舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

やまのかみ

ちょっとだけ、きになったこと

天の香具山に住まいする山神さん。
出雲の「山神祭」の神様
イナタヒメのおとーちゃんたちのおとーちゃん
オオヤマツミ

私の本当の故郷には、だいせんと書いておおやまと読む雨降山がありまして、江の島詣でとセットで栄えた山があるんですけれども、そこの神様でもあります。
だから、なんか親近感。
ずうっと、常に、彼を視界の隅にいれながら育ったのです。


一説によると、たたらの神でもあるらしい。

これはもっときちんと調べないとだけれど。


で、ふと思い立って師匠に聞いてみたんですけれど、石見ではオオヤマツミって聞きませんね。神楽歌にも出てこないんじゃないの、って言われた。たぶんあの感じだと宮司さんの祭祀でもあんま聞かないんだろうなあ。


私の感覚でしかないんですが…出雲の「山神祭」は、佐陀系統ではあんま見た記憶ないんですよねえ。たぶん。この前のやつ調べにゃ。
三韓」「八重垣」が鉄板。
三韓」は、戦時中までは戦勝祈願で盛んに舞われたけど戦後の国際化!みたいな流れの中で内容的に舞われなくなって、ほとんど廃れたらしい。
石見の「皇后」も中身はほぼ同じだろうから、辿った道も同じでしょうね。

それにたいし雲南辺りでの鉄板は、「山神祭」「八重垣」な気がするんですよねー。
かなり、見る率高い。
そして人気も高い。私もすきー。

それって、岩戸信仰みたいなのもあるだろうけれど、たたらが関係しているんじゃあるまいかと、妄想しているのです。
というのもあの演目では、あえて、オオヤマツミによる悪切りが行われるから。
コヤネさんよりもオオヤマツミのほうが全体として存在の重要度が高い。

てことは、オオヤマツミの威徳を借りたかった。

その、威徳を借りたい人たちは、山に生きる人。
本当に関連があるなら、たたらを生業にする人。


佐陀系統は、もっと街のほう。

越えてましませ

今朝も自分とご近所さんの車の掘り出し掘り出されから始まりまして、結局雪にはまりまくってお客さんとこにはたどり着けませんでした。あーあ。

なんとかお昼休憩中に帰社して、開口一番にチビるかと思った、といったことは反省をしています。皆さまお食事中だったわ。
また上司にコイツバカだって思われただろうなー。

そんなわたし、定期的に会社から事故ってないか生存確認が入る、島根2年生。でもその電話で事故りそうです。

明日リベンジだけどそもそも家から車を出せる自信がありません。雪と凍結ヤバイ。からだバキバキじゃ。
まあ、去年じゃなくてよかった。
そして、客人が帰られてからでよかった。



すっかり忘れてたけど、今年初神楽は、松江での新春神楽で、「島根の神楽 新春に集ひしなんたらかんたら」でした。
出雲神楽と石見神楽と隠岐神楽。
この度の本命は出雲石見ではなく隠岐でした。むふふ

西日登さんもはじめましてかしらね。

順番はもううろ覚えですが
隠岐「巫女舞」「八神」出雲「香具山」石見「恵比須」隠岐「湯立」出雲「国造」石見「岩戸」だったかなあ。

「お祝い」がテーマらしいけど……お祝い、ねえ。
どっちかというと全体的に「祈り」とか「はじまり」だよなあと思いつつ、まあいいか。

三番叟的なのは出雲も隠岐もないんだっけ?
七座に含まれるんだと思ったけど…そもそも雲南でも七座はあるのか?
大原神職にはあった気がするけど、ほかは能舞だけなのかなあ。
なーんかいまいち出雲神楽も不勉強でいけません。


ああやって、三国の神楽を一気に見られるのはいいですねえ。
優劣とかではないのです。
神楽らしさとか、勇壮さとか、素朴さとか、そんなもので優劣をつけてはいけません。
共に生きてきた人が、土地が、歴史が、風土が違うんだから。

