天神」は、菅公は途中で下がって、随身が時平と立ち合いますが、肩切りの衣裳が、剥ぐ前は時平に梅がついてて、剥いだ後は随身に梅がつくのが面白いです。
あとなんか、反対色なことが多いっぽいのと、緑と青が好きと見た。海のいろ?

あと、菅公と随身が舞うとき、採り物をぴったり体に付けていて、そんなもんかな?と思って聞いたら、それがそこの「手」で、刃物を菅公に向けないようにしているのだそう。


あとよく見たらあの神楽幕ものっそい豪華。
師匠曰く、あの意匠、装飾、サイズは、当時のながはまの隆盛や力がうかがえるのだとのこと。

塵輪」は母ちゃんだいすき。あ、でも母ちゃんと父ちゃんで鬼着?が違うことにはじめて気がつきました。父ちゃんはチョッキみたいなの着てる。裃ふう?母ちゃんは打掛ふう?
しかしなんか、母ちゃんはサービス精神多めらしい。悪そうな顔してるのに。

手の所作がいいなあーと思っていたけど、先代の母ちゃんはさらに絶妙だったらしい。映像とかあったら是非に見てみたいな。



「天神」と「塵輪」の幕間で、前代表がお話しされて、はじめて聞くことができてムホホッだったのですが、昭和40年頃のお話、ということなので、およそ半世紀前のことでしょうか。
大体どこもお宮が小さかったから、天蓋のした、いまでいう4畳半くらいのスペースで舞っていて、すぐ近くにお客さんが座って、一体感あったのだと。
やっぱり大阪万博というのは、いろんな点において大きな変革だったのでしょう。

ほかにも、足さばきは摺り足でと教わったもので、とか、うちの社中はこういう所作とか伝統だが、よそはまた違う所作があるからそれを見るのも楽しみ方だろう、とか。
その言葉に嫌みったらしい含みは、私は感じなかった。


そのあとの「塵輪」の母ちゃんのサービス精神だったので、おおおお…ってなったけど、仲哀天皇が、背が高くて、欄間に頭つきそうになったりしていて、ふと、4畳半、という空間は、平均身長低めの昔だからこそ、合理的な距離感、空間だったんじゃないかな、と思ったのです。
ながはまさんの代表や、師匠は、160センチ無いくらいの私がぶつかると、顔面が肩にとど……かないな多分。

師匠の横歩いてても、コンパスのサイズの違いで、師匠の1歩が私は1.5歩くらいだったりするわけなので、おなじ「2歩下がる」でも自然とその幅は違ってくるのではないでしょうか。

ただそうはいっても、なんぼ小柄でも4畳半サイズは、決して広いわけではない。私が休日の7,8割の時間を過ごす寝室も4畳半ちょい小さめなのでよくよくわかりますが。

そのなかで剣、なおかつ昔は真剣や、鬼棒みたいな長い棒やら、幣みたいにふっさふっさしたものやら持って振り回して舞うのですから、しかも周りにはお客さんがいるのですから、安全で、かつ美しく、確かに扱える所作が、いまの「型」なんじゃないかなあと思ったのです。


でも、その4畳半サイズのところだけが、神楽の空間ではなくて、やっぱり宮全体というか、お客さんや楽人含めた全体の空間が、石見神楽なんですよねえ。うまくいえないけど。

このあたりのもの

子ども神楽の「恵比須」。
私は、あの恵比須が好き。

恵比須で教えてもらうことはあまりなかったので、色々教えてもらう機会になって良かったであります。


フツーの(たまに服装奇抜だけど)、その辺りにいる人たちが、慣れた手つきで着付けて別の某になっていくのを見るのが、私は好き。
神になったり鬼になったり、はたまた、白衣に袴姿になったり。
その個人と某への行き来を見るのがなんか好き。
って、結局凝視してる。

そういえば一度だけ、友達のお父さんが、能装束の着付けるところを見せてくれたけど、ずれないようにとぶっとい針でしつけ糸かけていたのです。
ブッツと音を立てながら縫い付けるのに衝撃を受けたけど、そういえば神楽衣装では無さそうですね。

それとも女の装束だったからかな?

