舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

ミルフィーユのような

知らないあいだに知らないこと書いてた。びっくりだね

一年、あるいはそれ以上の時間をかけて壊れていったものは、直るのもやっぱり一年とかそれ以上の時間がかかるわけで、
でもだからといって、その間失われていたわけではなくて、言うなれば、落葉に埋もれた草みたいな

すべて、水平線上なのではなくて、地層なのだなと改めて感じる

ちぎって捨てたはずでも、見下ろせば足元にある


やっと神楽のことへ意識を向ける余力が少しだけ出てきて、時々考えてみる
いまは、某よもやよもやのおかげで、新しく色々考えを巡らせるのもたのしい

五神、五行と、五方、五つの季節…に加えて、東北みたいに修験の「仏」の色がより濃いところでは、五大明王まで出てきてしまうわけなのだけど、ここまでくると、なんかめちゃくちゃになってくるのよね

鬼剣舞は、埴安大王にいるとこにカッカタというチャリ面みたいなので、不動明王なのだけど、なんでそうなったんだろうとか、西方の白面が、もっとも重要といわれてるけど、こっちではそういう感じしないなあとか
西方は、恐らくは西方浄土も示唆されてるのだと思うけど
西だけど右白虎だしなあ…やっぱり長男さんのほうがこっちは強めな印象

あ、でもそうなると虎が出てくるのはある意味自然なのか
土地が虎との親和性が高いのかな

潮の流れは、東北なんかは北?東?オホーツク?の方から来てそうだけど…


あと、次郎さんは、明王的にいえば雷をあらわす?ようなので、そうなると善ちゃんなのよね
でも、明王の名前とかビジュアルにみつりちゃんといぐろさん要素があるのは面白い
…あ、だから髪が赤みより黄色系が強いのか

それ以上は明王はむずかしい
カタカナ多すぎだし


湯立てを考えれば、赤(南)の対は黒(北)で、火(赤)の対は水(黒)なのだけど、それについては、不思議なくらい地域を越えて共通してる
はやちねさんもあるし、花祭も地域によってだけどあるし、神奈川にもあった。五神も則ってる

火と水で湯を作り、それをかぶることで清めたり、死と再生をあらわしたり?した結果導き出されるのが日なので、たぶんなんかしらの示唆はあるのだろうけど、そう思うと五神なんかはあんまりそれだけを突出して重要視してるようにも思えない
あくまでも五郎さんが重要なので

あーーー…使いがもしかしてカッカタなのか?
顔が似てる

カッカタが、向こうでも使いの役割で、本当の不動明王は姿見えないとか、本当は違うもので表してたとか、そういう可能性もある。
大学の時もっと真面目に見ておけばよかったなあ


ようするに、いろいろなことが失敗したミルフィーユみたいにぐちゃぐちゃ重なっていて、一枚一枚うまくペロッて剥がせないのよね

だから中途半端な杓子定規しかないし、目の粗すぎるザルで掬ってるようなものだから、ボロボロとこぼれる
でも、それにすら気づいてない人も多い
だから、意味不明な嘘の流布が、当然のように通説になる

石見神楽だけじゃなくて、説明し尽くされたかのように思えるところでも、論と実際の解離はあると思う

地層だって、風雨に穿たれて露出したところと、全く見えないところ、同じ面でも見える層が違うところ、いろいろある
旧石器時代がないと思ったら、あ!関東ローム層!!みたいなこともある(うろ覚え)


つまり、いま、自分の足元で見えるものからしか、いうことができないので、断言したり断罪したり、一方が正道他方が邪道と決めることもできない
したらいけない

ひとも、かぐらも、れきしも
という、自戒


昔以上に、頭のなかが不明瞭で行ったり来たり積んだり壊したり整理されないし、うまく表す言葉が出てこない
なんにも言葉が出てこない
悔しいもどかしい

よもやよもやしてないで、本を読めばいいのだけど
文字を食べるのが苦しい

わたしの頭のなかが大失敗の崩れたミルフィー
わたしなんか、無能だから馬鹿だから屑だからこんなことになるし、なんもできないなんも成さない誰にも認められない愚図だから救われない無駄に時間を費やしてるだけ