どれも美しい。
どれもいとおしい。

ただ強いて言うならば、いちばん「能」舞なのは出雲なんだろうなあって。演劇性で石見がフォーカス当てられがちだけど、出雲なんじゃないかなあ。
道行きとかの法則性みたいな、神楽全体のセオリーからみるとね。

もう少しでなにか思考の端緒を掴めそうなんだけど…ううむ。

箱庭のような、出雲。



隠岐神楽は、祈祷の神楽と、「祈り」にフォーカス当てられて紹介されることが多いけど、ぶっちゃけ「祈り」が主題なのは普通、神楽として当然のこと。
じゃあ、石見に祈りが介在しないかといえばそれは違う。
自分達はすでに意識の外においていたとしても、「石見神楽」そのものにはきちんと祈りが糸に織り込まれている。
神楽歌とか、採りもの、所作ひとつひとつ。

そういう点においては、出雲は所作で祈りの面影を探すのが少し難しいかも。だから、「能」舞だなって。能にも祈りはあるけどね。



隠岐はかつての神楽の担い手や、女性が重要なところにあるのが興味深いですね。
琉球では女性が祭祀を司りますが、隠岐もつきつめれば、ヤマト文化以前の原始的な信仰、女性による祭祀にも繋がるのかもしれない。
と、同時にヤマト文化における巫女神楽であるともいえるかもしれない。

隠岐は誰か調べてる人いそうですよねー。



ずいぶんと前に、師匠が、隠岐と石見は似てる気がするんよね、とおっしゃっていて、今以上にわからんちんだったので海の人たちの文化だから?とかテキトーなことを答えていましたが、はじめて自分の眼で見て耳で聞いて肌で感じてみたら、たしかに、かなり近いといえる気がするのです。

私は、身の内に石見神楽が染み付いてはいないので、そこらへんは師匠のほうが感度高いと思うですけど…
共通項を見つけるのはすごく簡単だし、延長線上に、花祭との関連も透けて見えます。


これで研究したら面白いだろうなー。ヨダレずるずるー。


あ、あと師匠からの問いかけで、「香具山」の出典も探さないとだ。

ねむい

アクティブな引きこもりとホーネンさん


アクティブな引きこもりといたしましては、布団から出てお外に出ることが、そもそもハードル高いので、車を出したらもう市内走ろうが出雲走ろうが、浜田や益田へ行こうが大差ないし、片道3,4時間のドライブも特に苦ではありません。
きっと唯一持ち合わせる営業向きの素質だわ…

でも、東は、私からしたらなんもないので、やすぎから先はよー行かれません。くらよしとか砂丘とか見てみたいけど、いまだによなごが走破の最東端。


と、いうことで、めでたく開通した三隅を通ってみたかったし、ゴーゴーますだ。

いやーもう少し先まで乗せてくれると山登りが減って楽なのですが、まあそうはいっても、気持ち的にだいぶん楽になりましたねえ。

そいで、石見美術館へ。
ヨシトシなの?ホーネンじゃないの?あれ?とか思いつつ。読み方間違えて覚えていたのかな。


多分、近年の第一次クニヨシブームの頃だと思われるんですが、クニヨシさんの知名度が今ほどに高くなかった頃に好きになりまして、以来浮世絵師はクニヨシ、キョウサイが好き、みたいな具合でしたけれども。

森美の大展覧会の前くらいかなあ。忘れた。
あれは森美の中でも最高な展覧会でありました。

ホーネンさんはクニヨシさんのお弟子ですね。
江戸末期から、幕末の維新、明治の文明開化を、体感したひと。


浮世絵は、題材含めた絵そのものも楽しめるけど、色の組み合わせとか、刷り色の発色の美しさとか見るのが好き。

江戸っ子の「粋」ってやつですな。



クニヨシさんに弟子入りして、ホーネンで名乗ってる時のでしょうか、絵はクニヨシさんのものを真似たやつが多かったりするんですけれども、やっぱり師のクニヨシさんのほうが、人の造形やバランスなど含めてなんとなくだけどバツグンに心惹くものがあります。


