舞ひあそぶ

神楽のこととか、備忘録の掃き溜め。

土地の歴史について

正式な資料として使うには、Google先生はダメで、国土地理院の地図を使うわけだけど、マッピングするのに、精度としては大字くらいが限界で、最後の一押しは自力で調整する必要があるのが最大のネック。

地理の整理をしようと思ったら、明治初年の村名(今の小字くらい)はWikipediaに載っているので各郡史とかペラペラしなくてもわかる。明治22年の市町村制施行からはパラパラ地図にまとめられているので、それも平行して使えて便利。

神社については住所を拾えるところは大方マッピングもしたのだけれど、一つの小字・大字内にいくつもあった場合、正確な位置は結局Google先生見ながら調整しないといけなくて、マウスで手が吊る。
しかも残すは匹見と吉賀町!というところでネットが落ちて全部おじゃん。あーあ

そのうえ島根は長すぎて画像保存するにしても画面に収まらない。

デスクトップ欲しい。


大森代官所所轄領(幕府領)は、美味しいところ(要所)にいる。わかりやすい
安濃郡、邇摩郡は全域
邑智郡は銀山に接する辺りと久喜(銀山)のあたりが中心
那賀郡はたしかあんまりなかった。
で、なぜか美濃郡の、ごくごく一部、益田のほんの少しの地域だけが幕府領。津和野も鉱山あるけど、直轄領だったか、違うか忘れてしまった
あと、思ったより仁徳天皇祀っているところがあったから、その謂れは調べる予定


何がしたいのかといえば「なぜ石見神楽にスサノオが重要なのか」の立証してみようかと思ったのだけれど、今まで絶対面倒なことになるからと避けていたタタラにどうしても行き着く。
あああ…沼ズブズブ


江津は江の川、益田は高津川、浜田は浜田川か周布川が重要なパーツなのだけれど、自分の仮説だと、浜田が浜田川なのか周布川なのかでちょっと結論が変わってくる。
地質学まではちょっと無理…

そしてとりあえず大田はやっぱり特殊。


あと、ご祭神整理していて、国常立命の大元神社と、天御中主命で大元神社としてるお宮があって、何かな?と思ったら、吉田神道に関連があるっぽい。たぶん
ヤハウェとか出てきてなんかよくわからん
ともかく明治期の整理に伴う結果が大きいようだから、もしかしたら神職のポジションというか、スタンスというか、そういうのも多少垣間見れるかもしれない。

あとは熊野三山に関連すると思われるお宮がすごい多いのだけれど、そもそも熊野三山にめちゃくちゃたくさん祀られてるから、本当にその系統でくくって良いのか謎。
ただ、タタラ関係含めて「国津神」系統が多いのは確かだと言って良いと思う。
謂れや名前から察するに、まつろわなかった神もまあまあいる

あと妙見社?系統もそこそこあるんだけど、まだ不勉強。

逆に、そうじゃないお宮は何故そこにあるのか?という新しい疑問は出てくる。

草木国土悉皆成仏

確証はないけどなぜこれが「大陸で生まれた思想なのに日本でのみ広く受け入れられたのか」

ただのアニミズムではない

「鹿島・香取の二神が、服はぬ国津神・草木石類にいたるまで平定」した。この言葉にヒントがある


世阿弥は「そっち側」の人だったからこそ、「そっち側」の鎮魂のための能を確立したのかもしれない。
勝者でなくても救われるために。
だから、「能舞」もまた、広く受け入れられた。

