舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

スッキリ頭モッサリ頭

ガッソについてメモほど。


禿に近い毛頭というか、連獅子?とか能だったら猩々?とか?モッサーとした頭のやつに使うのはヤク。ヤクは牛。チベット側のほうなのね。
あ、鵺も、ということになるのかなあ。

ヤクの毛は唐の時代に入ってきて、戦国武将の装飾品に使われたとのこと。
ほいで、なんでかわからんけど、新政府時代にはいって、黒いのを黒熊こぐま、白いのを白熊はぐま、赤いのを赤熊しゃぐまと呼ぶようになったと。牛だっちゅーねん。なんで熊にしたんじゃ。熊の毛皮使うとしてもそんな毛長くないでしょ!

それで、浜田界隈では、しゃぐま、と呼ぶのがベーシック?っぽい。
赤毛が安く手に入って使ってたからとか、なんか理由があるんでしょうか。わかりませんが。


塵輪」の鬼ちゃんは、平ガッソが伝統。
めっちゃ固そうというか、しっかりしてるなーと思ってはいましたが、シュロの皮を梳いたものとのことで、納得。
馬の尻尾や人毛とかが手に入りにくかった所以とのこと。
立ちガッソも張りがあるのでシュロがいいらしい?
あれは毛だと思ってたので、へー!ってかんじ。

鬢や髭は女性の人毛とか。
でも、女人を避ける思想あったろうし、呪いに使うこともあるようなモノなので、どうなんかなあって。
人毛のかつらとかはあるけどさ。
個人的にはオエエエって感じ。

シュロってあちこちにニョキニョキ生えてるんですかねえ

高千穂では、麻の栽培が盛んだったのことで、それもあっての麻なんだろうなあ。


ちなみに、岩手の鬼剣舞は、立ちガッソっぽい頭。あの筆の頭みたいな。
とにかくそれを、毛采けざい、というそう。
別名しゃぐまとも、という記述も見られたけど、使っているのがヤクの毛なのかシュロなのかよーわからん。もうちょっとリサーチの必要ありですね。

ガッソも語源が気になるところ。

はらうこと

普段、舞法について習うことはしないのだけれど、シコ踏みの足運びをちょっと聞いて。
「シコ」は、踏みかたは違っても相撲の四股でしょうね。

四股とは、本来大地を踏みしめて邪悪なものを鎮める、あるいは大地を揺り起こして豊作を約束させる、という呪的な意味合いをもつ。
だから、奉納相撲ってあるんですねえ。
塩まいたり、柏手打ったり。
相撲を奉納するとこって、神楽が盛んでないとことかなのかしら。そこまでは知らんけど。
また、そういう「踏みしめる」ことについての効果期待があるので、各地の神楽の足運びについてもその動作は入ることが多い。

どすーんってやると、足元でいろんな黒いものがうわああーっひええーってなるイメージ。
意味わからんね。
あ、仁王像と足元の悪鬼みたいな。


神楽の場合、左右に行きつ戻りつしながら円形を描くのかな?

あ、そう思うと、退けたい対象って、大地、下にいる感じなんでしょうか。
下から悪しきものがやってくる。
涌いてくるみたいな。

でも、石見神楽は、空から、上からやって来る悪いものもわりといますね。
八幡信仰八幡信仰言うてはおりますけど、不思議っちゃ不思議。弓矢も飛び道具だから、撃ち落とす感じ。

剣は、草薙の故事もそうだけど、上のものというより下のものね。
あ、上総介の口上にもそんなんありましたね。

上から来る系のほうが時代的には後なんかなあ。
でも武器としては縄文弥生からありますよね。剣の方が古墳とか後っぽそう。

でも、鳴弦って古かったような。

信仰?悪魔祓いと武器の関連性の時代考察みたいなのないかな。

月の明るい夜

今日は、しらじらと明るいですねえ。水平線も、山際も、宍道湖も。月の光の道が、海や宍道湖に出る夜が好きです。だから、水辺のある土地がいいかなって思う。
宍道湖が浜田にあればなあ~
欲張り。