でも、それによってあの独特な色っぽさというか、蕾のような?形になるんだなあ、と納得した覚えがある。


浜田に来て、8ヶ月くらいでしょうか。
松江にいたときから変わらず、土地のもの、土の人になりたくて、でも実際の立場での私や、求められるのは風の人としての私であったりして、そも私とはなんじゃいな、という気持ちは、常にあるわけです。

そのなかで、特にこの数ヶ月で小さい事柄ではあるけど、師匠の代弁をする機会があきらかに増えて。
うーんうーんと考えて、言葉を捻り出して、師匠にホイッと投げてみたら、そのとおりだ、と言ってもらえることも、かなり増えた。

それって、なんでかな?と考えてみたとき。
このあたりのもの、として長く生きてきた師匠と同じ土地に暮らし、多少なり同じものを見聞きし、同じことに問題意識を持ち立ち向かえるようになったからなのでしょう。物理的にも。
やっと、私も、このあたりのもの、になりつつあるのかな。

良いことばかりではなく、むしろ汚ねぇぇって思うことやクソがぁぁぁと思うことの方が多い。問題が多い。
なんとなく生きていれば、あるいは長いものに巻かれて生きていれば、もう少し生きやすいんだろうとも思いますけれども。

まあ師匠が長いものに巻かれないので、一緒に短いので一生懸命巻き巻き、時にビリビリ破きながらいくんでしょう。

私も、このあたりのもの、になりたいのです。

のう

ゆっパ定期公演で市職。
「八幡」「恵比須」「天神」「大蛇」で師匠が大体囃子におられたのでムッホムッホしてましたけど、「恵比須」がなんかとっても良くて、大満足だったのであります。
上品で、丁寧で、人柄(神だけど)の良さが感じられるというか。お子さまファーストだし
あと、日本記録の大鯛が出てきて大ウケ。面白かった。

あと個人的に「八幡」も好きかなー
鬼ちゃんが、ちょっとヒステリックさあるのが、般若面にしっくり来る。

ふと、「神能」って、もしかして、神楽能じゃあなくて、「神能(かみのう)」から来ているのかしら?と思ったのであります。

「神能(かみのう)」というのは、能の演目のうち、神がシテとして出てくる脇能?で、「翁」の次におかれるものとのこと。

高砂」や「老松」という、なんか縁起いい系が多いんですかね。まあ初めだし。

神楽の演目との共通項はないけど、里神楽といいますか、石見神楽や出雲神楽とかの能舞の演目は神がシテになるようなのだよなあーって。

あと「御神能(ごしんのう)」と呼ぶときは、神社の能舞台能楽を奉納するときみたい。
宇佐や厳島など。

うーーんそっち説も考えられる…

どっちにしたって、たまーに使われる気がする「神楽能」はちとおかしいわね。改めて思うと。
「神楽」と「能」と二つがくっついているわけですからね。あくまでも神楽は神楽だし能は能。
神楽歌舞伎とは言わんし。
神楽劇、はなんか言ってる人いたりしそうだけど、ありません。そんなん言いません。言わないでください。

となると、神能であったり、うーーーん個人的には好みではないけど神楽舞もありなのか?
でも祭りとしての「神楽」のなかの「舞」なんだろうけど、神楽そのものが舞を伴わないと成り立たないような気もするのでやっぱり変な気もする?

神楽歌に対応して神楽舞なのか?