一方で、権力者はそれを利用したのがまた皮肉。
いや、そうされることを目的としていたのかもしれない。

結果的に長い時間をかけてひとつの文化として根付かせたのだから


単なる「草木国土全て帰依すれば仏の加護により成仏できる」優しさではない
そもそも救われる前段には必ず、悲しみや恨み辛みがある


実は、疑問というか、真に腑に落ちてないことなんだけど、繰り返すということでなぜ鎮魂になるのか
懇ろに弔う祀りの意味はわかるけど、謡曲、神楽として舞い続ける意味は?
本当に、あなたを忘れてませんよ、だけなのか?
本当に、神仏の威徳をわかりやすく説くためだけなのか?
あるいは、見せしめか
いずれにせよ元々の存在意義がプロパガンダではある。
いまは違っても

でも、「悉皆成仏」のなかに鬼は含まれるのかな
神は、含まれているけど。
ずいぶんと長いこと能を観てないから、わからないな


「庶民」に「勧善懲悪が愛される」ことについて考えたときに薄ら寒い気持ちにもなる。

本を読めるようになったせいで、うっかりと、知らなくても良いこと知らない方が良いことにまで足を突っ込んできている気もするし、一方で、「いままで」を打破するためには触れざるを得ない気もしている。
でも人は、触れてほしくない、あるいは受け入れられない、不都合な真実もある。

難しい


あと、本で得て考えること以上に、実際はもっと複雑でもある。
そこに住むヨソモノだからこそ、無神経になるべきところもあるし、無神経ではいけないところもある。



祭る・祀る→まつる→ぐるぐる巻きで動けなくする(例:まつり縫い)
担ぐ→ヨイショしておだてる

という意味を含むというのも、いろいろ考えさせられる点なのでめも。

わたしの実家の周りは神楽よりも御輿文化
激しいものも多い
砂鉄がとれる土地でもあるし、うちも含めて(血は知らんけど)「家」は武家が多い土地でもある
まあ、ヨイショの文化は強いよね。どこでもそうか
ヨイショしなきゃ生きていけない社会的動物なんだとも思う。

そういえば、島根では砂浜が白いから、実家の方は砂鉄多いけ、砂浜は黒いし、熱伝導良すぎて夏は裸足でなんか歩けないし、理科の授業では棒磁石もってみんなで適当なとこで地面にくっつけて砂鉄をとるんだと、言ってたけど
自分は何気なく言ってたことだけど
「砂鉄が当然のようにとれる」ということでできた歴史があるということは、覚えておかないといけない。


…でもなぜこんなに祭りの様式が違うんだろう

うまれきよまりについての若干の考察

せっかく今ごろになって始めたポケモンGOで楽しく歩いてたのに、昨今はそれもなかなか難しく、その代わりやっと短時間なら読書できるようになったので、母に大昔勧められていた高田崇史先生の本をいくつか読みました。

かなり、深く研究されていて、いうなれば研究論文として書かれても良いような内容を、あえてフィクション小説という別のハコに入れて書いとられるみたいな。
気になったテーマのものから読んでるので、登場人物のストーリーはなんのこっちゃ状態ですけど、いろいろ示唆に富んでいて非常に面白いです。

ポケモンは友達曰く「初等教育以下レベル」で、幼稚園の時覚えさせられた名前を羅列した呪文みたいな歌の一部しかわからないし、高田先生の本は大学の頃から勧められてたから、どちらも「今さら」といわれるけど、私にとっては、「今」がその時だっただけ。
タイミングが違ったというだけ。


今手元に確かめられる文献が何もないので、細切れの記憶が頼りで、内容は正確ではないでしょうから、あくまでも思考の断片のメモですが。


神楽執行の目的として重要な要素である「生まれ清まり」

これは、奥三河が一番よく例として出されます。
というのも、折口信夫とか力ある人たちがフィールドにしていたのが花祭だし、その文脈でその単語を使ったからなのでしょう。

ただ、とある一連の儀式はひとつの定型として存在していて、いろいろな芸能、神楽のなかに見えかくれしている。
誰が見てもそうだね!といえる状態で行われるのか、何重ものベールに包まれて複雑な状態で行われているのか、という多様性のなかで、たぶんまだきちんと全国的な視野で整理はされていないのかもしれません。
あるいは、今現在においてされてるのかもしれないけど、まだ私がそこまで追い付いてないのでしょう。