休前日の夜に強行軍でながはまさん。

ちなみに金曜も土曜も日曜も日帰りでゴーゴーウェスト。さすがにアホなんかなって思うけどね、郷土芸能祭り的なので宿がないのですよ。
見た感じ食指の動くようなものは来ならんのでそっちは行きません。やたらめったら行くわけではない。


ながはまさんね、眠いからとりあえずメモほど。

「天神」の随身が口上言う辺りから「塵輪」「鍾馗」「黒塚」の上総介たちが出てきたよーのところまで。このあと多分「恵比須」「大蛇」かな、

大元のお宮だけど、いろいろ、難しいのかなあ。
なんたって子どもが多い。ながはまさんもビックリなくらい。

本当は、儀式舞を見たかったのですが、定時に飛び出して間に合わず。しかもおっそい車ばっかだし。

でも、「塵輪」と「鍾馗」見られたのでよかったです。「鍾馗」と「黒塚」は初めて。

塵輪かあちゃんほんと好きだなー。あの悪そうな顔。
一番好きかも。
今日は比較的近めで見られたので、二枚舌もよく見えまして。でもなんで二枚舌なんかな。
横から見ると、舌やけどしてアチッてなったときの角度に反り上がってる。

鍾馗」は、また師匠とお話してからにする。

「黒塚」はゆるーい。けど、ベタな感じかしら。嫌いではない。
悪狐ちゃん女バージョンは、やけに頭でっかちやのー思ったら、角隠しのなかは平ガッソでした。そりゃ膨れるわ。

眺めてたら、お外まで出てきて、気がついたら悪狐ちゃんが後ろにおられて、ザイをふりふりしてた。風圧!
近くで見られたのは嬉しい。

とりあえずいまは、そほど。

前情報と言うか、先入観あって、ながはまさんはずっとみたいと思うていたのですが、初めてまとまっていくつか見て、多分、先入観なしでも、私は好きなほうの神楽かな。
なんともいえない、空気感。
今となっては、昔なつかし、みたいな感じかもで、素朴、に入るのかもしれないけれど、あの舞、あの面、あの装束で初めて舞ったときの、衝撃はいかばかりかと思うのです。


でも、でも、私の本当の師にはならないかな。多分。憧れの師にはなるかもだけれど。

師匠と師弟論について議論したりして、それも改めて考えたりとかしたので、布石として。

とりあえず今日はもう寝る。

型カタ型カタ

ダブルお父さんのお話を聞いていて、舞は型から入ると下手なんよ、型だけじゃブサイクなんよ、というふうなことをしきりに言われておられて。
それでも型は大切だよなあと思う反面、自分もそれは感じるところでもあるし、神楽講習会の時かな?講師の方も、型のコピーは劣化するだけ、と言われていたなあと思い出してですね。

狂言の野村親子とか、「型」は大切というようなこと言っていたけど、どういう意味合いなんだろうかとちょっと調べてみた。

簡単にいえば、「型」を己の身体に重ねること。己の血肉としてしまうことなのかなって。
「型」と、本来は相反するような「個性」が絶妙にあわさって身体表現としてたち現れてくること。


野村父の狂言から溢れ出る凄みは、意図せずに「型」から個性がはみ出ていること、なのだそう。「型」でありながらそれを感じさせない自然さ。
自然さとかいうとなんかつまらんけどさ。
それほどその人自身と、「型」とが融け合ってる。


一度にあれもこれもやっていたら、うわべ撫でしかできない。なんでもできるけど、なんにも残らない。

ただ表面上のコピーじゃないんよね。やっぱり心を打つのは。血肉となったものを見るから、すごく衝撃を受ける。
「型」でありながら、その人そのものを見るから、生きているから、心が震える。

それは、役における感情表現とかではないのです。
感情とかない儀式舞で人の心を打つことはできる。
それは、所作をなぞるだけでは到底無理なのだけれど。うまく言えないなあ。