あるときに師匠がポツリとこぼした、師を越えることはできない、という言葉が思い出されたのでした。
師匠は、師匠の師匠の(師匠が多い)背中を今でも追いかけておられるのかなあ、と思ったりして。ホーネンさんも師匠の背中を一生懸命追いかけている。


とか思いながら、くるくる見て回って楽しかったのですけれども、「大蘇」の号に変わってからは、雰囲気もかなり変わって、私はホーネンさんならこの時代の絵が好きかな、と思ったのでした。
基本的に感覚でしかないのでうまく説明できませんが。

あと何点か画稿も出ていたのですが、どんな浮世絵よりもあの画稿たちが素晴らしかった。
あれを見るためだけでも出かける価値はある。

ていうか東京で同じボリュームでやっても1800円くらいとられますからね。いやはや安価にホンモノを見る機会があるならやっぱり行くしかない。


画稿というのは、まあデッサンみたいなものでしょうか。
本チャン書く前に、人の表情や構図などを考えているところ。と、生き物のスケッチ。

美術で習うような、グレースケールで陰影も書き込むデッサンとはまた違って、ほぼ輪郭線と一番濃ゆいベタ塗り部分の指定?くらいなのですが、すごく、生々しいのです。
西洋画の写実性とはまた違う、抽象化されたリアリティ。

能でいうところの、型で人の喜怒哀楽、生きざまを表現しているような。

特にホーネンさんは、幕末辺りかな?記録係として戦争に派遣され写生していますから、より抽象的に、かつ的確に生き物の生をかかれるのかもしれません。

すごかった。


で、大蘇時代は、もう明治期に入り、浮世絵に西欧画の図法とかアングル?もふんだんに取り入れているのですが、それがまたよい。


クニヨシさんのお弟子時代からの土台や、画稿という基礎があるからこそ、西欧画の図法が入ってもブレないんだろうなあ。

土台や基礎がしっかりしていなければ、どんなに新しいものを取り入れてもつまらぬミーハーになるだけだけど、しっかりしている人ならば、その新しいものもガツガツと咀嚼して自分の肉としてしまう。自分のものとしてしまうから、上っ面ではなく、人の心を惹き付け唸らせるんだなあ、ということを改めて考えさせられたのであります。


私は、芸事だ絵だなんだと、うまくアウトプットする技術や才能は持ち合わせないけれど、いろんな良いものとの出逢いや師匠の言葉を土台にトンテンカン、何が出来上がってくるのでありましょうか。


たっぷり一時間以上堪能いたしまして、満足満足。行ってよかったー。

祭りのことすこし

なかなか神楽について思考を巡らす余裕がないのですけれども、テレビでお祭りの番組見ていて、やっぱり石見神楽は特異性があると思ったのです。
ショー化、エンターテイメントによりすぎ、って断罪してしまうのは簡単なんだけれども、それだってそれをプロデュースするというか…確立させるためにはセンスとか、美意識?セオリー?が不可欠なわけで…

太鼓とか芝居とかと比べれば、やっぱり神楽なんだよなあ。人にはよるんですけど、その音、所作ひとつひとつ。
流れているのは、たしかに、紛れもない神楽の血。

でも、面への信仰は、あんま見られない気がする。
あと、稚児も見ない気がする。

だからといって、面をつけることの意味については、体感で理解しておられる人が多いので、面の意義がこの土地では違うとか、そういうわけではない。

稚児なあ…子ども神楽は全く違うものだしなあ。

うーんまとまらん。ねむい。わからないことが多すぎるのです。

五穀


八調子地域における大元のお祭りで「五穀種元」は、「天蓋」「五神」などに並んで重要な舞のひとつなのですが、緩やか~に進んで、かつ内容的に素人ウケするものではないからか、なかなか夜明かし舞以外ではやりにくいのでしょうか。でも、大切な舞。
なかなか機会がなくて、無くなってしまったら嫌だなあと思うのです。
むー…見たいなあ。