いずれにせよ、大元神楽牛尾三千夫みたいな感じですね、とか思ったり。


話が逸れた。


三河の花祭については、今ではもう行われないけど、かつて祭りのなかで、すごく簡単にいえば、病を患う人や厄年といった、普通より死に近い人たちが、死装束で、集落を流れる川を渡り、「白山しらやま」という方形の建物に籠る「白山入り」をする。どちらかというと修験~仏教的な儀式があったといわれています。

この擬死再生の儀礼こそが「生まれ清まり」
そしてその源流にあるのは、白山信仰である、とも。

ところで、花祭りの鬼「山見鬼」がマサカリで山を割り「榊鬼」は村人を救い出したから、ここでは「鬼」こそ神だし、「榊鬼」には角がない、だったような記憶があるのだけど…この「山」というのは「白山」のこと。
今ではあの土地の山?たしかにしんどい山だけど何故?とか何となく調べないまま引っ掛かっていたことが、本に書いてあって、ようやく自分のなかで納得できたのでした。
やっといろいろ繋がった感じ。



実は石見での儀式とか共通項とかもいろいろ考えて師匠には捲し立てたんだけど、今たしかなソースを出すことができないから、まだ温めておくことにします。



いずれにせよこの「生まれ清まり」というのは、なにも花祭に限ったわけではないのだけど、では逆に何故「生まれ清まり」が神楽において重要なのか、そこの疑問に対してしっくりくる答えが、今まで見当たらなかった。

魂を振るわせ次の一年への予祝であるといえども、どうして、尋常ではない行為をもってその儀式を行うんだろうと。
何故よりいっそうしんどいことをするのか?と。


私が、高田先生の本を読みながらはたと思ったのは、一番原始的で、根元的な理由は、「死者の復活(再生)」という世界共通の思考、願いからくるのかなということ。

死という不可避の恐怖を乗り越えるための方法。

キリスト教も同様の思考がみられます。
仏教も勿論当然ある。それだけではないでしょう。


仏教のニーズの変遷とかから考えると、もしかしたら最初の最初は、純粋に「死者の復活(再生)」が目的だったけど、段々時代が下ってきて、「いま生きている人」に対しても目的が広がってきたのかな、とも思ったりします。
いま生きている人たちの活力の復活、次のステージに向けた再生、みたいな。極楽浄土から現世利益までみたいな。



大元神楽では、いまは託宣云々かんぬんが注目されがちだけど、私が昔調べたときはどちらかというと大元神(祖先)の神上げの方が目的のウェイトが高かったような印象があります。思い違いかもしれませんが。

その神上げについても、そういう言葉としてしか考えてなかったし、なんか難しいわあ思ってたけど、もっとシンプルな話で、祖先という死者を「神」として復活(再生)させる、ということなのかなと。

いままで難しく考えすぎてたのかもしれない。
何層にも渡って積み重なってきた地層の表面に立っているから。

先駆者の言葉や研究は重要だし、ありがたいけど、その単語単語に縛られやすくもなってしまうから、論文だけ読んでればいいってもんでもないなあと改めて思わされたりもするわけです。

まあでも人付き合いは人付き合いで疲れきってなにも考えられなくなってしまったわけだし、どうしたらいいんだろうかな

さよならは、いつまでかわからない

一体いつからなのか、なにがきっかけなのか、わからないけれど、多分きっと、このブログが途切れがちになった頃からでしょう
神楽への思いと裏腹に疲れてしまったのは
神楽を伝え守るのはひと、ひとなくして伝統はないのに、そのひとに疲れてしまった
疲れてしまった
なにも気力が出ない
誰も信じられない