多分、巫女舞の類いがちょっと苦手なのは、どうみたって所作をただなぞってるだけのようにしか見えなくて。一生懸命練習しているのだろうし、奉じているのだろうし、小さい子達にそこまで求めるのは酷なのだけれど、逆になんでそういう子達にやらせるんだろうって。本人達は訳もわからずということもある。
まあ稚児とか、そっちの意味合いもあるかもだけど。

どれだけ所作を、言われた通り正確になぞれても、人の心は打ちません。個性がない。中身がない。その人自身の不在。

そこまでいくためには、磨くこと、何度も何度も繰り返して身に付けていくことがないと、いけない。
口でべらべら説明するとか所作や言葉で自己アピールするとか、そういう問題ではない。


スマホからだとうまく引用できないのですが
文化デジタルライブラリーの狂言の項に
「まず大切なのは、正しい姿勢と基本の型を身につける事です。一見簡単に見える動きも、日常的な動作とは全く異なる緊張感を体の内にはらんだ身体表現であり、一つ一つが身につくまで、練習を重ねます。」
とあって、はあこれだろうなと。

神楽でもいえるんじゃあないかしら。


基本を磨くこと。
でもこれだけじゃあ足りないとは、野村息子も言っておられることで。
正解がないから、「なんぞや?」を常に問い続ける。本質を逸脱しないよう、自らに問いかけ続けながら、時代に合わせた答えをさがしていく。迎合と見られるかもしれないけど。

それでもそれでも、結局のところ、自分の身の内にあるものからしか、生まれてこないのよ。
先天的なセンスもあるし、後天的な努力、蓄積がモノを言う。

それ以上のものは出てこないのよ。

これは、自分が仕事をしていても感じること。己の引き出しにあるものからしか出てこないし、ないものはどっかから取ってくるしかない。でもそれは模倣にすぎない。つまらん。

だから、自分の持ちうるものを磨くし、常に問うし、時にはよそを見るのかもしれない。でもよそを気にするより、やっぱり磨くこと、問い続けることなのかなって。

うーん…堂々巡りみたいな感じになってきた。



凄みとか、厚みとか、歳を経て経験を重ねていないと出ないものでもあるかもしれない。でもやっぱり一つ一つを丁寧に重ねていなければ、それすら出ないんじゃないかなあとも思ったりとか。
だから、ある程度、この歳の頃はこういう演目、こういう役、とかあるんじゃあないかなあ。
なんでも出来りゃあ良いってもんではない。


人を圧倒させるのにですね、一番簡単なのは、視覚・聴覚で訴えることだと思うですよ。
目に入りやすい、残りやすい仕掛け。
大きい音。勢いのある音。
そういう人達が徒党をなしてバルバル往来を行くこともありますけど。

でも、それで真に人が感動すると思うのは大きな勘違い。
いつかは飽きられる。
しかも、その圧倒させる技は道具や勢い任せで、自分はいないから、自分には何も残りません。年老いた時、戦える武器が何もありません。

それは、悲しいことです。
たとえ歴は長くなろうとも、その身はなんと薄っぺらいことか。

人はそういう者を、体よく使いはしても、師と慕うことはないのではないでしょうか。
見ていればわかるから。
陰で笑うてるかもしれない。


恐ろしい。恐ろしい。


師匠の言いたかったことは、そういうことではないかもしれないし、そうだったのかもしれない。聞いていないからわからない。
舞わないものに教えてくれるかもわからない。


そも、では私には何が残るのか
舞わない。身の内にない。頭でっかち。
わかりません。
でも、私は私なりに「神楽とはなんぞや?」を問い続けるほかないのです。
まとまりないけど眠くなったから寝る。

秋、むらまつりみたいな。そのに

楽しみにしすぎて4時前に目覚めてしまった。ここから頑張って二度寝したら寝過ぎるやつ。お子ちゃまか!
長い一日になります。

昨日会社で明日はどこ行くの?っていわれて、なんか可部のへん、だけど私が行くのは浜田。って答えたら、普通に54号線で行けよ!とかなんとか。だって場所わからないもん。楽しみー。


