舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

何かの本を読んでいて「塩祓」が「四方祓」ではなく「塩祓」であったのではないかということを考える内容があったのだけど、それがなんだったか忘れてモヤモヤして眠れない。
明らかに記憶能力が落ちている

もちろん、最初から「四方祓」なんだから!というところについて、違うでえというつもりはない。証明も反証もできない限りそれはそれでいいと思う。そういう伝統だから。
でもよその神楽を指して「四方祓」が訛った結果「塩祓」に零落した、とは必ずしも言いがたい。
そもそも、「四方」よりも「五方」のほうが大事なはず。
師匠がそれは舞法の観点から立証できると言ってた。
私自身も実感として、「ではなぜ中央に踏みしめるのか」は疑問としてあったから、師匠が所作・道行きのなかに五方への拝みがあると言われたのは、納得がいく。

どの本を読んだのだったかはまた探したら書く。


あと、「生まれ清まり」について書いたけど、五来重の本読んでいたら、白山よりも前に修験の覇者であった熊野信仰に由来するというような内容があって、やっぱり思ったより複雑だと思ってくじけ気味。

とりあえず初見で理解したのは、熊野信仰が、イザナミノミコトの葬送地という謂れや補陀落浄土とかの信仰にも結び付いたり、水葬?の文化があったり、様々な要素を含んで「死者の山」であることは、本を読んでて共通することなのだけれど、その参詣の信仰や形態が「生まれ清まり」を表している、ということかな。
あと、熊野の別当?(管理者的な家)の系譜と、源平の合戦、南北朝の争いが繋がっていて、さらに天竜川沿い、まさしく奥三河の花祭伝承地域も関係してくる。
だから、熊野と花祭は関係性があるのかもしれない。

あと熊野修験が覇者となり、全国各地に影響を及ぼした、というのも、修験者は勤行?というだけではなく、鉱脈探しという理由で山々を駆け巡った、という風にも考えられているそうなので、なるほどそういうことで全国各地に熊野信仰が見られるのか、と、それも納得がいく。
そして、南北朝時代南朝側についたことで、一時衰退したらしいことと、衰退した理由の一つに本では「富を集めすぎた」というような趣旨の記述があって、それもあらかたの鉱脈を掌握していた、と考えれば、盛者必衰の理をあらわす、じゃないけど、なんとなくそうなるんだろうなあと想像できる。
それでその隙間から白山信仰がポコッと出てきたらしいのだけど、頭がつかれたから今日はそこまで。


そういうでかいところについては本を読めばわかるのだけど、石見ってなんでなんかあんまり表に出らんのか。
本である程度調べられるのって、現実との乖離もあるけど、端的にいえば、楽なのよね。古文書とか現地とかあたらなくてもあらかたのことは読めばわかるから。

それより私が知りたいのは、石見のたたらなわけで、それもだいたい出雲の有名どころばっかり出てくるから難儀する。
周布川沿いは、内村だかそのへんに天然記念物のなんたらという岩(全国でそこにしか産出されていない)があって、それが磁鉄鉱であることや、川上に波佐があることなどから、たたら製鉄産地といえるのだけれど、どうしても浜田川沿いも無視しにくい。もう少しきちんと遺跡調査報告書もあたらないといけないし、なんならそれぞれの川の鉄分含有量とか知りたい。
あと、やっぱり水辺の植物も知りたい。

出雲の方は、その点風土記あたればいいから楽。

あと、大田や川本美郷あたりは、あきらかに鉄分を含んでるのは知ってる。
それは、三瓶山という火山がもたらすものだから
溶岩の流れとかなんか難しいこと知らなくても、温泉あちこち行ったから実感でわかる。

でも、いまいち浜田川と周布川はよくわからん
ただでさえわからないのに、ダムのせいで余計にわからん。
花崗岩は火山が近くになくても作られるものなのか
三瓶山より西にも火山があるのか
そもそもなぜ中国山地は砂鉄がとれるのか
どうしたら鉄分を多く含む土地になるのか
わからない
どこまで何を突き詰めれば全部わかるのか。


だからたたらは触りたくなかったんだ