本を読む気持ちにならない
神楽が見たくない
知っている人にあいたくない誰にも知られたくない
いなくなりたいしにたい
いつからか、いままでずっとそこから出られない
眠るのが怖い夢を見る
いつも怒鳴り声冷たい視線罵詈雑言陰口破壊事故
怖いもの全てを毎晩体験する
ひとがいなければ、わたしがいなければ、なくて済むものばかり
薬は苦いだけ
憂鬱も悪夢も癒しはしない肉体に鉛乗っけるだけ

神楽が好きで、本を読み漁り、出かけ、心踊らせていた日が恋しい
くるくると妄想広がらせていた時が恋しい

なんでもあるところにいったはずなのに、なにもなくなった
あったものも全てどっかいった

わたしは能力ないから
学もないやるセンスもない学のための金もない
なんにもなくなった

なにもたのしくない
しにたい
それも面倒
ただただ布団に転がる

わたしのなかの引き出しはぐずついたりどこかへこぼれ落ちたりした長らく人と話さないから本音を忘れた全て忘れた語彙も消失した

人として退化しているなにもいらないあっても仕方ない
ミミズの方がわたしなんかよりよほど働いてるし、世の中のためになってる



でも一人語りがしたかったんじゃない



しにたいしにたいと、でもしにいくために、布団から出ることがしんどくて、ただ布団の上でしにたいしにたいと悶えていたら
ふと、福岡先生の動的平衡の講義の話を思い出した
唐突に
大学とは、大きな人の話を学べる良い機会だったのだとことあるごとに思い、当時としてはベストな受講編成していたからこそもっと貪欲に前のめりに吸収すべきだったと痛切に思う
あのころ、無知を知ってるあのころ、スポンジのように吸収するエネルギーも若さも情熱のあったころ


先生は、穏やかに話すから、とても難しい話を優しく、論理的に、ときにユーモア交えて、わかりやすく説明してくれてたのだろうと思うのだけど、睡魔に負けがちだった
でもいまでも覚えてる話
たしか、砂の像の例えがあったと思う
なんとなくビジュアルイメージでの記憶だから言語化するのが、難しいけど

わたし、という人間は外部から食物などの細胞を組み込み、古いものを排出しながら、最期がわからないまま、交換し続けて、わたしという肉体を作り出している
細胞はかわってもわたしはかわらない
…でもかわらないけど、年を重ねるごとにその見た目はかわっていく
それも、きっと細胞がしてるんだと思う

難しいけど、腑に落ちることだった

すがりたいあのころのわたし、いまのただのゴミクズのわたし
全てかわってしまった。その短くて長い年月のなかで、すっかり細胞レベルでもかわってしまっているんだと思うと、少し気が楽になるような、かわった自分を諦められるような気持ちにもなる

もしよくなれば、そのときも、細胞レベルでかわる


伝統芸能も民俗芸能も、動的平衡なのだと、薬飲んで眠くならないくせに口のなかがひどく苦くなる疲れた頭で思う

人間は数年のスパンでのことだけど
あれらは、人の人生くらいのスパンで、動的平衡を保ち続けることで存在が保たれる
多分、アイデンティティーなんかもそう

ひとという細胞の交換を続けながらいままでいきてるんだ

良き細胞も悪い細胞も取り込んで肉も取り込んで咀嚼をしながらひとつのかおを作ってる

そういうことなんだと、ふと

鬼踊れ!読んだ

東京で、郷土芸能部つくって、頑張る青春物語……という、普通だったら1mmも触らない漫画だけど、岩手の鬼剣舞と、鹿踊だったから、とりあえず3巻までごそっと買って一気読み。