たくさん見ているわけではないので、たまたまかもしれないし、一概にはいえないのだけれど、邑南の神楽は「うちはうち」の気風があって好きです。良くも悪くもなんだろうけれど、嫌みがなくていい。
それは、県境だからかもしれないし、広島の方を見ているからかもしれない。うーん…自分を高めるため正統性を主張するために、他者を貶めるような物言いをしないというか。

まあ、いろいろ混じりすぎてどこをどうといえないのもあるのかしら。

師匠からの話は自分的にはすごくなるほど!ってなったけど、裏付けないからまだ秘めておく。


とりあえず、そほど。


ほいで26日は東の亀さん。日にち縛りだから。
かさなしじんじゃ。持田の学校の裏のへん。いつも暗いから迷子になる。

打ち合わせがあったので「三奸」の途中から。
本当は19:30スタートらしいのでめもめも。あたまにもう一演目あるんでしょうね。清めの舞みたいなのかなあ。

今回は子どもが多かったので、張り切っている感じでしたね。あと、だいぶんハキハキというか、口上を分かりやすくされてる感じがしました。アドリブめっちゃ、めっちゃ。

これもまた、村祭り。
東の亀さんは、そのつもりでいつも行く。

新羅の王かなあ。一番でかくて迫力しかないお顔の王が、宿禰のまだまだ立ち合うか?の問いに対して答えるのですが、準備体操で身体が温まったのでもう一戦!とか、今日は声援が少ないからもうやめる!とかいわれるので毎回楽しいです。
今回は身体が温まったので!と味方の子どもさんがたくさんいるので!で3,4戦ほど。
場外乱闘も定番になりつつあるような。

蕎麦屋の父ちゃんは、子ども達が舞殿上がって、王達にビビってるからか?隣に座って笛吹いてた。あの父ちゃんは一体何者なのかしら…ただの元蕎麦屋の店主って感じじゃない気が…

で、飴バラバラして、おしまい。

「悪切」ここで帰るのも多いけど意外に人が残る。

何かを唱えながら鈴を鳴らしてから切り始め。
唱えているのははじめて気がつきました。呪みたいな感じで、小さくて、到底聞こえない。
あと、五方に何かを撒くのですが、サイズ的に米かな。

あれは、能舞の立ち合いとは全然違う太刀さばきなので、うまい人がやられるのでしょうか。でもその太刀のふり方を立ち合いには組み込まれなかったのも何か理由というか、あるのかなーとか。

そういえば、立ち合いは神の最後のトドメまで刀系は出してこないかも。

ふーむ。また娘さんに聞いてみようかな。

あ!あとまをうすっていってた!

話は戻って。
神側を向いて、
これ○○にこれこの地に向かって悪あり 胴取りが反復、~~に向かって悪なし
ナントカカントカ水難病災 諸々の災いあり 胴取り、さような諸々の災いはさりとなし
かな?という問答というより言の葉による邪気払いみたいなことを太刀舞とあわせてしますが。
○○は
・東西南北中央
・氏子、崇敬者、家族
・願主、家族従業員
が入るので、三回同じやりとりをしているよう。
うまくまだ聞き取れません。

だから、これが願主が多いとこの部分が太くなるのでしょう。

そういえば、花祭も一晩舞い狂ったあとの日中は願主の舞を願主がいるだけ舞います。それで納めた天蓋をひとつ持って帰るだったかな。前の晩に神がくだられたやつね。
願主が多いと昼過ぎかな?までずーっと舞うから結構眠いやつ。

昔は、願主が多かったりしたのでしょうか。わかりません。


ほいで、「八重垣」
何回目かにしてはじめて気がつきましたが、スサノオは一言もしゃべらんや。
最初はスサノオに仕え奉る末社の神がカタリだし。大蛇さんがしゃべるし。

出掛けの歌は、国常立命がどうたらから、天地開闢・国生みからとんでスサノオの大蛇退治・八雲立つ~三十一文字定めたまいし和歌の ありがたき教えかな(?)って、ようは神話前半を語っているっぽい。