じゃあ能舞という言い方はどうなのか?と考えたときに、「能」様(よう)の「舞」なのかなと思ったり。このときの「舞」というのは、所作もそうだけど演目の構成とか神楽の演目を指すイメージ。祭りとしての「神楽」というより、単体の神楽。

はあー難しい


実際どういう言い方が正解なのやら、よくわかりませんけども。

面とか点とか

そういえば、ゆくとしくるとしで虎舞出ましたな。
同じ町内の団体を芸能祭りで見ているので、同じ町内でも、生き残った虎、流されてしまった虎、地区によっては、虎は残っても支える人がいなくなってしまったところ、様々なのだろうと改めて思ったのです。
復活してくれてありがとう。ありがとう。

奉納舞でしたので、人ではなく神に向かって舞っていましたね。

あの、獅子舞の変化形でもなく、権現でもなく、善も悪もなくあくまでも虎であるところがいい。ただただ、虎。
なんか、お腹見せてゴロゴロしたり、小虎と戯れたりするのもあったと思うけどな。



今まで漠然と、ごく一部の地域が「石見神楽のルーツ」であるような認識がそこここにあるのが疑問であったわけです。

おおもとがルーツ、という論点に平行して、暗黙の了解的にその"一部地域の"おおもとがルーツ、みたいな空気感。

書籍とか資料を見とって、明らかにそこまで濃厚に漂わすのは、ごく一部地域関係以外では多くないし、そもそもその"一部地域のおおもと"がルーツであることの学術的根拠といいますか、そのきっかけとなるような資料が見当たらないのに、どうもその空気感があるのが不思議でしたのです。
とりあえず正統なものを見たくばあそこに行っておけ、的な?

しかも、ごく一部地域以外では、中央側からそういう空気が漂ってくる、気がする。


ほいで、マッピングをしていて気がついたのですよ。

なんかしらの指定を受けた文化財マッピングしていったときに、9割9分は単体の団体が、その舞や演目や面やら衣装やらやらの指定を受けた格好になるので、単体の団体の代表者やお宮が、地図上の「点」として表されるわけです。
それ以外の文化財も大体、所持者や所蔵地、所在地が「点」になる。

おおもとは、邑智郡のおおもとの保存会事務局所在地が「点」になるのです。

何が言いたいかといえば、保存会加入団体は邑智郡部と江津の一部地域にバラッとおられるので、文化財自体は、わりと広範囲に渡って展開される「面」なんですよね。
でもその「面」を、文化財指定名で「点」にして表すとき、それは、ある一点"だけ"を指すわけです。事務局がそこにあるから。

極端な言い方かもですが、例えていうなら、「石見神楽」という「面」を、地図上では、浜田の協議会会長の住所に「点」を打って表すようなものでしょう。


個々の加入団体を見渡したときに、あらっこんなにあちこちにあるのねえーとわかるけど、パッと地図を見たときに手に入る情報は、そこが、所在地であるということだけ。
つまり、メッカになるわけです。

しかも文化財のおおもと、としたときは、ほぼ邑智郡のそれを指しているし、地図上ではある一点しか表されない。
那賀郡のおおもとは、極端にいえば蚊帳の外。

ちなみに、師匠に教えてもらったけど、最後の神がかりは那賀郡だったようですね。


おおもとといえばその「点」が表されるから、おおもとがルーツです、という論とかぶさったとき、イコール、その一部地域のおおもとがルーツです、と。

偶然か故意か知らんけど、実は、資料的事実云々とかではなく。ご本人ら含め、みんなが勝手に誤解をする仕組みになっているんだなあーと、馬鹿正直に感想いえば、思ったのですよ。


その土地の実際を分かってる人からすれば、「面」なのに打つ場所おかしいで!って思うけど、知らん人にお知らせするための地図で、そこに「点」を打たれたら、知らん人は、ほーんそうなのねーここにあるのねー、って思うでしょう。だって、わかんないんだもん。知らんのんだもん。
得られる情報から推察するしかないんだもん。

だから、中央側は、資料研究がしやすい反面その仕掛けに引っ掛かりやすいと思うのです。
それは、私自身、卒論の時に感じたこと。
それでいて、中央の学者の方が、やっぱり発言力、影響力がある。
だからその空気感があっちから来てるだろうし、通説が根強い。