鬼剣舞とぷりちー鹿踊の描写が大変よかったです。
ぷりちー鹿のビタンビタンとか、萌ポイントが押さえられている素晴らしい漫画。

鬼剣舞なのに、タイトルが踊れなのはちいと不服ですが、言葉のリズム的なこともあるんでしょうか。まあそこはいいけど。


多分これは、石見の人なら、ある程度の共感をもって読めるところもあるのかなと思いました。
郷土芸能への愛と在り方、心の持ち方とかの揺らぎ。


私はゼミの合宿で見たきりなのだけれど、事前学習の発表で初めて見たなんだこりゃ!と、実際に現地で見たなんだこりゃ!!!の感覚を、鮮明に思い出しました。ブワッッときた。
そのときの自身、そして初めて石見神楽を見たときの自身もまた、登場してくる青春ボーイズたちと同じ顔、心持ちだったのだろうなあと思って、口のなかがしょっぱくなる。今はもうどこかに置いてきちゃったから。

今回の旅ではほぼ確実に見られないけど、また見に行きたいものです。



興味深かったのは。
一つは、東北、なかでも岩手は芸能どころにもかかわらず、あえて鬼剣舞をメインにしたところが、北上において感じた鬼剣舞の絶大な人気と、あとまあおまけで鹿踊、虎舞、そしてよくわからないなけどついでに神楽、という序列をある意味で忠実に描写してること。
北上とその近辺?には修験道の色が濃い大乗神楽があるんだけれど、本当に全然神楽熱が感じられなかった。観光協会ですら、えーーーと、花巻市に行かれたら詳しいことわかるんじゃないですか?という感じ。いやいや、和賀とかやっとんさるでしょ、と思ったくらい。
今は、どんな様子かわかりませんけど。

私は私で、ぷりちー権現様の印象が強すぎるので、偉そうなことは言えない。

二つは、題材が、あえての岩手、あえての鬼剣舞であったけれども、神楽はきっと題材にならない、ということ。
神楽舞のひとつとされる中野七頭舞だったかな?は、東京の学校でやっとられます。それも、土地にゆかりのある人が東京で始められたのが最初じゃあなかったかな。ゼミの仲間の発表のおぼろ気な記憶。

地方から出てきて、自分の土地の芸能を都会の教育の場にもたらす、ということは、漫画にもあったけど、継ぐことのひとつの面だと思う。反面、どうしても、当地で舞い継ぐ人たちとの齟齬は生じてしまう。それは、仕方ないことと思います。仕方ないことだけど、仕方ないからと居直る、居直り方には気を付けないととも思う。

そう、それで、なんで神楽はならないだろうなと感じたかといえば、うまく言えないけれど、やっぱり、その土地で生きている物だからかなって。同じ郷土芸能のなかでも、その土地だからしっくり来るもの、というか。
根拠はない。
ただ、うーん…よさこいは対極にいる気がする。
誰でも受け入れる、ということがなんとなくしにくいというか。
あと、子どもがパッと見でめっちゃかっこいい!となるものが少ないというのもあるかもしれません。
神楽といえば、「お神楽」浦安の舞?巫女舞のイメージが強すぎる。

あ、花祭は東京でもしてるけど。学校ではない。

基本的には、もぐもぐ咀嚼して、味わう系というか。
都会ではハイカルチャーに分類される感じ。

あえて、もとは宮の神事だから、ということはいいません。神事をルーツに持つのは神楽だけではないし、文化の生まれるひとつの要素として、宗教は大きく作用しているので。


あと、これは石見特有かもしれないし、他を知らないのでわからないけど、本当に神楽をやりたい人は、その土地に残る、あるいは帰る、というのも、あるかなって。

神楽を愛する人で、都会に出てきた、都会で生きていく、だから教育の場で故郷の芸能を伝えていこう!という人の率が少ないんじゃないかという仮説。

まあ、わかりません。本当のところは。
無責任に発言しているだけ。



あと、これは私の持論だけれども、神楽は、一番顕著にその土地が必要としていた祈りを表すから。他の土地に行ったら求める祈りは変わるから。
あと、それを表現するための方法、肉付けをした宗教者が微妙に順番とか土地での重要度とか違う。