ただ一個気になったのが、国生みのところで「もういち人 蛭子スサノオとまうすなり」っていってた気がするんですよね…
なぜヒルコ=スサノオなのか…全然わからん。どっちも外れもんちゃ外れもんだけど…
本当にそういってるかもわからないので、要確認。

あと安定の酔っぱらいおじさんな大蛇さん。

スサノオが酔っ払ってうつ伏せ大の字な大蛇さんの背中をワシャワシャ榊でちょっかいだすとこがチャーミング。

あ、スサノオしゃべったわ。
大蛇にてはなきや、とかひとことふたこと。
大蛇さん酔っ払ってるわりに饒舌、というか泣き言というか恨み言。
無念のほど 一太刀 恨みばやと思うなり、って。
悪狐ちゃん系。いや、ナガスネヒコかな。

でも最初は末社の神が立ち合って、最後のトドメ一発をスサノオがやるので、末社の神は随身(神?)ってことでしょうか。


演目がいつも同じなのでちょっとずつ聞き取れるようになったりとか、あるんですが、同じだけど同じじゃないんだなあっていうこともつと感じます。

村祭りの良さはもちろんあるけど、先行きの不安もあったりとか。楽しいだけじゃ、守れない。
正統とか正解とかないからこそ、悩ましい。いとしい。でもいとしいからこそ、ちょっと切ない。


寄るとこあるしそろそろ出立の準備しましょうかね。
今さらちょっと眠い。

秋、村まつりみたいな。そのいち

あの名前忘れたけど細胞分裂中みたいな形の柿がふっくらおいしそうにぶら下がっていたり、まちのバイク屋さんから出てきた若者がヨタヨタ走っていくのを見えなくなるまで店主っぽいおじさんが見守っていたり、毎週納品に行くとこの守衛さんがはじめて話しかけてきて大山がきれいな時期だねってお話ししたり、なんか、ああ秋だなーって感じ。でも大山行ったことないよ。
よくわからないけど、ああ秋だなあ。
ちょっとしたことがほんわかするような。寂しいような。


今週ははからずも一日おきに神楽を見ていまして。本当に秋。

まずは、火曜のぶんから書いていきましょうね。


火曜は、矢上の式年祭へ。諏訪神社
どうしてこれにしぼったかといえば、社格を考慮すると、ここの式年祭は「邑智郡の大元神楽」として見る価値があるのでは、学びがあるのでは、と思ったから。

結論から申せば、仕事さえなければ日貫の大原へ行くべきだったかな。アタリは多分そっち。

でも、よい学びではありました。

そもそもビックリぽんだったのが、またもやネット情報でハズレを引きましてね、21時からだとのことで、いわみ温泉とかで一生懸命時間を潰して、20時過ぎに満を持していったらなんと17時スタートだったという。
おいいいいいい聞こえてた囃子は練習じゃなくて本番だったんかい!!
この前の中野はそもそも前の日だったからそれよりはいいんですけどね。見られるだけね。
でもやっぱりお宮は相当でしたね。
でかすぎて夜は全容が知れん。
暗いけど、祭りだからなんとなく優しい空気。鳥居の辺が一番暗くて空気も怖かった。

結局17:00-3:00くらいだったのかな?

潜り込んだときには数演目舞ったあとで、儀式の最中でした。
祝詞かなにかを上げられて、一番偉そうな宮司さん?が、孫悟空タイプの日輪がついた冠?環?をつけておられて、神職さんが7人藁蛇のある祭壇から順番に降りてくるところ。

「献饌」は、ちょっとトラブルもありましたが、柿とか地のものは大きくて立派なものを調えられてる印象。キビとか粟っぽいなにかもありましたので五穀はきちんとあるんでしょう。枝豆もあった。
あと反物とか和紙とか炭?みたいなのとか。
イマドキなお菓子もあって、神様もお菓子好きなのねみたいな。
桜江でみたときよりめっちゃ速やかなバケツリレー。
それで「撤饌」になりますけど、前も思ったけど、あれ神様ってめっちゃ早食いなんかなあ。
それか口がめっちゃでかい。
神様も忙しないなあ。

