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こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です
その中で一番すぐれているのは愛です
小さい頃からの刷り込みとは恐ろしいもので、嫌でもずっと覚えてはいるものだけど、正直どういうことなんかなあと思っていた
宗教なんだから信仰推しやろ、みたいな
間違った考えかもだから、あくまで薬でぼんやりしたボンクラ頭が考えることでしかないのだけど
物理的な攻撃というか、生命の危機を感じたときに
自分の命のために自分の命は懸けられない
生きるんじゃなくて、死ぬ方のとき
でもたぶん、他人や、愛する人や、神になら、自分の命を懸けて、投げ出せるということになるんだとおもう
このときの神って、たぶん、人格神になるのかなって
人身御供みたいなものでは、水神とか、自然神もあるけど、ある程度神の方に意思というか、人格(神格?)がある姿を想定しているというか
もっと原始的な「力」の神は対象でないような気がした
神道は多神教ではあるけど、国家神道ではある種の一神教的な側面を持ってると思う
神の名のもとによる尊厳を守るための死
他人のこともひどく傷付ける、命を奪う場合がほとんどだから、それを容認(黙認?奨励?)する神は、わたしは悲しく感じる
本当にあなたを愛する人をあなた(神)は愛していますか、と問いたい
神の名のもとに行動決定することが信仰というのなら、それは自己愛を超えた神への愛ということになるのかな
その、行動とそれが引き起こす結果については別として
一方で、他人のために、行動決定をするのなら、それはラブであれ、アガペーであれ、愛と呼べるものなんだろうな
死ぬ間際に、愛する人を思い浮かべるのは、人への愛
神を思い浮かべるのも、神への愛
一抹の後悔やなにかしら己のことについて思いが去来するのも、自分(あるいは誰かに向けての)に対する愛
それはエゴの愛ではないと思う…たぶん
えんむくん思い出したら自信なくなったな
ま、とにかくそうなれば、愛が残る