だから、同じ「神楽」という名の元に全然違う芸態で全国に分布しているのだと思います。

穏やかに、平和で豊かに暮らしたい、という根本は一緒かもしれないけれど、そこに至るまでに必要とされる祈りは違う。

太陽に恋い焦がれる気持ち、飢饉はもう嫌だという気持ち、祖先を思う気持ち。




わからないけど、だからこそ、現代において、その土地に伝わる神楽の根本を揺るがすような改革は、起こり得ないでしょう。


ただし、なにか、人知を超えたことが起きたとき、失われていたものが復活することはある。
その土地の祈りが戻ってくる。



ぼんやりと、そういうこと考えさせる漫画でありました。
でも、あまりに青春臭いので続きあったら買うかわからないなあ。

登場人物多いし。鬼剣舞やりはじめたら誰が誰かわからなくなるし。なんなら、本物見たいし。

みみくさんのいろいろ

・問答舞「弓鎮守」

東・南・西・北・中央・黄龍の六方の神々に祭司が加護弓と破魔矢を以て、色と人の出生の星と五臓六腑の嗜好を添えて守護神を糺す、話…といっても、なんのこっちゃという感じですが、箇条書きにすると、なんとなくわかる気がします。

東方 木の祖 木句具知巳之命、春の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は青、十干は甲乙、干支は寅卯辰、苦き味わいにて胃の臓を守る

南方 火の祖 天乃御降結之命、夏の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は赤、十干は丙丁、干支は巳午未、酸き味わいにて心の臓を守る

西方 金の祖 金山彦之命、秋の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は黄、十干は庚辛、干支は申酉戌、甘き味わいにて肝の臓を守る 

北方 水の祖 水破乃女之命、冬の三ヶ月 土用十八日除く七十二日、色は白、十干は壬癸、干支は亥子牛(丑)、辛き味わいにて肺の臓を守る

中央 土の祖 天乃土結思足之命、四季土用併せた七十二日、色は黒、十干は戌己、干支は丑未辰戌、渋き味わいにて腎の臓を守る


古老の説明の、概略
春の青は、若葉の青々と生気溢れる色、若者の青春とも言える。
夏の赤は、太陽の季節、燃える赤。
秋の黄は、黄金の稔り、木々の紅葉、西方浄土は黄金の蓮の都とも言う。
冬の白は、無色透明の白、野山里を覆う白雪。
土用の黒は、すべての色を混ぜ合わす時に生じる色、土の色。

中央誰やねんって感じはするものの。
色は、五行に則った色、というより、自分達の身肌で感じる季節と色にリンクしている。その方が覚えやすかったとかあるのかしら?なぜそうなったのかはわかりません。まあたしかに、なるほどね!とはなります。

五臓六腑の守護については、東洋医学的な考え方なんでしょうか。ただ、確か古代哲学でも似たようなこと唱えた人がいた気がします。古代ギリシア?○○テレスみたいな名前の人が多い時代。
??ヒポクラテスの四体液説かな?調べたら、記憶していたイメージとなんかちょっと違った。私の取り違い。
ただ、古代ギリシアとかの時代から、万物の根源についてはいろんなひとがウンウン悩んでいた、ということで。

天の鹿兒弓、天の羽々矢?のことも、加護弓と破魔矢だと、たしかにわかりやすいわね…とか思ったり。



そのほか、めも。

・「御神楽」おかぐら
奉納の最初と最後に行う奏楽のみの神楽。

・「塩清メ」
東・南・西・北・中央・黄龍の"六方"を塩で清める。

六方というのが、今までに無いパターン。
ここでは明確に中央と黄龍は違うものということなんでしょうか。
ただ、「黄龍」というものが重要視されているようだ、ということは察せられる。


・「神迎」
舞ではなくて、儀式としてのもの。どっちかというと花祭との共通項ありというふうに感じる。
お一柱ずつ呼んで勧請する系。

・「切り女」
古老曰く"小鼓の精"だそうだけど、口上をさらさらっと見た限りでは、あんまりそういう要素は感じられなかった。チャリではなさそう?