で、巫女舞。「浦安の舞」だかなんだかでしょうか。録音の音源だったので、なんやようわからん。
使ってるものが違いますからね。

そのあとは神楽団による舞。
子どもの「神武」大人の「大江山」「天蓋」「塵輪」「鍾馗」。自分はここでさようならでしたが「大蛇」「御綱祭」。

なんというか…ちょいちょいあなたはもしかしてC-3POかな?みたいな方がおられたり、素朴。舞を楽しむなら私は日貫の方が好みかしら。

例祭では舞う演目数が少ないらしい?くて、4年に1回しか舞わない演目も多いよう。かつ、古老がなくなられてうまく継承できなくて、いろいろ思い出しながらされたとのことで、ちょっと練習しきれなかったところもあるようです。


気のついたことの一部をメモ程度に。

「神武」は、兄神の仇をどーたらって聞こえたのですが、ようわからん。小さい子達が頑張っていました。

大江山」は童子さまの腰かけなさってる台の敷物が、ハートのフェルト地ブランケットだったのが大変チャーミング。
2対2だったのですがそれぞれツレが誰なのかいまいちわからず。問答がわりかしあっさりだったかな。

塵輪」は、神がうっかり二人とも青い方着けて出てきちゃったのでやり直し。幕の中も外も慌てる。正しくは青と赤です。あの帯みたいなのはその都度巻いてるわけではないのね。
師匠曰く、その土地の文化なのでは?とのことでしたが、地元の人参加型でなんかわちゃわちゃ。
鍾馗の採り物もったり酒瓶持ったりズボン脱げたりした人達が鬼やら神やらに絡む感じ。
邑智郡は塵輪のバリエーションが豊かで興味深いですね。大量発生したりしつこかったり観客席側から出てきたり、テンションがよくわからないカオス空間だったり。

鍾馗」は、ナスビちゃんでしたが、ちとゾンビみたいでこわげでした。
ぺちゃんって座り込んでじーっと固まっているときに、まだまだ!という。そういわれるとちょっとだけ首を振る感じ。あのザイでなにかを探る感じがちょっと不気味さをあおります。
面が途中から外れかけて気もそぞろになってしまったご様子。

そういえば、口上で「首を切って城郭にかける」って聞こえたのが印象的。

ここで、何時だったかいな。1時くらいだったかいな。
次の日が朝イチで打ち合わせが入っていたのと、ちょっとしょんぼりから立ち直れず撤退。


完全にそれはこっちの独りよがりな期待なので、誰が悪いかといえば自分が悪いのですが。

ちょっと残念だったのは、継承の問題などから「大元信仰」として大切な舞があまり見られなかったこと。それを楽しみにしていたので。だから、大原の方がアタリ。むむう…

最初から村祭りにお邪魔しましょう、という気持ちで行ってきたら、もっと素直に楽しめたかもですね。団長さんもなんだか茶目っ気があるというか、かわいげのある方でしたし。4年に一度の祭りを一生懸命務めておられるのは伝わる。
古老が伝える前になくなられたのは、本当に残念です。
次の式年はどうなっているんだろう。

だから、舞う機会や回数は重要なんだなあ。

その点においても、日貫の合同式年祭は、私は、合理的というか、持続力が高いと思うのです。ひとつの地域に5つでしたっけ?の団体がひしめき合ってる強みというか。
というのも、これから先どう考えたって人は少なくなる。祭りを執り行うのがどんどんいたしくなるでしょう。
合同で、それぞれ役割分担して舞っていれば、古老がなくなられたときの演目存続危機が分散される。それに、将来的に個々の団体が立ち行かなくなったときも、合併すれば一応なんとか持ちこたえられる可能性も高くなりますよね。多分。考えていることを正確に言い表せなくてもどかしいのですが。



