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舞ひあそぶ

神楽のこととか、日常のこととか。

ぐずぐず

うえー体調がわるいでーす
余計なことを言う元気がないので、本題。


ちょっと気になったのは…
講習で教わった神楽の分類が「巫女神楽」「伊勢流神楽」「獅子神楽」「出雲流神楽」だったことでした。
ま、分かるからいいんですが。

極端な話、「六調子神楽」「八調子神楽」「大元神楽」がならんで論じられているみたいな状態と言いましょうか…根本的に分ける基準が違うのです。

「巫女神楽」「獅子神楽」は主となる形態基準で、「伊勢流神楽」「出雲流神楽」はルーツと言われる場所基準。
でも、そもそも佐陀神能があの系統の神楽のルーツであるという論は現在もう破綻していますので「出雲流」は成り立ちませんのです。

「六調子神楽」「八調子神楽」も、テンポの違いという意味では成り立たないので、基本的には明治期に浜田沿岸部でおきた神楽改正を受けたか否からしい。
そして「大元神楽」は託宣神事を伴う神楽。


「伊勢流神楽」は湯立神事のある神楽なのですが、実は「伊勢流」と呼ぶことで厄介になるのは、赤い獅子頭の獅子舞のような神楽も伊勢神宮発なのです。
伊勢の大神楽ってやつ。
だから、赤い獅子頭のいるところは、つまり伊勢の御師がまわったところだということがわかるのです。

神楽を見れば祈りや信仰の足跡がうっすらと見えるのです。


そういえばあんまり島根では獅子舞を見らんですね。松江か出雲で一回だけまわり神楽を見た気はしますが…
気付かないだけかな?



とにかく、そういった理由により大学では「巫女神楽」「湯立神楽」「獅子神楽」「採物神楽」と教わったのでした。

ま、そもそも分類というのは学者が自分達のために便宜上つけたようなものですからね。
実際のところその境目というのは極めて曖昧。


なぜ神楽に違いが生じるかと言えば、その原型を伝えた宗教者がそれぞれ違うからなんですが、でもそれぞれの宗教者は案外違う時代に同じ場所にいってる。なので、湯立神楽でも獅子舞が出たり採物も持っていたりする。でも必要とされた祈りや芸態は地域によって違ったので、祭りの中のメインで根付いたものはそれぞれまたビミョーに違った。
むずかしーんです。


師匠が、前にぽろっと浜田の方にも湯立があったらしい、といっていました。たしか。
中世期、山伏修験がもともと中国山地でわあわあしていたはずで、彼らは湯立神楽をもっていましたから、湯立はあったと考えていいでしょう。
多分熊野系の宗教者だと思うんですよね~。
でも、根付かなかった。
というより無くしたのかもしれない。

多分、多分なのですけれど…一番近い役割をしてるのは「塩祓」かなあ。
ただ、湯立は祓い清めるより基本的に死と再生の意味合いの方が強いんじゃあなかったかしら。

もしかしたら、死と再生に重点をおいた祈りは、石見では切実ではなかったのかもしれない。
このあたりについて思考を巡らすためには、もうすこし山伏修験の価値観を調べる必要がありますね。

荒神信仰とかも調べんといけんわ。

あと、いまふと思ったのですが…採物神楽はベースは巫女神楽に近いんじゃあないでしょうか?
所作なんかは私にはわかりませんけれども。
それにプラスアルファで室町以降、能楽的要素が加えられていったような気がします。それが特に中国地方…島根では顕著だった。

そういえば、あの時代って「風流ふりゅう」といいまして、盛ってナンボみたいな時代だったのですよね。そういう時代背景や価値観も関係するかもしれない。
石見でお祭りのとき立てる花笠?なども風流に入るはず。
祇園祭の山鉾とかは典型的。


とりとめなく思い付いたことを書いていますが。


まだ宮崎は知りませんのでなんとも言えません。
一回行ってみたいけど……一人はやだ。

ただ、仮面劇というのは飛鳥くらいの時代の妓楽から始まって、プロパガンダとして用いられているような話を聞いたことがあります。
ということは、巫女神楽はひとまずおいておいて、どんな宗教者も使ったと思うのです。

そうすると面をかけてストーリーをなぞっていく舞は、神能より古い形だということですよね。
謡曲をベースにとってない演目って、そういうところから来てるんじゃあないかしら。


ふう。


何が言いたいのかわかんなくなっちゃったよ。
とりあえず、神楽すげえ。
ありがとうありがとう。神楽生きてくれててありがとう。




そうそう、神楽講習でおー!と思いましたのが、神楽改正に関わったお宮は、周布川沿いと教えていただいたことです。
まさかこんなところで川の話題が出るとは。
別に神職が船でどんぶらこっこ移動していたとはさすがに思いませんけど…今度から川は気を付けてみていかないとなりません。