面白いな、と思ったのが、古老が言われるようにかつては文盲多く、口伝えであった、という経緯もあるからでしょうが、口上に出雲弁的な要素による変異がちょいちょい見られること。

たとえば
「切り女」の神歌
千早降る 神楽のげすき[景色] 面白や

「五行」の王一鳴命(東方)の口上
四方之神立 四方の悪魔切(り)すずめ[鎮め]たまわんや否や

とか。
出雲弁は大小浸っていましたから、あーなるよねえ、今もそんな感じで言ってるよねえ、というような箇所がちょこちょこ。

口伝えなら、たぶん文語体ではなく口語体で伝わっていったことでしょうし、ここを正しくというか、大和言葉や文語体にしたら、なんというか…浜田の神楽改正のようになってしまうんじゃないかな、と思いました。もうこれはこれで、伝統だから。
逆を返せば、浜田の神楽改正で詞章を調えた、というのは、こういう方言的な表現や口語体を大和言葉・文語体にすることも、含まれているのではないかと予想されるわけです。




みみくさんは十月下旬の午後に祭礼があって、儀式舞・能舞と獅子舞を行うそうですが、「五行」などはやらないよう。
中央・黄龍とか気になるから、もしいつか、機会があるなら「五行」「弓鎮守」は是非に見てみたいものです。

みみくさんの五行について

出てくるのは、

東・木 王一鳴命 
南・火 豊国主命
西・金 金山彦命
北・水 国狭槌命
中央・土 埴安姫命
日ノ神 思兼ノ神

県の調査報告書の中にある、古老?の話では、「弓鎮守」という問答舞とセットらしい。それはまた後日。

あらすじとしては、兄弟の長姉神、破妥安姫(ハニヤスヒメ?)命は他家へ嫁いで音信不通と考えて、残る四神の兄妹が万物を四つに所領し、国鎮めの舞をしていた。
東方は、木句具地巳の命 春の三ヶ月九十日、色は青
南方は、天乃御降結之命 夏の三ヶ月九十日、色は赤
西方は、金山彦之命 秋の三ヶ月九十日、色は黄
北方は、水破乃女之命 冬の三ヶ月九十日、色は白


そしたら、埴安姫命が自分にも所領を分けるよう言ってきたので、骨肉の争いになったところ、親である日ノ神が出てきて、平等に四季の土用十八日ずつ姉神に譲り、五神が七十二日ずつ所領した。
という、互譲・円満、独りよがりで我儘、貪欲であってはならないと教える舞…だそう。


ここではこれが伝統なのだから、良い悪いとかは言うつもりないけど、うおおおおそうきたかーという感じ。今までに無いパターン。

しかもわりと万葉かな的。
南方は、アメノミオヤかな?

色については、本来と全然違うんだけれど「弓鎮守」を見ると、納得はする。


なんというか、多分なんですけど、ストーリーの出典への正誤よりも、自分達の生活というか世界観にに、近づけることを重視したのかな?とか感じました。
姉神の扱いや、色とか。

でも最後の最後はしっかりきっちり。


ここは、面とか衣装は、林木屋だっけ?貸衣装のところから揃えているそうなので、ビジュアルはそっち。
しかも、四人の兄妹とかいいながら面は十二神将みたいな命面なのでイケメン風味。
埴安は、あの辺りの特徴っぽい男性的な女面。太い眉毛をギッとつり上げて、口も歯を食い縛っているような面相。
日本武の熊襲を退治するときの変装時の面や、ウズメにも用いるらしい?
ウズメ?と思ったけど、そう書いてあった。ちょっと意外。
強い女的な感じなのでしょうか。


あと何かと出てくる思兼さん。


チャリ要素は無さそう。