神楽において五穀豊穣は、非常に大切なことがらであるわけで、その「理」をユーモアに富んだ表現で伝えていて、先人達のその表現力に感嘆せざるを得ないのです。
花祭とかでの類似の舞に比べると、整然としている気がします。

うーんと、あのちょっとおゲヒンなやりとりとかも、むしろあれが、五穀豊穣において大事なもので…母体信仰といえばいいのかなあ。男女和合そのものが、五穀豊穣の祈祷と直結しているというか…なんていえばいいんだろ。
土偶の時代から続く大事な信仰というか、儀式というか…

あれを、教育上悪影響だとか、ゲヒンだとか、神経質になる人がおられるのもまた時代なので仕方ないのですが、それを「なかったこと」にする、黒歴史的な扱いにするのは、日本人の感性や信仰の根底を切り捨ててしまうことにもなるわけです。
祈りや信仰って、人間って、そんな潔癖じゃあなくて、泥臭いものなのにね。

類似する舞を舞うところは、だいたいどこでも、翁と嫗とか、ひょっとことおかめ…な気がします。
そこである種、非現実性をかもしているのかも。


花祭では大根とすりこぎで味噌塗ったくられます。
塗ったくる系、あるよね!あ、あんまりこっちでは聞かないかもなあ。どうなんでしょう。
美保関で墨塗ったくるのは、無病息災だったかな?ちょっと意味合いが違うのかも?
いや、塗ったくると無病息災に変わるのか?
わからぬ……


ますだの「田植え舞」だったかしら。復活させたやつ。
あれは、田楽というより「五穀種元」のますだバージョンだと勝手に解釈しとりますが。
ちょっと長くて、眠くなっちゃったりもするのですが…あの牛さんが結構いいキャラしていますね。

そういえば、ますだでも夜明かし舞で「五穀種元」って舞われるのでしょうか。というか、全体的に舞う機会が減っているような印象。

なんか、生きにくい世の中だなあ。

芸事につき

そうそう、年末に白州正子さんの『両性具有の美』という本を読んだのであります。
なんで数ある著書であえてそれなのか!って感じではありますが。超、端的にいえば師弟の話とか、あったので。


世阿弥がまだ藤若と名乗っていたときに、父の観阿弥と諸国をまわって猿楽の興行をしたり、ほかの芸事の人たちと関わったりしながら様々な芸や人の立ち居振舞いを盗み、自分のものとしていたのだそう。

もともと、猿楽は「もどき」物真似の芸。

血筋や環境含め、やっぱりそのセンスをもっている、ホンモノだったから、観阿弥世阿弥が能を大成せしめたのかも。


また読んでいると「芸道においては教えられることはわずかな技術だけで、盗む以外に身に付ける方法はない」から、盗むほかない、みたいなニュアンス。


たぶん、白州さんもおっしゃる通り「芸道」、芸事について、根本同じようなことは言えるんじゃないかなあと、感じています。神楽もね。
萬斎さんも、たしか、盗みが大切みたいなことはおっしゃってたような。
まあ何事も極めようとするとそうなるのだろうか。


でも、なんというか…ちょっと、人によっては誤解を生みやすい表現でもあるなあと、私は思ったりして。

というのも、もともと持っているセンスに加え、そもそも基本、土台、基礎、骨がなければ、どんなに良いものを盗んでも自分の芸、所作、肉にはならない。
ただの悪趣味なコピー。あ、「リスペクト」さんになるわけだな。

だからといって、基礎となるものは、全部が全部受動的に教えられるもの、与えられるのを待つものではない。常に能動的に、自分から師に教えを請うて、習得していくもの。

かつ、言っても反発して理解しなければ師は言わなくなるし、一度言って理解する耳と頭と素直さがあるなら、何度も言わなくても解るし、そのうち背中を見て盗んで学ぶから、結局「教えられるもの」は「わずか」になる。