しかもね、文化財マッピングをしたときに「石見神楽」というのは、ひとっっっつも出てこない。だって、無いから。

ようするに、メッカの一人勝ちなのですよ。うまいね、こりゃ



マッピング自体は、大学の時も授業でやったし、松江の仕事でもたまにしていたし、わりと好きな作業の部類ではあるんですが。
地理院先生が優秀すぎてぶっとんだ。私的には、初心者でも扱える程度の応用機能が、ぐーぐる先生よりイケてると思う。これ前の仕事の時知りたかったな…
今度から地理院先生一択だな。


でも今までのマッピングも元々が「点」だったから気づかなかったことなのですけど。

全部を「点」として表すときりがない。
地図上が「点」だらけで、もうわやくちゃなるでしょう。
でも「面」を妥当なところで「点」に置き換えれば、スッキリまとまるけど、必ず、取りこぼしがあり、また誤解を生む可能性をはらんでいる。


だからこそ、今度は、「点」を打ったときに表される名前が重要になってくるのではないでしょうか。
慎重に考え、名付ける必要がある。

ちはやふる

納めの神事についてのめも
宮司さんの、いろいろみて勉強するのもいいが、もうある程度年数も重ねたのだから、自らの芸を研き精進するよう、というようなことおっしゃられたのが、またよかった。
ずうっと、見守っておられる宮司さんの言葉だからこそ、よりいっそう重みがある。


わからないながら祝詞を聞いていて、やっぱり神ごとだから、というのはあるけど、「ちはやふる」という言葉がめちゃめちゃ出る。

もちろん、「神楽」の歌にもある。


まだ調べ途中だけど
チ は荒々しい神であったり、自然界の生命力の強さを表す言葉。
ハヤ はタケハヤスサノオノミコトに象徴されるようにその勢いの激しさを表すみたいな。
ただ調べるなかでおもろいなと思ったのは、ハヤがつく神の中には祓えの象徴みたいな神もいるし、音を転換させてハエ、にしたとき、南風や岩礁、破壊を表す言葉にもなる。あと、関わり深げなサンスクリット語ではハヤは馬を表し、それも早・速を連想されるということ。
フル は、広範囲に及ぶこと、みたいな意味もあるそうですが、揺り動かす、神霊を移すというような意味を持つ。

神楽はタマフリの意味を持つ、というそれも、魂を奮い立たせる、揺り動かし力を沸き立たせる、みたいなニュアンス。

なんか自分でもよくわかんなくなってきたな

わかんないんですが。
ち・はや・ふる、という3つの単語で、
神々の荒々しい力が及ぶ
自然界の生命力は破壊的な強さでもって大地を揺り動かす
自然界の生命力の強さやそれに象徴される神々をここに移してきてその力で祓い清める
というような解釈ができるんじゃないでしょうか。

あと、動詞で、ちはやぶ・るというのがあるみたいですね。それが簡単に言うと荒々しく振る舞う猛々しく行う的な意味。

あとこれは、自分でも調べながらウーンこじつけ?とか思うけど、ちはや・ふるの2語もできなくはない。
巫女の装束の千早は、もともとは袖がなかったり襷的な用途のものだったりしますが、今は紙縒とかで袖を留めてあるようですね。
だから、巫女が千早の袖を振り、神楽を舞う、神を慰めるという情景も含んでるのかな、とか。あんまり石見では巫女舞は見ない気がするし、「神楽」は神職舞の流れから男が舞うけど。

また、巫女で言えば、神が依り移る、という役割もあるから、千早を着るものに神が依り移る、的な解釈もちと無理すれば通るかしら?

言葉の沼地にはまってきた


なによりも、夜のお宮って、周りよりぽっかりと暗くて、少し怖いような、さみしい気持ちになるけど、ぽうっと斎灯が灯ると、なんとなく優しいような、暖かいような、受け入れてもらえるような、そんな空気感に変わるのが不思議。
人の気配があるおうちに帰ってきたような、ほっとする明かり。
神楽のある夜は、だからいい。

あと、本殿のなかに式年の大元祭りに際して奉納された大提灯があった。