あと師匠から、あくまでも仮説としての話だけど、自分のなかでいわれて腑に落ちた感じがしたのは、あの姿が、神職の手を離れた神楽の姿なんじゃないかなあ、ということ。
氏子が楽しむ姿を見て神は喜ぶだろう、神賑わいになるだろう、といった神楽観の最たる。
だから「校訂 石見神楽台本」が生まれたんじゃないかなあって。
素朴で、ちょっと雑で、でもみんなが笑顔。だけど、あくまでも神楽は神楽。神楽を後世に残すために、あえて、もう一度神楽歌や口上を整理することが必要だと思ったのではないのでしょうか。
口伝の限界も感じていたのかもしれない。

あと幕間の話を聞いていると、担い手の本人達がこの演目がなんたるやをよくわかっていないという、ちょっと危うさがあって。整理して、道理というか、演目を構成している大切なキーワードを記録する必要性というか、伝え残しておきたい、忘れられたくない、って気持ちもあったのかなとか。

いとおしくも、ちょっと切ない。
うまく言えないけどいろんな気持ちがない交ぜになってしまうよ。
整理するなかで消えていったものもあるだろうし、整理しなかったがゆえに残らなかったものもあるだろうし、どうあがいたって昔と今、これからの神楽は同じではないし。


記録だけではダメだし、口伝だけもダメだし。
どっちも大事。
古老や師の言葉も大事。魂を継ぐ。


やっぱり、舞わなきゃ残せないしねえ。

きゅっきゅって磨く話

最近、ことに、師匠が、やっぱり基本が大事よ、基本の舞を磨かないといけないよ、って話されるなあと思うて、メモがてら。

職人みたいだなあとも思う。

わたしは、元々壊滅的にセンスを持ち合わせないのもあって、ひとつのことに対し、誰かから習って愚直にこんこんと打ち込んだことってないのだけれども。
人から人へ伝わっていく特性から「基本」とは、一番シンプルなはずなのよね。無駄なもの、飾りはすべて削ぎ落とした芯の部分。

なぞることは、能力やセンスなど個人差はあっても、短期間で習得できると思う。あ、私はできませんよ。

でも、磨くっていうのは、難しげですね。
時間かかるでしょうね。
手打鉦とかも、入門編でありながら極めるのには十年選手とも聞きます。


多分、その場かぎりのもの、飾り物をつけるほうが、容易い。そして、人の目を引きやすい。

でも、不思議なんですよね。

基本が疎かになったまま、その場かぎりのものや飾り物がくっつくと、小技ばかりなのが目につく。基本のところがうやむやになっていたり、落ちてたり、なんというかなあ、トレースしきれてない感。
輪郭ボヤボヤというのかなあ。

その場かぎりのものというのも、本人的にはあえてのつもりなのかもしれないけど、結局は単なる思い付きなので、正確な2回目はない。
劣化したコピーで精一杯。


基本のある人は、その動きに基本を見てとれます。

あ、簡単な話、そういうことか。
それいうのに遠回りしちゃったよ。

基本が見てとれるからこそ、美しい。
だって、削ぎ落とされた美なんだもん。本質が美しい。


磨くって、そういうこと。


でも、能の美しさとか、これに限ると思う。
限界まで具象を削ぎ落とし抽象化したからこそたち現れる具象。


磨きかたは、わかんない。
わたしは師匠に身体技能としての神楽を習うたことはないので。身の内にもないし。

でも、真摯に、師や古老の教えをなぞることは、ひとつあるんじゃないかなあと、思ったりはするのです。
コンテンポラリーダンスじゃあないんだから。
伝統芸能なんだから。

※でもコンテンポラリーダンスも適当にふにゃふにゃしてるわけではなく、基礎となるものはあるよう。

どれだけ変えたくなくても、人が変われば舞は変わっちゃう。だけど、なるべくなるべく近い縁をなぞっていく。繰り返し繰り返し。繰り返して、骨の髄、あるいは血肉となるまで。


教えは、反発するものじゃあなくて、寄り添うものだと思うんだけどなあ。反抗期かな?それとも思春期?
聞けるうちに聞いとかんで、聞きたくなったときには、もう先人は去ったあと。

往々にしてそうでしょう。



親離れはとっくにしてるけど、師匠離れはできません。
いろいろ言いたいけど眠いから寝る。