ということをいいたいのかなあ、と思ったりして。

なんともとりとめのない、まとまりのない思考をそのまま書き連ねていますけれども。


というか、結局技術…型?や決まり事はもう決まってるんだから、それはたしかに教えられるけど、その精神性とか向き合う姿勢とか型を支える諸々は、自力で習得してちょうだい!にやっぱりなるよなあ。

きっと世阿弥は表現する力があったから、文字にして後世にその言葉を遺しているけど…それを本当に理解できるかは、受け取り手のセンスや土台によるし…
そもそも口下手な師や古老はどうしても「黙して語らず」になっちゃうし…
それで一生懸命伝えたくても反発されたらいやになっちゃうし…


なんかだんだん言いたいことわからなくなってきた。



盗んで自分のものにして、自分の「芸」「舞」「立ち居振舞い」「所作」を高めたいほど、貪欲。あるいは謙虚であるともいう。
まだまだ、まだまだ、って。
師を超えてやりたい、でも超えられない、って。

自分はもう極めたわー、ウマイわーって慢心が一番残念。
慢心のある舞、姿は、はた目で見ていてやっぱりわかるし、美しくない。


とかいって、自分は芸事に全く通じないんですけれどもね。えらそーよね。

でも、ライフワークとして、神楽と向き合い、それを見つめ続ける上で、学びを深めることを貪欲に求めていきたいし、師や古老の言葉を請い、盗めるものは盗みたい。小さな小さな声に耳を傾け、時には引きずり出してまで聞いておきたいのです。
私はもう神楽についての見識を極めた、と思った途端に、きっと師たちは口をつぐむだろうし、つまらんものになるでしょう。


どうしたって知らんこと多すぎて全然極められんわい。

舞を殺すな

胴とりは、一生懸命打ってはいけない。自分を見せることを考えてはいけない。

師匠が、いつもおっしゃること。

自己中心的な胴は舞を殺すとも。



たまに、音響なんかは、あーあと3つか5つくらい音下げてくれたほうが気持ちいいんだけどなー音割れてるしなーって、狭くて閉じた場所なんかでは思いますけど、今日の神楽は狭くなくても最悪。


胴ばっかりがぎゃあぎゃあうるさくって、見ているこっちも舞に集中できやしない。
というか、全く頭に残っていない。
うるさいうるさいうるさい、ってずーっと頭のなかそれでいっぱいで、途中から我慢できなくてかた耳塞いでしまった。
うるさすぎて「岩戸」でほとんど鈴の音が聞こえないとか意味がわからん。


胴とりが舞を生かさずに殺してどうする。
太鼓の音も殺す。
あれはもはや悲鳴だ。
ああいう胴太鼓は力いっぱい打てばいいものではないはず。

逆にうまく力を抜いてスナップで響かすものなのでは?わからんけど。

マッチョ自慢か?


それが伝統だとしても、私には合わないみたい。

もう今度こそあそこは見ないかな、と思ってしまった。
あれを良いと思う人が見に行けば良い。



はあ。


いろんなことがあって、どうにもイライラ着火点が低い状態で何してもムカムカするようなコンディションというのも、原因としてはあるでしょうが。
それにしたってマジでもーガンガン音ばっかり響いて舞がこれっぽっちも入ってこなかった。




あと、風の噂では、ここでつらつら書き付けていることを、利己的なたくらみで、利用しようとしている人がおられそうな気配あり。またよけいにイライラムカムカ。
知らんし、わからんのですけど。

ようは、パクリ。
でもパクリって、犯罪ですからねー。

というか、ここにあるものというのは、わたし、という20数年のある集積物が、その収集してきた本や実地での見聞と、感性と妄想でできた、アーカイブなわけで。

誰かの探求のヒントや問題提起になればとは思うけれども。

いまある見解も、しばらくしたら変わっているかもしれない。何故なら常に現在進行形で収集しつづけているから。



まあ、結論を申せば、機嫌が悪いです。